一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

今回のテーマは、異文化体験です。異文化体験について話すならば、まず「文化」とは何かをはっきりさせておいたほうがいいでしょう。「文明」との対比で「文化」というものを理解するのがよいというのが僕のスタンスです。

ローマ帝国は人類史上の初期のグローバルな「文明」のシステムをつくりました。これがローマ帝国の拡張の原動力でした。ローマ帝国は、道路や水道など土木によるインフラづくりが得意中の得意で、それが支配した国や地域に広まっていく。「文明」というものは、そこにいる大多数の人々が「いいよね」「便利だな」「ありがたいな」と思えるような、標準的にして普遍的な価値を持つものです。誰が見てもそのほうが世の中が良くなる、生きやすくなるというのが「文明」です。ですから、ローマ帝国が「文明力」で支配していった領土、地域の人たちは、帝国の一部であることをむしろ誇りに思っている。これが「文明」です。

それに対して「文化」というのはもっと局所的なもので、その中の人にとっては心地良いけれども、「文明」のような普遍性はない。“異文化体験”という言葉はあっても、“異文明体験”とはあまり言わない。それはなぜかというと、「文明」は本質的にスタンダードになるものだからです。みんなで取り入れましょう、この線に揃えましょう、そうしたほうがいいですよっていうものなので、そこに「異」はない。異論がないほど普遍的なのが文明です。

最近だと、スマートフォンを使った情報通信というのはある種の「文明」です。ま、便利ですよね。アフリカでも、中東でも、キリスト教徒もイスラム教徒もみんな使ってるわけです。みんな画面を見てググッている。つまり、「文明」には「文化」のような境界がない。

一方で局所的な「文化」には濃淡がある。その中では気持ちいいっていうものがすごい濃くある国や地域と、そうでもないーー文化が相対的に薄いーー国や地域があります。日本は、歴史的にも、地理的にも、社会的にも、非常に文化濃度が高い国であることは間違いないでしょう。一つの理由として歴史があります。本格的な支配を長期的に受けたことがない珍しい国です。この点、タイやエチオピアとちょっと似ている。エチオピアは帝国主義に遅れて出てきたイタリアに占領されていますが、たかだか5年ぐらいですからね。こういうところは文化濃度が高くなる。日本は地理的には、隔離された島国です。民族も言語もだいたい一様ですから、文化濃度が高くなります。

その点でアメリカのように移民によって人工的に作られた国というのは、かなり「文明的」です。普遍的な文明一本で説明できる部分が大きい。アメリカで生活する場合、事前にある種のルールみたいなものが設定されていて、それに従っていけばわりと簡単に入っていくことができます。でも外国の人が日本に来る場合、もうちょっと大変でしょう。ただ、中にいる日本人にとっては、極めて心地よい。僕がイタリアに住んでいた時、最初は戸惑うことが多かった。でも、アメリカに行けばすぐに普通に生活できる。イタリアのほうがアメリカよりも文化濃度が高いということです。

日本ほど、異文化体験とか、異文化理解とか、文化的な多様性、「ダイバーシティーだ、ダイバーシティー」って言っている国はない気もするんです。これは自国の文化濃度が高いことの裏返しですね。それだけ「異文化」に接したときのギャップが大きいということです。別の言い方をすれば、中にいる限りは、文化的なギャップは小さい。異文化に直面し、それとうまく付き合わなければいけないという必要性があまりない。ダイバーシティー・マネジメントが下手だというのですが、僕に言わせれば“地震がない国の耐震設計”という類の話です。これまでの日本の歴史的、地理的な状況を考えると、それほど必要性がなかったわけで、いざやれと言われてもそう簡単じゃない。

ヨーロッパは大陸ですから、ローマ帝国の時代から異文化交流、異文化体験、異文化のマネジメントとかそういうものは、もう空気を吸って吐くみたいなことなので自然と発達する。アメリカのように異文化を寄せ集めたような国だと、初期設定からして異文化との接触が日常に組み込まれている。だから事前のルール設定、「文明」が必要になる。

一方で、日本人は文化的な濃度が高いという自覚があるので、自分たちが外からどう思われているのか、気にする人が多い。これほど外から見た自国のイメージに関心がある国はないのではないでしょうか。古くは、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの著書『菊と刀』とか同国の社会学者エズラ・ヴォーゲルの著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』とか、今でも「○○人が見た日本社会」とかそういう本や雑誌の特集があります。外からどう見られているのか、非常に強い関心がありながらも、異文化体験の必要ない日々の生活は心地いいという、非常にアンビバレントなところが日本の特徴だと思います。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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