「第1回:ポーター賞の審査基準。」はこちら>
「第2回:戦略はトレードオフにあり。」はこちら>

※本記事は、2021年1月7日時点で書かれた内容となっています。

ポーター賞受賞企業の競争戦略にみるトレードオフの話を続けます。2020年、最新の受賞事業に楽天銀行があります。この銀行は対面の店舗や自前のATMを持たず、インターネットに限定して営業を行っている、いわゆるネットバンクです。もちろん今はどんな銀行でもインターネットでサービスを行っていますし、楽天銀行以外にもインターネットに特化した銀行はあります。ではなぜ楽天銀行が受賞したのか。それは徹底したトレードオフにあります。

楽天銀行は、普通の銀行にあるサービスはほぼすべてやっています。外貨預金も含めた預金、融資、教育ローンや住宅ローンはもちろん、振り込みや送金の決済サービス、資産管理などをフルサービスで提供しています。しかし他の銀行と異なるのは、これらのサービスのほとんどすべてがひとつのアプリケーションで提供されているところです。すべてのサービスがスマートフォンのアプリで利用できるようになっていまして、しかもこのアプリがとても使いやすい。

なぜこのアプリが使いやすいのか、それはシステムの開発から運用、保守まですべてを社内で内製しているからです。金融のオンラインシステムは複雑かつ高度なものなので、専門の企業に外注するのが普通です。ところが楽天銀行は、外注しないでシステムを内製している。だからこそ、顧客にとってわかりづらい点とか、使っていてストレスを感じる点など顧客による評価をスピーディーに特定し、改善を行うというサイクルを高速で回すことができる。

これは、リアルな店舗を持たないというトレードオフがあるからこそできることです。やること・やらないことのメリハリが効いている。やらないことをはっきりさせる一方で、やることについては徹底的にやる。リアルなオペレーションのコストがかからない分、リソースをすべてネットバンクの生命線であるアプリケーションとシステムに投入する。システムの内製に徹底してフォーカスしたから、高速サイクルを回すことができ、これが結果として強い競争力になっています。トレードオフが競争の力になるというお手本だと思います。

他にもトレードオフの重要性を知る例をご紹介しましょう。ご存じない方が多いかもしれませんが、プロシップという一部上場企業があります。固定資産管理業務に特化したパッケージソフトウエアの開発・販売を行っている企業で、収益性は極めて高い。

多くの企業にとって固定資産管理というものは、売り上げを伸ばしたり会社を成長させる効果があるわけではないので、非常に地味な分野です。しかしそれは税制上絶対に必要とされるものであり、しかも制度変更が頻繁に行われるので、最新の専門的な知識が必要となります。しかもお客さまは大企業が多いので、海外に支社もある。国によって税制は違いますから、さらに固定資産の管理業務は複雑になります。これをワンストップで全部面倒を見る。これも、固定資産管理という業務にフォーカスし、他を捨てたからこそ、やることについては徹底的にできるというトレードオフの例です。

同様にBtoBの例が、マニーです。手術用の針や眼科手術用のナイフ、歯科治療用のドリルなど、極めてセンシティブな品質が問われる医療機器を開発・販売しています。例えば眼科手術の時に使われるナイフには、切れ味やしなやかさなど、あらゆる面で繊細な医師の要求にこたえる品質がなければ継続して使ってはもらえません。なぜマニーはこの品質を実現できるのか。それは製品寿命の長い製品しか開発しないというトレードオフがあるからです。

製品寿命の長い製品だけを開発することによって、長期にわたる品質改善とコスト低減を積み重ねられる。医師に選ばれる品質を実現するために、製品寿命の短い製品には手を出さない。非常にトレードオフがはっきりしています。

マニーは、1.医療機器以外扱わない 2.世界一の品質以外目指さない 3.製品寿命の短い製品は扱わない 4.ニッチ市場(年間世界市場5,000億円程度以下)以外に参入しない という4つの「やらないこと」を戦略立案の基準としています。

マニーは海外工場で生産していますが、生産拠点を選ぶ時にも人件費の安さでは絶対に選ばない。なぜかといえば、マニーの品質を担保するためには微細な検査など根気強い作業が不可欠になります。ですから、そういう人間性を持った国に工場を作る。

工場を作るときにも、自治体の用意した工業団地ではなく、自分たちの選んだ町に建てる。なぜかといえば、その町の人を採用して働いてもらうことでみんながファミリーになり、長く働く人が増えることで習熟度が高まり、品質の向上につながるからです。

過去の受賞事業を見ると、つくづく戦略というのはトレードオフであるということがおわかりいただけると思います。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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