矢野 和男 日立製作所 フェロー / 山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
新型コロナウイルス(COVID-19)が世界中で猛威を振るい、感染拡大防止に向けた外出制限の下で日常生活もビジネスの風景も大きく様変わりしている。ソーシャルディスタンシングにより人とのつながりが薄れ、在宅勤務や自宅待機によるストレスの増加も懸念される今、人間にとっての「幸福」とは何かがあらためて問われている。「経営の足元を築くリベラルアーツ」第7回は、幸福の計測において多くの研究成果をあげてきた日立製作所の矢野和男フェローをゲストに迎える。緊急事態宣言が発令される中、オンラインで行われた対談では、新型コロナウイルスによって一変した社会においても変わらない価値、そして予測不能な未来と向き合うための考え方について、深い考察が加えられた。

幸福な組織に見られる四つの特徴

山口
新型コロナウイルスの感染拡大が世界中で大きな問題となり、生活が一変してしまった方も多いと思います。矢野さんはブログでこのウイルスを、「幸せを求める人の心につけ込むウイルス」と評しておられました。幸福の計測を大きな研究テーマとしてこられた矢野さんならではの視点ですね。

矢野
われわれは15年ほど前から、人間の幸福というものを客観的に捉える研究に取り組んできました。職場のような組織において人が幸福を感じる条件は、業務内容や個人の性格によって大きく異なります。でも、大量のデータを集めれば何か共通する要素、法則を見つけ出せるのではないかと考え、ウェアラブルセンサーなどで取得できる人間の行動やコミュニケーションのデータ、業務データなどの客観的なデータを集め、質問紙による主観的な幸福感の増減と合わせて解析してみました。その結果、組織における人と人とのつながり、コミュニケーションのあり方と幸せとの相関関係を見出したのです。

一人ひとりの幸福度が高く、生産性が高い組織には、普遍的かつ定量的に計測できる特徴があります。まず、人と人とのつながりを線で表すソーシャルグラフの中に三角形が多い、つまり、自分とつながりのある人同士もまたつながりがあるという関係が多いほど、組織における人間関係が密で、幸福度が高い傾向にあります。

二つ目の特徴は、5~15分程度の短い会話の頻度が高いことです。これは、組織のメンバーが気軽に会話できる関係にあるかどうかを示しています。しかもその会話が双方向であり、会議でも全員が均等に発言しているなど、つながりが平等であることが三つ目の特徴です。

さらに、会話する相手と体の動きが同調していることも重要です。人間のコミュニケーションは言葉によるものだけでなく、声の調子や体の動きなどの非言語の情報で、相手に対する共感や拒絶を伝達しています。幸福度の高い組織では、特に体の動きがコミュニケーションの相手と同調している傾向が強く見られます。

人は一人では生きていけないと言われるとおり、人類は集団で協力し合うことで繁栄してきた生物です。人と協力することによって幸福感が高まるという生化学的な仕組みを進化の過程で獲得してきました。

リモートワークでも幸福は感じられる

山口
本能的に人とのつながりに幸せを感じるからこそ、密集・密接・密閉、いわゆる「三密」のような行動を人間は取ってしまいがちで、それがウイルスの感染拡大につながるのは皮肉ですね。

矢野
おっしゃるとおりです。幸せを求める人間の本能的な行動につけ込むウイルスは邪悪だと言わざるを得ません。

山口
そのために、今回の対談もそうですが、社会的な機能が仮想空間にシフトしています。このことは仕事や教育の変革が進むきっかけになると期待される一方で、仮想空間はおっしゃるような幸福の四要素が不足するのではないかという心配もあります。

矢野
私も1か月以上在宅勤務が続いていますが、たしかにリモートワークは幸福感を得にくく、注意しないとストレスが増え、抑うつ傾向が高まる可能性があります。ただ、5分程度の短い双方向の会話、確認や報告、雑談を遠慮せずに行う環境をつくることは、リーダーが推奨し、一人ひとりが意識することでリモートワークでも可能になると思います。電話での会話でうなずいたりするように、離れていても相手を想像して身体的な同調を意識することも幸福度を高めます。

また、現在のリモートワークでは、新たな出会いが不足することも問題です。目的を持たずに集まった場で新たな出会いや縁が生じることって、よくありますよね。仮想空間でもそうした場づくりのサポートや、人とのつながりを感じられるような技術の開発、あるいは運用の工夫がこれから必要になるでしょうね。

山口
デジタル技術の急速な発展を考えると、仮想空間でのコミュニケーションもどんどん洗練されていくのではないでしょうか。

矢野
そうですね。危機はチャンスでもあります。このコロナ禍を、「幸福」とは何かをあらためて考え、ソーシャルディスタンスを超えて幸福を感じられるように、われわれが変わる契機と捉えることが大切なのではないでしょうか。

矢野 和男(やの かずお)

1959年山形県生まれ。1984年早稲田大学大学院理工学研究科物理学専攻修士課程を修了し日立製作所に入社。同社の中央研究所にて半導体研究に携わり、1993年単一電子メモリの室温動作に世界で初めて成功する。同年、博士号(工学)を取得。2004年から、世界に先駆けてウェアラブル技術とビッグデータ収集・活用の研究に着手。2014年、自著『データの見えざる手 ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会』が、BookVinegar社の2014年ビジネス書ベスト10に選ばれる。論文被引用件数は2,500件にのぼり、特許出願は350件超。東京工業大学情報理工学院特定教授。文部科学省情報科学技術委員。

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

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