株式会社 日立製作所 執行役副社長 德永俊昭/建築家 妹島和世氏
茨城県日立市出身の世界的な建築家 妹島和世氏。同じく日立市出身で、高校も後輩の日立製作所 執行役副社長 德永俊昭。地元の偉大な先輩として、妹島氏の作品や活躍を見続けてきた德永が待望した対談。第3回のテーマは、豊かさの多様性について。

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「第3回:豊かさの多様性」
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グローバルへの違和感

妹島
最近は環境問題への配慮から、ものすごい気密性の高い重い扉をつけなさいとか、分厚い窓ガラスを多重化して省エネルギー化を図りなさいといった依頼条件が出てくる場合があります。それは北ヨーロッパの寒い国ではそうかもしれませんが、アジアの私たちからすると少し違和感を覚えるところもあります。もちろんその建物の省エネは大切なことですが、全体のバランスが重要だと思います。建物単体だけでなく、建物周辺への影響はどうなのか。つくる過程はどうなのか、とか。

「壁をつくります」というときに、例えばヨーロッパの人だったら50~60センチの厚さを思い浮かべるかもしれませんが、私たちだと20~30センチですよね。同じ壁でも、国や土地によってイメージするものが違うのです。重要なことはグローバルで共有できるところと、その場所が持っている特徴をどうやって緩やかに混ぜ合わせていけるのかではないでしょうか。

德永
おっしゃる通り気密性が必要だからといって、壁が厚ければ良いという訳ではないですね。それに、そんな厚い壁を作り続けること自体、そもそもサステナブルではないと思います。

妹島
例えば江戸時代の話として聞いたことがあるのですが、着物は、着物を直す専門の人が町にたくさんいて修繕しながら長く着る。直せなくなったらほどいて仕立て直す。それでもいよいよ駄目になったら雑巾にして使い、最後は燃やして灰にして土に還す。それがまた綿花になるというように、自然に循環していたのだそうです。こういう考え方って日本人ならではの特徴なのかもしれませんけど、グローバルでも重要なのかもしれません。

德永
そうした自然な循環というのは、妹島さんが建築で大切にされてきた「つなぐ」という価値観そのものでしょうし、それはグローバルな社会では、より価値を増すように思います。

妹島
もう30年以上も前にはじめて海外からお声がけいただいた頃に、私は英語が苦手でしたが、開くということを伝えたくて「オープン」という言葉を使ったんです。場所を開くという物理的な意味と、心を開く精神的な意味が日本語の「開く」にはありますから、そういうことを伝えたくて「オープン」という言葉を使ってみました。そのときには全然通じませんでしたが、何年かすると外国の人も「この場所はオープンでいいね」というように普通に使うようになっていました。

お金以外の豊かさとは

德永
妹島さんは、はじめて海外で仕事をされたときから、そうした相互理解が可能だという確信、通用するだろうという思いがあったのですか。

妹島
通用するなんて、思っていませんよ。でも、私に声をかけてきてくれたということは、少しくらいは興味を持ってくれているだろう。そんな感じでしたね。

德永
妹島さんのように、日本人にとっては当たり前のことがグローバルではすごく大切な価値を持つ。私も、そういうことはあると思います。

例えば私たち日本人にとって、売り手良し、買い手も良し、そして世間も良しという「三方良し」の考え方は、説明する必要もないほど当たり前ですが、この価値観を共有できたら、世界中で起きている「分断」という問題を解く道筋にもなり得るのではないか。それは、グローバルにおける日系企業の存在価値となるものだと思います。

妹島
「分断」というのは怖いことで、もっとそれぞれ違う者どうしが一緒にいられるような豊かさがあるといいと思うのです。イタリアでジュエリーデザインの勉強をしていた友達が、「イタリアでは貧しい人は貧しいなりに豊かに生活できる。でも日本では、貧しい人はただの貧乏人になってしまう」と言っていました。高価なごはんが食べられないと豊かではないということではなくて、質素なものでもおいしいとか、みんなで食べるとおいしいとかいろいろなレイヤー、お金だけではない豊かさがあるはずです。

德永
おっしゃる通りだと思います。今の日本では幸せを測る指標が経済的な指標に偏っているように感じますが、人それぞれ幸せの在り方は違うはずです。

妹島
今日本は格差が広がってきています。これまで私たちは、「差」をつくることで発展を進めてきたのではないかと思わされます。技術や価格などさまざまなもので「差」をつくり、利益を得ることが発展でしたが、「差」ではなく「違い」を認めながら一緒にいられるという世界があるのではないか。父系社会というのはピラミッドをつくるけれども、母系社会ではフラットなつながりがつくれるのではないかという話を聞きました。

德永
確かに経済的にみると、私たちが育った社宅のころの方がはるかに貧しかったはずです。うちの母親もよく隣の家にお醤油を借りに行ってましたけれども。

妹島
昔はそういう感じでしたね。それぞれの家に勝手口があって、ご近所同士はそこから行き来して。

德永
物質的には貧しいのですが、心ははるかに豊かだったと思うのです。これは昔が良くて今が悪いということではなくて、いろいろな違いを持った人同士が共存できる社会の豊かさというものを、改めて考えるときが来ているのだと思います。(第4回へつづく)

撮影協力 公益財団法人国際文化会館

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妹島和世(Kazuyo Sejima)
1956年茨城県生まれ。1981年日本女子大学大学院家政学研究科を修了。1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。日本建築学会賞*、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞*、プリツカー賞*、芸術文化勲章オフィシエ、紫綬褒章などを受賞。現在、ミラノ工科大学教授、横浜国立大学名誉教授、日本女子大学客員教授、大阪芸術大学客員教授。主な建築作品として、金沢21世紀美術館*(金沢市)、Rolexラーニングセンター*(ローザンヌ・スイス)、ルーヴル・ランス*(ランス・フランス)などがある。 
* はSANAAとして

德永俊昭(Toshiaki Tokunaga)
1990年、株式会社 日立製作所入社、2022年4月より、代表執行役 執行役副社長 社長補佐(金融事業、公共社会事業、ディフェンス事業、サービス・プラットフォーム事業、社会イノベーション事業推進、デジタル戦略担当)、デジタルシステム&サービス統括本部長/日立デジタル社 取締役会長。