今日の社会では、政治をはじめとする人間がつくり出したシステムへの不信が高まり、「正統」というものが揺らいでいる。新たな正統がどのように生み出されていくのかという問いに、森本氏は、秩序(正統)が失われたときはいったんコスモスに還ることにより、新たな秩序がつくられていくと説く。その営みにおいて宗教が大きな役割を果たすという。

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コスモスに還り、落ち着きを取り戻す

山口
先生は、『異端の時代 正統のかたちを求めて』の中で、宗教史における「異端」と「正統」の関係を切り口に今の世界を読み解かれています。異端は正統の中から生まれ、それまでの正統や権威を否定して新しい価値観を構築するものであるから、正統が危機にある今の世界では異端もまた生まれない、と。

社会学者のエミール・デュルケームは『自殺論』の中で、近代社会はアノミー社会、つまりそれまでの秩序が不安定化し、共同体とのつながりが弱まり一人ひとりが漂流しているような社会であると言っています。これは正統の解体と言えると思うのですが、政治などの既存システムに対する不信感が強まり、これまで正統と思われていた存在の権威が失われている中で、これからの正統はどう生み出されていくのでしょうか。

森本
正統というのは僕の考えだとノモスです。アノミー(anomy)の語源であるアノモス(anomos:社会秩序が乱れて混乱した状態)に対してのノモス(nomos)。つまり政治、法律、慣習や伝統文化といった人間のつくり出すものですね。それらは、正常に機能している間は当たり前のものとして受け止められ、誰もその存在に気がつきません。だから正統なのです。ところが、いったん危機が訪れると主題化するわけです。

山口
前面に出てくる。

森本
はい。逆に言うと、正統であることを主張せざるを得ないということは、それが揺らいでいることを意味します。誰もが無意識に前提としている正統が壊れるということは、いわば自分が安定して立っていた大地が割れて、カオスが覗く、アノモスが顕在化するということです。日本の歴史で言えば1945年8月15日の終戦のように、それまで前提としていたものがすべて崩壊して、価値観がひっくり返ってしまった状態です。

宗教学的にいうと、そのようなときにはコスモス(cosmos)に還ります。コスモスとは調和のとれた自然秩序ですから、まさに「国破れて山河あり」という感覚ですね。国が破壊され、ノモスが壊れた。だけど故郷には昔ながらの山があり、川があり、その自然の秩序に還ることで、落ち着きを取り戻すことができる。ですから、正統が見えない時代には、まずコスモスに再接続して原初的な感覚へ還ることが必要ではないかと思います。

観念から離れ、ウェルビーイングを考える

山口
なかなか表現が難しいですが、正統ということについて考えると、観念の虜みたいになってしまうところがありますね。

森本
はい。ノモスの虜と言ってもいいです。

山口
でも、自然状態における人間のウェルビーイングというものは、本来、観念とは離れたところにあるわけですよね。人間のつくった条理が解体されたとき、それこそイエスが言った、一人ひとりの心の中にある神の国というものに近いのかもしれませんが、自分のウェルビーイングな状態というものを改めて考えてみる。それによって秩序が再構築されていく可能性があると。

森本
そうですね。僕がイメージするのは、映画『もののけ姫』のラスト、文明と自然との戦いが終わり、枯れた山に緑が戻っていくシーンです。人間のつくり上げたノモスは、コスモスの上に乗っています。ですから、ノモスが壊れたら元のコスモスにいったん戻って落ち着きを取り戻し、それからまたノモスをつくり直せばいい。その原点回帰という営みにおいて宗教が大きな役割を果たしているのだと思います。

山口
そう伺うと希望が持てます。

宗教に関連して言うと、日本人は無宗教だとよく言われますね。それについてはどうお考えになられていますか。

森本
多数派の宗教というのは、そういうものです。ヨーロッパで毎週教会へ通っている人がどれぐらいいるでしょうか。宗教というのは一種の価値観、世界観ですから、国家が成立する過程で一緒に組み込まれていくデフォルトなのです。日本の場合は仏教、あるいは神道が組み込まれながら国が形づくられ、お正月やお盆などの年中行事もそれらを背景として成立してきました。意識しなくても日本人の世界観の根底には仏教や神道がある。そう考えると、完全な無宗教だと胸を張れる人はあまりいないのではないでしょうか。

山口
まさに先生がおっしゃられた「正統」ですね。ある意味で前提になってしまっているもの。

森本
そうです。僕らは頭で物を考えがちですが、宗教というのは頭から下の話なのですよ、実は。

森本 あんり(もりもと あんり)

1956年神奈川県生まれ。国際基督教大学人文科学科卒,東京神学大学大学院を経て,プリンストン神学校大学院博士課程修了(組織神学)。同校やバークレー連合神学大学で客員教授を務める。国際基督教大学人文科学科教授等を経て,2012年より2020年まで同大学学務副学長。専攻は神学・宗教学・アメリカ研究。近著は『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書),『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書),『異端の時代 正統のかたちを求めて』(岩波新書)など。

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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