株式会社 日立製作所 執行役副社長 德永俊昭/建築家 妹島和世氏
茨城県日立市出身の世界的な建築家 妹島和世氏。同じく日立市出身で、高校も後輩の日立製作所 執行役副社長 德永俊昭。地元の偉大な先輩として、妹島氏の作品や活躍を見続けてきた德永が待望した対談。第4回のテーマは、他人事と自分事について。

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「第2回:グローバルというフィールド」はこちら>
「第3回:豊かさの多様性」はこちら>
「第4回:他人事と自分事」
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自分事としてのデジタル

德永
資本主義の中で広がる格差、CO2による地球温暖化、エネルギー問題など、今私たちに突き付けられているのは社会の持続可能性を脅かす課題であり、国や組織を超えて取り組むべき先の見えないものばかりです。その難題を解決する鍵となるのが、デジタル技術でありデータ活用です。

しかし、まだ多くの場面で課題解決とデジタル技術やデータ活用がつながっていないと感じることがあります。例えば健康という大きなテーマのためにデータを活用しようとしても、自分のデータは出したくないという話になってしまうことが多い。私たちはまずこの課題から解決していく必要があると感じます。

妹島
自分のデータは出したくないというのは、具体的にどういうことなのですか。

德永
例えばある病気をより良く治せる薬や治療法をつくり出そうというときには、健康診断のデータや病気の履歴のデータ、どんな薬を飲んでどうなったかといったできる限り多様なデータを大量に収集して分析することが近道です。本当はこうしたデータを全人類的に、あるいは少なくとも日本国内で共有できたら、私たちはこれからの医療に役立つ貴重な資産として活用できるはずです。

もちろんそのときに、個人を紐づけるようなデータは消すということは保証したうえでデータの提供をお願いするわけですが、合意していただける方がいらっしゃる一方で、やっぱり出したくないという方もいらっしゃいます。

妹島
そういうことですか。

德永
はい。デジタルという存在がまだ社会の一員に入れてもらえてない、そんな感覚があります。大きな社会課題を解決するためにデータ活用というのはなくてはならないものです。IT事業に関わる者として、デジタルとはどういう存在で、これから社会にどういった役割を果たすのかを、しっかりと共通認識化していけるように取り組んでいく必要があると考えています。

妹島
正直デジタルやデータというのは私も抽象的すぎてわからないところが多いのですが、自分もデータを通じて新しい社会の構築に参加しているという意識が重要なのではないでしょうか。だまされるのではないか、悪用されるのではないかということではなく、あなたも新しい社会をつくる一人の当事者であって、それが100人から10万人になるとこんなことまで見えてくるということがわかれば、「私のデータも使ってほしい」という状況が生まれるのかもしれません。

德永
デジタルやデータを、より良い社会をつくるための自分事として認識する。本当におっしゃる通りだと思います。

妹島
例えば公共建築は国や地方自治体がつくりますから、市民のみなさんはご意見があればどうぞ、というのはおかしいことでしょう。市民の方々が主役なのだから、本来は市民がつくって使って育てていくものです。そのためには、自分たちも権利と責任を持つ必要がある。その権利と責任を誰かに任せてしまうというのは、考えてみれば怖いことですよね。

想定外という協創の醍醐味

妹島
私はもう長いこと、アナログの建築模型をつくって想像することで建築を考えてきました。でもローザンヌのROLEXラーニングセンターのとき設計に3Dを使っていて、あるときその3Dの建築モデルが勝手に動き出したことがあったんです。モニターの中の3D建築モデルがこちらの意思とは関係なく次々に視点移動して、思ってもいなかったアングルや自分が見たくないところを勝手に映し出されて。そのときに気づかされたのは、アナログの模型を確認のためにいくらつくっても、自分が見たいように見てしまっているということでした。3Dを使わなければ気づけない視点というものも確かにある。これはデジタルの面白さだと思いました。

德永
やっぱり本能的に自分が時間をかけ、手をかけた良いところばかりを見てしまう。

妹島
30年以上建築に取り組んでいるのですが、はじめて気づきました。

德永
主観を排除し、客観的に物事を見せてくれる、それはデジタルの特性だと思います。

妹島
そうですね。

德永
もうひとつ、私たち日立がデータと同じく重要だと考えているのが「協創(Co-Creation)」です。先ほどから触れている通り、今の社会課題というのはものすごく複雑であり、日立1社で解決できるような単純なものではありません。私たち日立が考える協創というのは、課題に直面している人や社会のみならず、その解決に賛同し、一緒に取り組んでいただける仲間という存在。言い換えれば、エコシステム全体を理解して取り組んでいくということです。

今日妹島さんとお話しさせていただく中で、解決する側の論理だけでは本当の課題解決にならないことを改めて教わりました。建築で言えばそれを使う人やその中で暮らす人のとらえ方を間違えると、お仕着せの解決策になります。でも同じ目的を共有した者同士が共鳴すると、予想を超えた価値が生まれることもある。それが協創の醍醐味だと思います。

妹島
ちょっと話がずれるかもしれませんが、金沢21世紀美術館のコンペ(コンペティション:設計競合)のときに、市長さんから「普段着でも入れる美術館にしたい」というお話があり、私たちも街を歩く延長で足をのばせるような美術館を提案しました。どこからでも人が入れる正面のない円形のデザインで、展示室がバラバラに並んでいて街の中を歩いているように感じる美術館です。

あるとき金沢の小さなギャラリーの方が、「自分のギャラリーは金沢21世紀美術館の展示室がひとつ街に飛んできた、そんな存在だ」という発見をしてくださったのです。すると街に点在していたさまざまなギャラリーが、金沢21世紀美術館の展示室と連携した展示や企画を行うことができるという視点が生まれ、美術館と街が関係を持てるようになりました。「使う」ということは、とても創造的なことです。つくり手の想像を超えた発想で、街がどんどん元気になっていくというのは、本当にすごいと思いました。

德永
おっしゃる通りですね。

妹島
例えば、コロナ禍で来店するお客さまが少なくなって元気がなくなっていたデパートの屋上にギャラリーを設置したら、買い物目的ではない人たちがデパートを訪れるようになったり。協創というのは、自分が計画したとおりに広がっていくというよりは、新しい可能性を誰かが見つけて、それがまた違うところに広がってというようにいろいろな動きが勝手に走り出すことのような気がします。(第5回へつづく)

撮影協力 公益財団法人国際文化会館

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妹島和世(Kazuyo Sejima)
1956年茨城県生まれ。1981年日本女子大学大学院家政学研究科を修了。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。日本建築学会賞*、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞*、プリツカー賞*、芸術文化勲章オフィシエ、紫綬褒章などを受賞。現在、ミラノ工科大学教授、横浜国立大学名誉教授、日本女子大学客員教授、大阪芸術大学客員教授。主な建築作品として、金沢21世紀美術館*(金沢市)、Rolexラーニングセンター*(ローザンヌ・スイス)、ルーヴル・ランス*(ランス・フランス)などがある。 
* はSANAAとして

德永俊昭(Toshiaki Tokunaga)
1990年、株式会社 日立製作所入社、2022年4月より、代表執行役 執行役副社長 社長補佐(金融事業、公共社会事業、ディフェンス事業、サービス・プラットフォーム事業、社会イノベーション事業推進、デジタル戦略担当)、デジタルシステム&サービス統括本部長/日立デジタル社 取締役会長。