※本記事は、2021年1月7日時点で書かれた内容となっています。

僕が今勤めている一橋ビジネススクール国際企業戦略専攻、通称ICS(International Corporate Strategy)は2000年に開校したビジネススクールです。ポーター賞は、このICSが運営しており、2001年のスタートから今年で20年目を迎えます。ポーター賞は、独自性のある戦略で高い業績を上げている事業を表彰する賞でありまして、3つの重要なポイントがあります。

ひとつ目は、独自性のあるすぐれた「戦略」を表彰する賞であるということです。ビジネスの世界では何かと尺度を作ってその結果を表彰するさまざまな賞があります。例えば成長している企業のランキング、株価の時価総額が上昇した企業のランキング、最近ですとESGにすぐれた企業のランキングなどです。ポーター賞の場合、高い業績を上げていることは大切なのですが、その業績を作り出す理由である「戦略」の中身、そこに注目しています。つまり、「結果」ではなく「理由」を評価するというのが、最初のポイントです。

「戦略」という多分に定性的なことを評価するため、その審査は相当な手数を尽くして行っています。最初のアクションは企業の側から応募していただきますが、一次審査は、「戦略」を記述した書類を見てスクリーニングをします。二次審査は、さらに「戦略」について詳細に記述してもらったものを出していただき、それを運営委員会が精査した後に実際に一社一社の経営者とお会いして大体2時間ぐらいのインタビューを行う。非常に手数をかけたプロセスで審査をしている賞なんです。

2つ目のポイントは、独自の戦略で高い業績を上げている「企業」ではなく「事業」を表彰する賞だということです。例えば日立のような大きな企業というのは、さまざまな事業の塊をまとめている器なわけです。リーマンショック後のV字回復、事業の売却や買収など積極的なポートフォリオの組み替えといった日立の動きというのは、社長が意思決定をしている企業という単位の話です。ポーター賞は、この日立という企業を丸ごと表彰するということではなく、あくまでも事業単位で評価する賞です。例えば日立の中の「鉄道システム事業」が応募の単位になり、評価の単位になります。

なぜ企業ではなく事業を評価するのか。経済のエンジンは企業ですが、その企業のエンジンは何かといえば、それは事業です。例えば、ソニーとパナソニックは企業単位で競争はしていません。実際に競争をしているのは、例えばソニーとパナソニックのテレビ事業であり、その市場ではLGもサムスンも競争をしているわけです。つまり競争の主体は事業であり、ここにしか競争戦略はない。論理的に言ってポーター賞は事業を対象にすることになります。

3つ目は、「収益力」というものが評価ポイントになっているということです。これまでも申し上げてきましたが、企業あるいは事業の目標設定で一番重要なのは「長期利益」です。具体的には、ROS(売上高利益率)とROIC(投下資本利益率)、この2つを今の数字だけではなく過去5年間までさかのぼって精査します。その時にわれわれが注目しているのはROSやROICの絶対値ではなく、業界の平均からの乖離(かいり)です。例えば、製薬業界は全般的に収益率が高い。それに対して卸売業界は、収益率が低い。個々の戦略の巧拙以前に、その業界がそもそもどれぐらいもうかりやすい構造にあるのかで収益性は大きく変わってきます。

すぐれた戦略で極めて高い業績を上げているポーター賞の受賞企業トラスコ中山は、間接資材の卸売業界で競争しています。トラスコ中山のROSやROICを、製薬会社と比べても意味はありません。ですから、卸売業界の平均値からの乖離を見る。この計算をするだけでもかなりの手間が掛かるということはおわかりいただけると思います。

事業の経営スタイル、稼ぐ軸足をどこに置くかというのは、大きく2つに分けられると思います。ひとつは、事業を取り巻く環境から機会をうまくとらえて稼いでいく「オポチュニティ」。もうひとつは、事業の中で独自の価値を創り出すことで稼ぐ「クオリティ」です。

オポチュニティ経営というのは、経済の成長期に主役になるスタイルです。経済成長の段階にあると、外部環境も追い風が吹くわけですから、次から次に新しい収益の機会が生まれます。かつての日本でいうと、三井や三菱といった財閥はまさにオポチュニティ経営の産物でした。岩崎彌太郎や渋沢栄一は、明治維新の頃にがんがん出てきた新しい機会をとらえることで成長し、ものすごく幅の広いポートフォリオを持った財閥を作り上げた。

韓国でも、経済成長したときにヒュンダイのような財閥が生まれました。中国も、アリババやテンセントといった企業がまさにオポチュニティ経営のスタイルで追い風をとらえてきました。つまり、オポチュニティ志向の経営というのは、かなり「投資」に近い。「これからはここが儲かるから攻めるぞ」という投資判断が、モノを言う。

高度成長期が終わり、完全な成熟段階を迎えている日本では、オポチュニティ経営で徹底している企業を見つけるのは難しくなってきています。しかしDMM.comのように、テクノロジーを活用して新しいオポチュニティをとらえることで、横に広い事業構造を持つ企業があります。今の日本のオポチュニティ経営の総大将はソフトバンク。もはや投資会社といってもよいでしょう。

こういったオポチュニティ経営とクオリティ経営は、どちらが一方よりもより優れているという話ではありません。ただし、成熟した日本では、主役はクオリティ経営です。外部環境のオポチュニティは成熟とともに小さくなっていく。企業の内部で作る独自のクオリティが稼ぐ上で重要になってくるのは、当たり前の成り行きです。ここで「クオリティ」というのは、製品の品質とかサービスの質ということではありません。その背後にある独自の価値創造のプロセス全体、つまり戦略ストーリーのクオリティを問題にしています。ポーター賞は、優れた戦略とはどういうものか、それはなぜ優れているのか、多くの人々に学んでいただくことを目的として生まれたアワードです。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:戦略はトレードオフにあり。」はこちら>

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