漫画家・文筆家 ヤマザキマリ氏 / 株式会社 日立製作所 執行役副社長 德永俊昭
ビジネスで大きく変わったのは、リモートが主役に躍り出たこと。家に居ながらにして世界中の人とやり取りできる利便性は感じつつも、リアルな繋がりがない分、「孤独との闘い」であり精神面に不調をきたしやすい傾向がある。人間は精神性の生き物なので、精神の安定のために便宜性を追従しすぎないことが重要であり、ドイツやイタリアではいち早く芸術家の活動支援を行ったとヤマザキ氏。一方、コロナ禍のアメリカに駐在した德永は、そこで見聞きした不思議な経験を引き合いに出しながら、誰かに頼りすぎることの危険性を語ります。

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リモートの功罪とは

ヤマザキ
德永さんのコロナ禍での暮らしはいかがでしたか。

德永
昨年は8カ月間、アメリカで家族と離れてひとり暮らしでした。仕事はしていましたが、すべてリモート。通勤がなくてとても便利な反面、ずっと家の中でのおこもり生活は、ヤマザキさんもおっしゃるように、本当に精神をやられます。

周囲の人たちが、アイツはなにかおかしいって心配してくれて、そういう時は、朝同じ時間に起きて散歩したほうがいいよと言われました。言われた通り散歩してみると、あ、自分、本当に変だったんだって気づかされました(笑)

ヤマザキ
コロナによって及ぼされる副作用は身体的なものよりも、精神面のほうが大きそうですよね。パンデミックは、戦争に匹敵するくらいの精神面へのダメージがあると思うのです。さらにタチが悪いのは戦争と違って目に見えるものでもなく、社会が荒んでいく有り様が顕在化しないので、人々が苦しんだり傷ついたりしているのがはっきりと見えていないことです。

德永
しかも、リモートで仕事ができてしまうので、傍から見るとうまく対応しているような感じに見えるけれど、バーチャルに頼っている部分が多いほど、リアルでの繋がりがなくて、知らないうちに擦り減っていく感じがします。

こういう状態でどのようにコミュニケ―ションを補完していくのか、仕事でもプライベートでも重要なテーマだと思いました。

不便さは想像力を働かせる

ヤマザキ
イタリアに留学していた当時はFAXもなくて、国際電話も高くてかけられないので、日本の家族や友だちとは文通をしていました。言いたいこと、伝えたいことをじっくりと考え、想像力を使い、言語化した分厚い手紙をやり取りする。今、20歳ごろに書いた日記や友人からの手紙を読むと、哲学者みたいなことが書いてあって、皆今より積極的に脳を稼働させていたなと痛感しました。それが今では……。

德永
ヤマザキさんでさえ想像力が稼働しなくなってきているわけですね。やはりリアルな接点をどこかで、濃密に持たないと人間がもたない。想像力がどんどん擦り減って、創造的な仕事ができなくなってしまう。

ヤマザキ
便宜性ばかりに解決策を求めるのではなく、あえて不便だなと思う状況においたほうが脳みそは活性化し、精神的に健やかになれると思うのです。

スティーブ・ジョブズも、便宜性というものを短絡的には追従しなかった人です。不便でいい、使いにくいほうが想像力を焚きつけられるし、人というのは実はそのほうが面白いはず、という姿勢を貫いているところが彼の考え方の魅力でもあります。

德永
そういえば、iPodの初期モデルなんて5GBしか入らなくて、みんな容量が少ないと言いつつ、やっぱり買っていましたね。そして楽しみながら、本当に入れたい曲を選んでいた。

ヤマザキ
そこがいいんですよ。本当に聴きたい曲を選ぶことになるわけだけど、そこで既に想像力の稼働が求められる。選択という想像力のスイッチが入る。

德永
日立も今、ソリューションビジネスを標榜していて、社会や経営、人々の課題を解決することに全精力を注いでいますが、人間は若干不便があったほうが実際は心地良かったり愛着を持ったりすることができるわけですね。

