「第1回:コロナ禍で始まった私のリモートワーク」はこちら>
「第2回:環境の変化に自分を慣らしていく」はこちら>
「第3回:何もしない時間をつくることの大切さ」はこちら>
※本記事は、2020年8月19日時点で書かれた内容となっています。
坐禅による心の調え方
誰でも考えるのをやめようと思うとどうしてもまた考えてしまいます。ですから、禅宗ではただひたすらに余念を交えずに坐りなさいと教えています。これを只管打坐(しかんたざ)と言います。つまり考えるのをやめなさいというと難しいことになってしまうので、まず背筋をしっかりと伸ばして坐り、自分の呼吸に意識を集中させていく。これをすることによって、自然に心が調っていくというわけです。身体の方が調っていけば自分にとってちょうどよい呼吸のリズムとなり、自然に心の方も調っていきます。まずは自分のいまの呼吸に集中して始めることが大事だと思います。
在宅勤務になった皆さんが家庭の中で本格的な坐禅をするのはとても難しいと思います。お寺でやるようにきっちりと足を組んで、20分間にわたって坐り続けるのは大変で、5分もすれば足が痺れて辛くなるかもしれません。でも心を調えるやり方は別にもあります。たとえば、椅子に座っている状態でも、背筋を伸ばして2分でも3分でもいいから自分の呼吸を数えていくという方法です。吐く息を心のなかでひとーつ、ふたーつと10まで数えたら、また1に戻って10までやり、これを繰り返していきます。これは数息観(すそくかん)という方法で、坐禅の一番初歩的な心の調え方とされています。本来はこれを20分間くらい行うわけですが、家庭では子どももいて難しいでしょうから、一日のなかでちょっと気が向いたときに何回かやればいいと思います。場所はとりあえずどこでもいいですし、それだけでもずいぶんと違ってくるはずです。
心を調え、心の復元力を待つ
いまの若い人たちには分からないかもしれませんが、昔、川上哲治さん(1920~2013)という方がいました。戦後のプロ野球で、読売ジャイアンツの名選手として鳴らし、現役引退後は王貞治選手や長嶋茂雄選手を率いて読売ジャイアンツのリーグ9連覇を成し遂げた伝説の名監督でもあります。この人はよく坐禅をされていたそうで、『球禅一如の野球道・勝機は心眼にあり』(ベースボール・マガジン社刊)という著書もあるくらいです。その修行の場となっていたのが、岐阜県美濃加茂市にある正眼寺(しょうがんじ)という禅道場で、そこの住職の梶浦逸外老師(1896~1981)について禅を学ばれています。
先日、この正眼寺の現在のご住職・山川宗玄老師と食事をする機会があり、いろいろなお話をするなかで、川上哲治さんのお話が出てきました。「巨人軍での仕事はなかなか忙しくて、坐禅を組むのもままならない。だから自分はトイレのなかで坐禅をした」と、ご本人から聞いたことがあると。考えてみれば確かに良い空間だと思います。ただ20分間も出てこなかったら怪しまれますが、2,3分であれば、ちょっと姿勢を正して呼吸を調えて坐ってみるのもいいと思います。武田信玄公は厠(いまのトイレ)のなかで戦略を考えたという逸話も残っているくらいなので、きっと落ち着く良い空間なのかもしれません。
私の友人もリモートワークになって、子どもがうるさいのでベランダでずっと仕事をしてるそうですが、リビングやキッチンで仕事をされている方も多いと思います。本当にちょっとでいいですから、自分で場所と時間を工夫して、何もしない時間をつくってみる。昔であれば、インターネットとか、スマホとか、極端に言えばテレビやラジオもない時代でしたから、夕飯が終われば本でも読むか、寝るしかなかった。否応なしに静かに一人で過ごす時間ができたのでしょうが、いまは幸か不幸かいろいろなものがありすぎて、自分で何もしない時間を意図的につくることが必要です。でないと、自分の心はつねに竹のように揺れているわけですから、復元力があって元に戻れるうちはいいけど、ときに戻れなくなってしまう。心が折れるという表現をよくしますが、何もしない時間をつくることが、心の復元力みたいなものをつけていくことにつながっていくと思います。
坐禅(ざぜん)
身体を調え、呼吸を調え、心を調える。
ものの見方を変えてみる
いまの時代、会社に行こうが、在宅であろうが、仕事の核(本質)になる部分、たとえば、チームを組んでものをつくるとか、そこでコミュニケーションをはかるといった部分は変わっていないと思います。おそらく仕事の場所とツールが変わっただけのことです。そこには重要な視点があって、単に場所とツールが変わっただけと思えるかどうかということです。どう物事を見るか、どうものの見方を変えるかという問題だと思います。それでは心を自由に、自在にしておかなければいけません。変わったというけれども、やるべきことは変わっていないはずです。たとえば、手紙が電話になって、固定電話が携帯電話になっただけで、人と人がコミュニケーションを取るという本質は変わっていません。しかし、便利になった、快適になったことで、本来変わることのない本質の部分、たとえば心を通わせるという部分で、希薄化というか、相手の心を読む力とでもいったようなものが劣化していくような気がしています。これについては、次回お話したいと思います。
平井 正修(ひらい しょうしゅう)
臨済宗国泰寺派全生庵住職。1967年、東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、1990年、静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。2001年、下山。2003年、全生庵第七世住職就任。2016年、日本大学危機管理学部客員教授就任。現在、政界・財界人が多く参禅する全生庵にて、坐禅会や写経会など布教に努めている。『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)、『坐禅のすすめ』(幻冬舎)、『忘れる力』(三笠書房)、『「安心」を得る』(徳間文庫)、『禅がすすめる力の抜き方』、『男の禅語』(ともに三笠書房・知的生きかた文庫)、最新刊『老いて、自由になる。』(幻冬舎)など著書多数。