隈研吾氏 建築家 東京大学特別教授・名誉教授/山口周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
古今東西さまざまな都市計画が提示され、人工都市もつくられたが成功例は少ないと山口氏は指摘する。隈氏はそれに対し、計画する際の視点を変える必要があるという。そのために行ったのがネコの行動分析だった。

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「第3回:ネコの視点から都市を見る」
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都市はデザインできるのか

山口
デジタル化による新しい建築システムが可能になると、黒川さんのメタボリズムもうまく実現できるかもしれないですね。


そう思います。思想というのはある種の直感も入っていますし、これからのあるべき姿を示すものですから、その時点でのエンジニアリングとのギャップが生じるのはやむを得ない面があります。時代が変われば現実にフィットしたであろう思想は、建築分野に限らずあるでしょう。

山口
短期間しか使われないものであればともかく、建築物というのは数十年、場合によっては百年単位で残るものですから、のちの世での使われ方、あり方まで見通すのは難しいでしょうね。

同様のことは都市にも言えると思います。都市も建築と同じように、ある賢い人が主体的な意図をもって設計、デザインできると考えられるようになり、19世紀にはエベネザー・ハワードの田園都市論をはじめ、さまざまな都市計画が提示されるようになりました。20世紀の半ば頃になると、イタリアのムッソリーニが構想した新都市EUR(エウル)や、わずか41か月で建設されたブラジルの計画都市ブラジリアなど、ある目的の下に設計した人工都市の建設が盛んになりましたが、うまくいった例は少ないように思います。最近ではデジタル技術を取り入れたスマートシティや超少子高齢化社会に向けたコンパクトシティの構想などが提示されていますが、隈先生は都市をデザインできるという考え方についてはどう思われますか。


都市計画もアルベルティのような人がルネサンスの時代に都市の絵を描き始めたところから始まっています。その後、おっしゃるようにいろいろな試行錯誤が繰り返されて失敗もありましたけれど、基本的に都市計画というものは必要です。ただし時代に合わせて計画のあり方や視点を柔軟に変えていかなければならないと思います。

そのような視点の転換についての提案が、隈研吾展で展示した「東京計画2020:ネコちゃん建築の5656原則」です。デザインイノベーションファームのTakramさんとのコラボレーションにより、ネコの視点から都市を見直そうと試みました。

私有とは異なる所有の概念


日本の都市計画というと、丹下健三先生の「東京計画1960」がよく知られています。皇居から東京湾にまっすぐ線を引き、それに沿って海上都市を展開するという壮大な構想で、コンセプト提案ではありますが都市計画の極北と位置づけられています。

僕たちの提案はそれの2020年版、ただし計画案というよりも計画そのものの概念を反転してみようという試みです。都市を俯瞰する神の視点や人間中心の視点ではなく、身近な人間以外の生物であるネコの視点から都市を見直してみたらどうだろうか。ネコの視点から都市を観察してみることは、与えられた計画では得られない豊かな体験や発見をもたらすということを示したいと考えました。

山口
それでネコにGPSを装着して、行動パターンを分析してみたのですね。


ネコの視点でおもしろいのは、基本的に彼らは隙間というものを連続的な空間としてとらえていることです。僕ら人間は私有という概念に縛られているから、建物や区画に分けて都市を見ているけれど、ネコにとっては関係ありません。物理的なバリアがない限り、すべて自分のものという感覚で縦横無尽に都市をエンジョイしている。それって実は、僕ら人間がそうあってほしいと思う都市像に近いのではないかと思うのです。

山口
サルトルは『存在と無』の中で、「認識する」ことは「持つ(所有)」の一形態であると書いています。例えば、スキーで滑走することで雪原を「私のもの」であると感じるように、知覚によって世界を我有化すると考えると、もっと豊かに世界を認識できるようになると言っているのですが、その感覚に近いですね。


そうですね。ネコの視点を通して街を見ることを通じて僕が表現したかったことの一つが、そのような私有とは異なる所有の概念です。つまり街をエンジョイすることで自分のものにするという感覚と、その方法です。もう一つは、なるべく低いところから空間を捉えることです。これまでの都市は高さを価値基準としてどんどん高層化していき、都市を見下ろすことに意味を持たせていました。それに対してネコは地面の近くを、地面のテクスチャーを認識しながら歩きます。そうしたネコの行動を通して下から眺める街のかたちを、そうしたネコの行動を通して下から眺める街のかたちを、「テンテン(DISCRETE)」、「ザラザラ(ROUGHNESS)」、「シゲミ(BUSH)」、「シルシ(TERRITORY)」、「スキマ(GAP)」、「ミチ(TRACKS)」という六つのキーワードで表現し、「5656(ゴロゴロ)原則」と名づけました。

今回、協力してもらったネコは半ノラ、飼い主の家というハコの中ではなく、複数の人からエサをもらいながら街の中で自由気ままに生きるネコたちです。そのような「ネコ」という存在は、従来の緻密な「都市計画」というものの対概念のように位置づけられるのではないか。彼らのように自由に居場所を持てる都市はどうだろうか、という問いかけが「東京計画2020」なのです。(第4回へつづく)

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隈 研吾(くま・けんご)
1954年生。1990年、隈研吾建築都市設計事務所設立。慶應義塾大学教授、東京大学教授を経て、現在、東京大学特別教授・名誉教授。30を超える国々でプロジェクトが進行中。自然と技術と人間の新しい関係を切り開く建築を提案。主な著書に『点・線・面』(岩波書店)、『ひとの住処』(新潮新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『自然な建築』、『小さな建築』(岩波新書)、他多数。

山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。電通、ボストンコンサルティンググループなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。
著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社)、『武器になる哲学』(KADOKAWA)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。最新著は『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。