「第1回:ポーター賞の審査基準。」はこちら>
「第2回:戦略はトレードオフにあり。」はこちら>
「第3回:『やらないこと』を決め、『やること』を徹底する。」はこちら>
「第4回:戦略の起点はコンセプトにあり。」はこちら>

※本記事は、2021年1月7日時点で書かれた内容となっています。

ポーター賞に関わってきてつくづく思うのは、「えっ、こんな会社あったんだ」というノーマークの素晴らしい戦略がまだまだ存在するということです。そんな発見のひとつが、2020年に受賞したミルボンです。僕はこの会社のことを、ポーター賞まではまったく知りませんでした。

ミルボンは、美容室専門にヘアケア商品を製造販売している会社です。量販店や薬局で販売されている一般消費者向けのヘアケア商品は扱っていません。この会社の戦略が独自なのは、何よりそのコンセプトです。顧客である美容院の増収増益をビジネスのコアにしている。販売している商品そのものはヘアケア商品なのですが、本当に売っているものは、どうすれば儲かるのか、その武器を美容院に提供するということです。

例えばミルボンには、美容室への技術教育を支援するフィールドパーソンシステムという仕組みがあります。営業担当だけではなく教育担当の人間が、日常的に顧客である美容室の成長を支援するさまざまなサービスを提供する。日本には約25万軒の美容室があるそうですが、その中でも成長意欲の高い、経営に積極的な美容室をターゲットにしています。

どうやって美容室の増収増益に貢献するか。トップクラスの美容師には、自分だけの特別な技術がある。ミルボンはこれを研究して製品に落とし込み、使用法も含めて誰もが同じようにその技術が使えるよう標準化して、顧客である美容室に提供しています。

例えば1990年代のことですが、シニアの女性の間に「立体感や高度な質感を出すヘアカラー」という流行があったそうです。先端的な美容師は、ホイルワークという独自の技術でこのニーズにこたえていた。ホイルワークというのは、アルミホイルで髪を幾つかのブロックに分けて、複数の色味で塗り分けて質感や立体感を出すという技術で、当時は一部の美容師にしかできないことでした。

ミルボンは、最適な発色速度とか薬剤の粘度を独自に追求して、誰でもホイルワークができる製品を開発し、それを技術マニュアルと一緒に顧客に提供しました。美容室は、この製品と技術を使ったカラーリングをセールスポイントにすることで増収増益となり、その結果、ミルボンの収益も上がる。

これまで長年かけて培ってきた美容室との関係の深さがまたすごい。コアの顧客になっている美容室は、売り上げデータや経営データをミルボンに提出して、そのデータを分析してもらうことで美容室のさらなる増収増益の施策を提案してもらうそうです。そこまでの強い信頼関係が、美容室との間に出来上がっているということです。

ミルボンは、今のところまだ日本での売り上げが多いのですが、この戦略をそのままアジアを中心とする海外に展開しようとしています。商品ではなく戦略を輸出する企業として、グローバル展開にも期待できます。

これまで知らなかったしびれる戦略に出会える。これが毎年ポーター賞の仕事をしている僕の大きな楽しみになっていますし、大いに勉強になります。20年間ポーター賞と関わってきて実感するのは、「日本企業」とか「日本的経営」という集合名詞にはほとんど意味がないということです。

競争戦略はすべて特殊解であり、一般解や「正解」はありません。ヘアケア業界ひとつとっても、一般消費者にブランド力で訴求する資生堂もあれば、ミルボンのようにプロ向けに特化したプレイヤーもいる。外食産業でもセントラルキッチン方式で効率を追求するサイゼリヤがあれば、店内で完結したオペレーションにこだわる丸亀製麺もある。まったく戦略が違うし、提供する価値も異なる。

「日本企業」とか「日本的経営」で括ってしまうと、本来企業の戦略が持っている個別性が失われて、「平均像」しか見えなくなってしまいます。それを見て、閉塞感だとか、右肩下がりだとか言っていても仕方がありません。戦略に限って言えば、平均像には意味がありません。単に業績が良いとか商品がヒットしているとか、DXのような話題の経営施策だけを断片的に見るのではなく、その深層にある個別の事業の戦略をよく見なければ、競争力の正体は分かりません。そのためのチャネルとしてポーター賞をご活用いただけたら幸いです。「うちの戦略も素晴らしいぞ!」という方、ポーター賞はフリーエントリーになっておりますので、ぜひご応募ください。募集要項はこちらになります。

https://www.porterprize.org/judge/index.html

ここでは紹介しきれなかった話をお届けする、楠木建の「EFOビジネスレビュー」アウトテイクはこちら>

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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