リモートワークには縁がないと思っていた私のお寺にも、いまその波は押し寄せています。リモートワークによってさまざまなストレスを抱える人たちに少しでも禅の教えが役立てばと思っていますが、まずは私自身のリモートワークからお話します。

※本記事は、2020年8月19日時点で書かれた内容となっています。

コロナ禍の逆風

ご存じのように、お寺の仕事は葬儀や法要、坐禅会が中心になっていますので、これまでは基本的にリモートワークは不可能という認識でした。今年に入ってコロナウイルス(COVID-19)の感染が拡大。4月7日には東京をはじめとする7都府県に緊急事態宣言が発令され、以降2か月間くらいは葬儀以外の仕事は皆無でした。葬儀も昔は多くの参列者がありましたが、近年は亡くなる方の高齢化も進み、とくに90歳を超えるような方の葬儀になると、親戚や友人の方も当然高齢になりますので参列することができない。したがって、近年は家族葬が右肩上がりで多くなる傾向となっていました。それがコロナ禍でさらに極端になり、参列者が3人から5人といった状態でした。

4月から5月頃の生活といえば、朝起きて坐禅をし、お経を読んで、寺の内外の掃除をする以外は、子どもの勉強を見たり、一緒に遊んだり、あとはテレビを見るといった、ある意味で人間的な生活だったかもしれません。食べていけるならこれもいいかと思うこともありましたが、やはりお寺の経営としては大赤字で、まったくストレスがなかったといえば嘘になります。

リモートで坐禅会ができないか?

そうした時、「こんな時期だからこそ坐禅だよね」と言ってくださる方がいました。彼はある大手企業の役員で、これまでも2か月に一度、メンバーを集めて坐禅会を行っていた方です。緊急事態宣言でギスギスした状況下にあって、コロナウイルスの実体がわからないうえに、どうやって感染するのかもわからない、家にいても何とはなしに不安な時間が過ぎていく。落ち着かなければいけないということも、また落ち着くための時間をとることが大切だということもわかっている。そのなかで彼らが自宅でたとえ10分でも静かに坐りたいという気持ちもわかる。しかし、私としてはリモートで坐禅なんて難しいのではないかというのが正直な気持としてありました。また一方には、みんながこういうわからない不安を抱えながら過ごしているときこそ、坐禅が少しでも役に立てばという想いがあります。結局、「Zoomを使ってやろうよ!」という彼の強い提案でまとまりましたが、Zoomというテレビ会議のアプリがあることを耳にしたことはあるけど使ったことがない。まさか自分が使うことになるとは思ってもみませんでした。ただ彼のメンバーなら坐禅の仕方もわかっているし、雰囲気もわかっている。そういうメンバーならリモートでの坐禅会も問題なくできるかもしれないという期待はありました。

ひとりで坐るのもいいね!

そうしてリモート坐禅会は終わりましたが、やはり参加した皆さんの印象が聞きたくて、その二次会としてリモート飲み会を開きました。メンバーは10人くらいでしたが、皆さんの反応は思いのほか良かったと思います。もちろんお寺にきて坐禅をするのがいちばんです。でも、それができない状況下で、とりあえず画面上だけど、みんなで決めた時間をつくって集まり、自分一人で坐ってみるのもそれなりに効果があると言ってくださいました。ということでその後、何度かいろいろなグループのリモート坐禅会を開いています。

企業にとって4月末は新入社員の研修や企業研修が多いので、当寺にとっても大切な収入源です。それが全部なくなっても困りますので、「オンラインでもできます」ということで、最初は「えっ、お寺さんとオンラインで結んで!」と驚かれたこともありますが、なんとかリモート研修も始めているところです。また本堂では20人くらいまでの坐禅会だと「密」にならないので、その再開にあわせて坐禅会の様子を動画で撮影して、オンラインでも流していくということも始めています。

直心是道場(じきしんこれどうじょう)

維摩経にある言葉。直心とは素直な真っ直ぐな心のことを言い、そのような心であるならば、どこにいても、何をしていても、そこは道場になる、という意味。

リモート坐禅会の可能性

今回の初めてのリモート坐禅会では面白いこともありました。ある会社の方で、今年の2月にオーストラリアへ転勤された方がいて、転勤する前の坐禅会で「これでもう何年間かは坐禅会に参加することができませんね」とおっしゃっていた方が、リモートで参加されていたことです。リモートなら確かに居場所は問いません。コロナ禍はいまだ収まってはいませんが、悪いことばかりではないと考えることにしています。お寺での坐禅会も、リモートでの坐禅会も両方あって良いと思います。ただリモートの場合、坐禅をいちどでも経験したことがある方ならいいのですが、まったく初めての方だと、どうやって坐禅のスイッチを入れるかが課題です。家の子どもたちのリモート授業では制服に着替えることもあり、自分自身にスイッチを入れるという意味では、こうした工夫をするのも良い方法だと思います。自分自身を相手にしてやる坐禅と、相手とのコミュニケーションが前提の会社のテレビ会議とではそこが異なる点で、増して本格的な坐禅となると、やはりお寺という空間にきてやる方が良いと思っています。人間は環境にかなり影響される動物なのです。

平井 正修(ひらい しょうしゅう)

臨済宗国泰寺派全生庵住職。1967年、東京生まれ。学習院大学法学部卒業後、1990年、静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。2001年、下山。2003年、全生庵第七世住職就任。2016年、日本大学危機管理学部客員教授就任。現在、政界・財界人が多く参禅する全生庵にて、坐禅会や写経会など布教に努めている。『最後のサムライ山岡鐵舟』(教育評論社)、『坐禅のすすめ』(幻冬舎)、『忘れる力』(三笠書房)、『「安心」を得る』(徳間文庫)、『禅がすすめる力の抜き方』、『男の禅語』(ともに三笠書房・知的生きかた文庫)、最新刊『老いて、自由になる。』(幻冬舎)など著書多数。

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