一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

今回のテーマは、「コンセプト」です。「コンセプト」というのは、直接日本語に置き換える場合には「概念」と訳されますが、これは少しわかりにくい。僕にとって「コンセプト」の訳としてしっくりとくる日本語は、「核心」です。もっとしっくりとくるのは、「核芯」。そんな言葉はないのですが、「コンセプト」というのは、物事の「核」であり「芯」であるもの。「それは一言で言って何なのか」という問いに対する答え、それが「コンセプト」だと思っています。

僕の専門分野の競争戦略でいえば、「戦略のストーリー」というのはある種の創造物です。いわゆるクリエイティブな仕事、創造や創作といった仕事には、かならず「核芯」という意味でのコンセプトが起点にあります。

僕は知らなかった人なのですが、最近読んだインタビューで、作詞家のいしわたり淳治さんがすごくいいことを言っていました。彼が作詞をする時は、その曲の核になる部分、つまり「この曲って“○○”の曲だよね」という“○○”を先に決めると言っています。これが「コンセプト」。

例えば、いしわたりさんのお仕事で、これもまた僕は知らなかったのですが、『私立恵比寿中学』というアイドルグループがあるそうで、その曲の作詞を頼まれた時に “○○”として、「自由であること」ということを決めた。「自由であること」というのは、そんなに突飛なテーマではありません。コンセプトは特に新奇で突飛なものである必要はまったくありません。それが要するに何なのかをはっきりと決めていることが大事なのです。

いしわたりさんは、その「コンセプト」から歌詞を起こしていくというところに、作詞家の役割があると言います。つまり、「自由であること」を、どう掘り起こしていくのか。彼は、究極の自由というのは、「自分から怒られに行く」ではないかと考えた。怒られるというのは相当に不自由なことですが、それを自分から仕掛けていくというのは「自由であること」を象徴しているのではないか。そこから生まれたのが、『イート・ザ・大目玉』(※)という曲だそうです。『イート・ザ・大目玉』、これでどうかと提出したら、それは『イート・ジ・大目玉』じゃないですかと突っ込みが入ったらしいんですが。

(※)イート・ザ・大目玉:発売日2019年3月13日 作詞 いしわたり淳治 作曲 溝口和紀 歌 私立恵比寿中学

「コンセプト」というのは、こういうことなんです。まずは、「核」と「芯」を決める。それは、抽象度が高く、言葉だけ見るとありきたりに聞こえるかもしれないけれども、普遍的な価値観をとらえている。コンセプトをはっきりと決めたうえで、そこから具体の水準に下りていく。いつも言っている、具体と抽象の往復運動です。

コンセプトの意義は単純化にあります。具体世界というのは、ビジネスでも何でも、非常に複雑で多岐に渡るものです。まずはその本質を抽象化で突き詰めておかないと話が始まらない。それは本質をつかんだ凝縮的な表現です。かならず言語化されていないといけない。言語化されていないと人に伝えられないからです。抽象のレベルでのことの本質の凝縮的表現、それが「コンセプト」なんです。

ビジネスの文脈で言いますと、優れた経営者というのは、「いろいろあるけど、要するに」という言葉がよく出てきます。その反対の無能な人は、とにかくあれもこれも大切だということになって、どんどん箇条書きリストが長くなっていく。これは「コンセプト」がないということの典型的な表れです。

戦略もそれと同じで、戦略ストーリーを作る起点には、かならず「コンセプト」があるんです。「ストーリーで戦略を作りましょう」と言うと、何か面白いお話を語るように戦略をプレゼンするとか、ストーリーテリングと誤解されることがよくあるのですが、僕が「ストーリー」と言っているのは、いろいろな事象が、「なぜ」という論理でつながっていることを指しています。そのためには、どうしても起点に「コンセプト」が必要なのです。「いろいろあるけれど、要するに」というところから始めないと、対症療法的なアクションリストがどんどん長くなって、箇条書きというか静止画の羅列になってしまう。

戦略は対症療法ではありません。例えば、最近のコロナ禍。もちろんコロナは大きな問題です。しかし、戦略のストーリーがないと「これをやりましょう」「あれも大切です」「これはやってはいけません」となり、次から次へとアクションリストが長くなっていきます。そのリストが長くなればなるほど、人々は嫌になっていくわけです。要するにどこにことの本質があって、どうするべきかがわからなくなる。

だから、当然コロナ問題に対処する戦略にしても、「要するにどういうことか」という核心が必要なのです。その点、メルケル独首相の演説は政治指導者が国民に発するメッセージとして理想に近いと思います。ひとつのコンセプトを明確に示している。「できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばし、時間を稼ぐことだ。これが私たちのすべての行動の指針である。研究者が薬とワクチンを開発するための時間、発症した人ができる限りよい条件で治療を受けられる態勢を整えるための時間だ」。いろいろあるけれど、要するに「時間稼ぎ」だということです。

このようにコンセプトがはっきりしていると、「3つの密(密室・密閉・密着)を回避しましょう」という具体的なアクションについてのメッセージも強くなる。人々がなぜそうしなければいけないのかという論理的な納得を持って、具体的な行動指針に取り組めるからです。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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