ヤマザキ
今回のパンデミックが始まって間もなく、ドイツのメルケル首相は、芸術家やフリーランスに5000ユーロの支援金を振り込みましたよね。忘れてはならないのは、人間というのは精神性の生き物であって、体だけ栄養を与えていればいい生き物ではないということです。体とメンタルのバランスが崩れると、倫理も理性も良識も持たない野蛮人と化してしまいます。脆弱化した時ほど人間はそのバランスを崩す傾向が強くなる。芸術という経済生産性とつながりがないようなことを栄養素として取り入れないと、ものすごくプリミティブな社会になってしまうのではないでしょうか。

ちなみにイタリアもポルトガルもいち早くフリーランスと芸術家にお金を振り込んでいますが、それには過去の経験が影響しているようにも思います。

14世紀にヨーロッパで流行した黒死病では欧州の3分の1の人口が減ったと言われています。人々が心身ボロボロになっているところに、フィレンツェの生き残りの銀行家が芸術家にお金を出して、人々が生きる勇気を持てるような作品を作ってもらうようになった。取っ掛かりは銀行家の権力のアプローチでもあったわけですが、それでもそれをきっかけに100年くらいのスパンで精神性の領域がマックス状態になっていきました。それが要するにルネサンスという精神改革だったわけです。アフターコロナの参考にしていただきたいですね。

德永
つまり、今は変わるチャンスでもあるわけですね。

ヤマザキ
はい、まさにチャンスです。だから狭窄的な視野にとらわれず、想像力を稼働させることはとても大切なんですよ。

德永
見えない後半部分を、自分の想像力で付け足せる仕組みが重要ですね。

自分の頭で考え行動することが大切

ヤマザキ
ところで、アメリカのコロナ対策は良くも悪くも注目されました。実際に暮らしていて、どのようなことを感じていましたか。

德永
コロナはみんなで協調して社会全体で解決に向かう契機になるはずが、その逆の動きがたくさん起こってしまい、それに賛同した人たちと、そうでない人たち、誰かの強い言葉に乗っかる人と、自分なりに想像力を働かせて進もうとする人たちで混然一体となってしまった。どれが本当のアメリカの姿なのか、よく分からない部分がありました。

飲食店の営業停止や外出禁止という強制力に対し、必ずしもそれに従っている人が多いわけじゃない。マスクもするのは嫌だと声高に叫ぶ人たちもいる。しかし、ワクチンができて、さぁ打つぞと決まったら、整然とデジタル化して一気にやり切る。この温度差はいったい何だろうという不思議な感じがしました。

ヤマザキ
一つの問題に対し、世界の国々を一斉に協調させることは本当に厳しいということと、人は自分の頭で考えて行動せず、そんな民衆をまとめるリーダーのあり方がこれほど問われたことは今までなかったんじゃないでしょうか。ビジネスでも政治でも文化面でもすべての分野に対して言えることだと思うのですが、とにかく誰も責任を背負いたくないので、困ったことが発生すれば誰かが救ってくれるのを待つ。人に対する忖度で何もかも稼働させようとする。そういうやり方にはやはり今後の未来を考える上でも危険性を伴っているように感じます。

德永
危険ですね。それに気づくことができたのが逆に言うと、コロナのポジティブな部分かもしれないですし、想像力の欠如にも気づくことができました。

ヤマザキマリ Mari Yamazaki

1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞。第14回手塚治虫文化賞短編賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ授章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

德永俊昭 Toshiaki Tokunaga

1990年、株式会社 日立製作所入社、 2021年4月より、日立製作所 代表執行役 執行役副社長 社長補佐(システム&サービス事業、ディフェンス事業担当)、システム&サービスビジネス統括責任者兼システム&サービスビジネス統括本部長兼社会イノベーション事業統括責任者/日立グローバルデジタルホールディングス社取締役会長兼CEO。
2021年4月からは米国駐在から帰国し、国内拠点からグローバルビジネスを指揮している。

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