ダボス会議でも膨張を続ける資本主義への警鐘が鳴らされているが、そもそも資本主義はこれまでどのように論じられ、発展してきたのか。アダム・スミスからマルクス、ケインズへと至る経済学の流れを振り返りながら、資本主義のあるべき姿を考える。

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「グレート・リセット」に求められる覚悟

――資本主義そのものを問い直す動きは、識者の間でも広がっていますね。開催が延期となった2021年のダボス会議のテーマは「グレート・リセット」です。そのことについてクラウス・シュワブ世界経済フォーラム会長は、「第二次世界大戦後から続くシステムは異なる立場の人を包み込めず、環境破壊も引き起こしている。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきである。資本主義という表現はもはや適切ではない。金融緩和でマネーがあふれ、資本の意味は薄れた。いまや成功を導くのはイノベーションを起こす起業家精神や才能で、むしろ『才能主義(Talentism)』と呼びたい。」ということをおっしゃっています。

水野
「グレート・リセット」は急がなければならないと、私も強く思います。ただし、彼らの言う「より公平で、持続可能で、強靱な未来」は、リーダーの相当な覚悟がなければ実現できないでしょう。貧困問題に取り組んでいる国際NGOオックスファム・インターナショナルは、毎年ダボス会議の時期に世界の不平等に関する年次報告書を発表しています。2020年1月の報告書では、10億ドル以上の資産を持つビリオネアの数が過去10年間で倍増し、世界の最富裕層2,153人が保有する資産は、世界人口の6割以上にあたる最貧困層46億人のそれよりも多いとしています。オックスファムの統計方法には異論もあるものの、これが事実なら驚くべき数字です。また、世界の最富裕層1%が追加の財産税0.5%を10年間支払えば、高齢者介護、保育、教育、保健の業界に1億1,700万人分の雇用を創出可能な金額を賄えるとも報告されています。

この絶望的な格差が解消されなければ、公平な社会は実現できません。世界のリーダーにそれができるのかが問われているのだと思います。

――富裕層の中には、富を社会に還元して活かすことに取り組んでおられる方もいらっしゃいますが、よりお金を増やしたいという欲望は人間の中に根強くあると思います。資本主義の行き過ぎによって人間らしさが失われつつあることに気づいていない人も多いのかもしれません。

水野
キリスト教の七つの大罪の中にも資本主義と関わりの深い「強欲」の罪が入っているぐらいで、金銭欲や物欲をどう抑えるか、欲望というものをどうコントロールするかということは、昔から人間にとっての課題だったわけですね。

アダム・スミスは『国富論』で知られていますが、実は倫理学者で、『道徳感情論』でも「共感」や「憐憫の情」が社会を守るために必要であることを説いています。彼は、自由な経済活動は最低限のモラルを守ったうえで行われるものでなければならないと考えていました。誰かが欲張りすぎれば国民全体の豊かさにはつながりません。けれども、彼が何を言ったところで強欲な人は聞く耳を持ちませんでした。

資本主義が欲望を増大させる

水野
それから100年ほど経って、カール・マルクスが市場経済の不平等性を批判します。マルクスは『資本論』の中で、「地球が太陽に落下でもしない限り、資本家は利潤の追求をやめない」という意味のことを書きました。そして、強欲な資本家はモラルなどでコントロールできないため、国有化が必要であると主張しました。けれども、国有化したら今度は役人が強欲を発揮するようになり、旧ソ連の社会主義システムは一世紀ともたずに破綻したわけです。

20世紀に入ると、ジョン・メイナード・ケインズが彼らとは異なる視点での経済論を唱えました。「お金の流動性を手放す代償が利子である」、つまり金利を上げると人々がお金を抱え込まずに銀行へ預け、そのお金が企業に投資されて経済が循環・発展していくという考え方です。それ以前の市場任せの経済政策から、赤字財政と公共投資で経済を回していく、いわゆる「大きい政府」への転換を強調したことは革命的で、ケインズ理論は第二次世界大戦後の経済政策の主流となっていきました。ただ、経済政策という面では勝利したケインズ理論も、経済思想という面では敗北しました。

――それまでの自由主義経済が招いた資本主義の危機は1930年代の大恐慌というかたちで顕在化したわけですが、政府の役割の増大によって所得分配の平等化をめざすケインズ理論によって資本主義が修正されたことで、結果的に資本主義そのものが延命したということですね。

水野
そうです。ケインズは「経済学はモラル・サイエンスであって自然科学ではない」と言っています。「内省と価値判断を用いるものだ」と。しかし、1960~70年代に資本主義が再び不安定化すると、そうしたケインズ経済学と対峙する新自由主義、マネタリズムが台頭し、金融政策重視の経済運営が主流になっていきます。ケインズは「財産としての貨幣愛は半ば犯罪であり半ば病理的な性癖」と言いましたが、ゼロ金利になれば、貨幣愛を追求する必要がなく、むしろ禁止しなければならないというのがケインズの考え方です。そして、金融規制を緩和・撤廃する政策が、その後の金融バブルと金融危機を招いたことは言うまでもありません。

ケインズは、1930年に発表した『孫たちの経済的可能性』というエッセイで、シェイクスピアの『マクベス』の冒頭で魔女が語る「きれいは汚い、汚いはきれい(Fair is foul, and foul is fair.)」という台詞を引用しています。ケインズは、その台詞を「有用なものは不正であり、不正なものは有用である」といった意味で用いました。彼は、イギリスの外国投資の始まりはフランシス・ドレークによる海賊行為だと書いています。ドレークは1577年に世界一周の旅に出航し、各地で奪った莫大な財宝を持ち帰りました。女王エリザベス1世はこの遠征に資金提供をしており、得られた配当金でイギリスは対外債務を精算し財政を健全化、さらに余った資金の投資が東インド会社の設立につながりました。当時、海の上での略奪行為は法律的には許されていましたが、他人の財産を奪うということは不正ですよね。

このように、投資と資本の蓄積という有用なものには、不正が働くこともある。ただそれが国民生活の向上につながるのであれば大目に見ることができる。しかし、それ以上必要ではない、過剰な資本の蓄積については不正を不正とみなすべきだというのがケインズの考えでした。日本のようなゼロ金利の国で、賃金や保障を犠牲にしてまでも資本を蓄積しようとするのは間違っているとケインズは言うでしょう。

水野 和夫(みずの・かずお)

1953年、愛知県生まれ。埼玉大学大学院経済学科研究科博士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)などを歴任。主な著作に『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』(以上、日本経済新聞出版社)、『資本主義の終焉と歴史の危機』、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(以上、集英社)など。

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