一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

毎週月曜日に配信されている、楠木建の「EFOビジネスレビュー」。その中で載せきれなかった話をご紹介する、アウトテイク。これが、めちゃめちゃ面白いです。

僕は「柿ピー」と同等もしくはそれ以上に「フライドポテト」がスキでして、大学院生の無収入だった頃はマクドナルドのLサイズでは足りない、もうちょっと食べたいなって思っていました。ところがお金がないのでなかなか満足するまで食べられない。その頃の僕の豊かさの基準は、思いっきりお腹いっぱい「フライドポテト」が食べられること、割り算しなくても「柿ピー」が食べられることでした。

これもまた情けない話なのですが、当時の僕は「イチゴミルク」っていう、コーヒー牛乳のイチゴ版みたいな飲み物も大スキでした。うちの近所には当時2軒のスーパーマーケットがありました。ひとつは駅前の大型店。こちらは相対的に値段が高い。そこで、もう一軒の、どの町にもかならずあるような、少し駅から離れていて、小規模でちょっと汚いけど安いっていうスーパーまで「イチゴミルク」を買いに行ったんです。1本で20円か30円違う。その「イチゴミルク」をまとめ買いしてその店を出た時に、僕はいきなり車にはねられたんです、ワゴンの業務用車両に。5~6メートル飛んだらしいんですけど、無事に気絶みたいな状態で、救急車で病院に連れていかれました。打撲とかむち打ちとかあったんですけど、幸い骨折とか大きなけがはありませんでした。

その後、警察が調べに入ります。その時に「なんであの道を渡っていたんですか」と言って見せてくれた現場の写真に、僕が買ったイチゴミルクがつぶれて飛散して写っていました。何だかひどく物悲しい画で、これも貧乏が悪いんだ、駅前のスーパーなら事故にも遭わなかったのにと思うと、なんだか情けない気持ちになりました。

その頃に、リクルートっていう会社が気前がいいという話を聞いたので、「僕はお金がない大学院生なんですが、こういうことができそうなんで、仕事をさせていただけませんか」というふうに言いに行ったら、リクルートの人が「そうか、君はそういう勉強をしているのか。面白いから、じゃあ何か仕事を頼むので月々、報酬を払いましょう」と。それが毎月10万を超える金額でした。大喜びで「ありがとうございます」とお礼を申し上げてリクルートのGINZA8から新橋に行って家に帰ろうとしたとき、これはもしかしたら夢なんじゃないかなと思いまして、当時は携帯がないので、公衆電話で頂いた名刺に電話して「いま伺った楠木ですが、毎月いくらのお金をくれるという、あれは本当の話ですよね」って確認を入れたぐらいうれしかった。もう絶対、何としてでもこの話はものにしなきゃ、これで好きなだけ柿ピーを買って、ポテトも躊躇なくLサイズ(できればMサイズ2つ)にできると興奮しました。

それもこれも、みんなお金がないからなんです。お金がないときは、お金がうれしい。お金がないよりはあったほうがいい。ただし、その2で言ったように、単調増加関数じゃないので、すぐに限界効用が逓減する。あるラインまでは確実にお金があったほうがそれだけ豊かですが、そのラインを超えちゃうと体感幸福値は上昇しない。

満足度にキャップがかかるところっていうのは人によって違って、たとえばフライドポテトがおなかいっぱい食べられれば、それで満足だっていう人もいれば、それが高級なステーキじゃなきゃ駄目だっていう人もいる。いずれにしろ、みんなそういう曲線上を生きてるわけですが、僕はわりと早いタイミングでキャップがかかる方です。それもこれも、貧乏学生を長くやったことが原点にあるからだと思います。今ではおかげさまでフライドポテトのLサイズを躊躇なく3個は買えるようになりました。一気に食べるととても豊かで幸せな気分になります。家に買い置きできるイチゴミルクは、健康上の理由で購入を躊躇するようになりましたが。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。