ヤマザキマリ氏は人間としてどのような人に惹かれるのか。また、自身の子育て経験、少子化の今の時代にこそ大事な子どもとの接し方について話を伺った。

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男女問わず、ふっとんだ人が好き

――ご著書にもある『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)についてお伺いします。そこで触れているラファエロやプリニウス、水木しげる、安部公房、スティーブ・ジョブズ。彼らの魅力について、ヤマザキさんなりのこだわりがあると思うのですが、いかがでしょう。

ヤマザキ
私は型を決めて、自分はこういう人なのだと思われようと懸命に演出している人は苦手です。言い方を変えればかっこつけている人ですね。資質を重視せず等身大以上に背伸びをしているのがわかる人。それが悪いこととは思いませんけど、個人的には欠点だらけでも自然体で振る舞う人の方が付き合いやすい。

それから、男であるとか女であるとか、何人だとか、そんなタガのふっとんじゃっている人がおもしろい。ヒトという生き物として、観察欲の湧く人間がいい。

人間至上主義的な人や承認欲求の強い人、試行錯誤して失敗を回避してきた人には興味がわきません。いろいろ辛辣な目にもあってきて、いろんな思いをためてきて、いろんなレイヤーがある中で、ある程度こなれて、どこか達観しているような人に魅力を感じます。

――『男性論』に登場する、ルネサンス時代の芸術家、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロに対する評価もおもしろいですね。

ヤマザキ
私の見方はちょっと歪曲していますけどね。たとえばラファエロは働きすぎだと思うんです。今の日本人でいえば、連載をいくつも抱える売れっ子漫画家なんかにかなり近かったはず。若くして死んだのはモテすぎが原因と言われたりしていますが、実際は仕事が多すぎて病気になってしまったのが理由だったと思います。人当たりがよかったので、肖像画を描いてもその人の欠点をうまく引き出すことに長けていたので人気が出てしまう。何でもできると思うのはいいことですが、いかんせん人に気を使いすぎだった傾向もあるし、断りきれずにあれこれ依頼を請け負って、働きすぎだったことは間違いありません。

ミケランジェロは、プライドが高く頑固なうえどこか鬱屈していて、風通しが悪そうな人に思えます。

ダ・ヴィンチは、おもしろいものを生むんだけど、彼のような人間を雇うとなるとかなり大変だったに違いありません。天才的な発想を持っていながらも偏屈で、制作途中のものでも、先が読めてしまうと途中でやめてしまう。気の向かないことは無理にやらない。そのくせ自分プロデュースに長けている。現代で言えば、すべてが似ているわけはありませんが、出自や生い立ち、そして性格的な意味ではスティーブ・ジョブズが彼に近いかもしれません。

――理想の女性についてはいかがですか。

ヤマザキ
私は男女問わず、総括しておもしろい人が好きなので、特化して同性だからこの人に憧れます、という対象になる人はあまり思い浮かびません。自分がどちらかというとジェンダーを強く意識して生きてきていないので、影響を受けてきたと思うのはどちらかというとあまり要領の良くないマニアックな男の人の方が多いかもしれません。

子どもには、生まれてきてくれてありがとう

――ご自身の子育てにおいて、大事にされてきたことは、どんなことでしょうか。

ヤマザキ
実は、私には子育てをしたという確実な実感がないのです。息子が生まれてきてからはずっと怒涛の日々だったので、子どもをどういうふうに育てようとか、そんなこと考えているゆとりもなかったですし、自分の大変な人生を振り返っても、ただもう、子どもに必要なことは唯一、生まれてきてくれてありがとう、人生は本当に大変だけど、そんな中でもなるべく幸せで楽しくやってくれ、という思いしかなかった。

良識にさえ逸れていなければ、目一杯愛情を注ぎ、いざというときは守る。社会や世間の肩を持つよりも、自分の子どもの立場を優先する。私自身子どもの参考になれるような大人だなんてこれっぽっちも思ったことはないし、親としてこうありたい、こうあるべきなんて理想も持ったことがない。ただ、身近にいる人間のサンプルとして失敗も含めて一生懸命に与えられた命を生きている姿だけ見せればそれでいいと思ってきました。

親がいい加減だと、子は逆にしっかりするものですよ。ウチなんかとくにそう(笑) 。子どもにはむしろ小さいときから「自分がしっかりしないとダメだこりゃ」という自立精神を芽生えさせるきっかけを、親が与えるのも大事かと。私なんか子どもに随分大人の振る舞いとしてあるまじき恥ずかしいところを見せてきましたから。だからあんまりこうしなきゃいけないとかポリシーとか、強い方針をもったり、子どものやることや学業などで出す成果に親の喜びや幸福を依存しないほうがいいんじゃないですかね。

血は繋がっていても子どもはまったく別個の人間なんです。子どもが成し遂げることを自分の充足感だと思ったこともない。子どもが100点とっても、それは子どもの問題。子どもがそれで喜んでいたらもちろん嬉しいし、よかったね、とは言うでしょうけど、親である私のおかげではないわけですから。私には私なりの喜びの糧が他にもある。子どもは子ども、自分は自分です。

自分たちの野望はそれぞれ自分たちで築き上げて自分たちで成し遂げていきましょうと、子どもには言ってきました。

辛さや失敗の経験は大切な教科書

――海外の子育て事情も今の日本と同じですか。

ヤマザキ
日本では少子化で親の関わり方も過剰になっていますが、イタリアも同じ。相当猫かわいがりしています。

逆にシリアのような中東の国では、学校が終わった子どもたちが市場などで家業を手伝っているのを目にしました。猫車に山のような商品を積んで運んでいる小さな子とかが普通にいる。ですが、そんなシリアだって子どもを何よりも大事にしている。子どもたちも親から無償の愛を注がれ、大事にされているから両親の助けになりたいと普通に手伝う。そういう意味ではとても健やかに思えました。

逆に言うと、子どもたちに手伝ってもらわなければならないような社会的バックグラウンドであっても、子どもたちはすごく健やかに育っているなという印象を受けたのです。

日本にも明治から昭和初期まではそんな側面があったと思うのです。なのに戦後、子どもは社会の良い面だけ見ていればいい、大人の社会には足を突っ込まなくていい、みたいな風潮になっていった。辛い目に遭わないとか失敗しないということは、ものすごく大事な教科書を読まなくていいと言っているのと同じで、とても危険なことだと思います。子どもが受けるダメージに付き合う親も大変ではあるのですけど、親も人間としてその“思い通りにならない”経験を避けてはいけないと思います。

大事にすることと、生きることの辛さや大変さから目を遠ざけるというのはまったく違います。過酷な社会の側面がむき出しになった中でも、懸命に自分の人生と向き合って頑張る子どもを暖かく見守ってあげるべきです。愛情とは子どもに誰かを頼らなくても生きていける強さを育む力でもあると思っています。

少子化の時代、来たる未来を強く生きていける子どもに育てたいなら、無菌室に入れないことも大切なことなのではないでしょうか。

ヤマザキマリ - Mari Yamazaki -

1967年、東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

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