一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

僕は人間の能力を、いつもスキルとセンスに分けて考えています。これは昔からいろいろなところで繰り返し話してきたことなのですが、この2つをごっちゃにするところから、いろいろな問題とか無理が起きる場合が多い。

僕が世の中に出て仕事するようになってすぐにわかったこと、それはある分野のスキルを持っている人というのは、掃いて捨てるほどいる、ということです。英会話や、プレゼンテーション、会社の部門の名称にもなっているようなマーケティングとか、人事管理とか、ファイナンスとか、アカウンティングとか、いろいろなスキルがあります。スキルというのは、「できる・できない」の話です。できないよりかできるほうがいいに決まってると。

しかし、です。スキルというのは、できない状態をなくす、マイナスをゼロにするということです。ここにスキルの限界がある。実際仕事でいろいろな人を見ていると、“余人をもって代え難い”とか、“この人だったら何とかしてくれる”“頼りになる”といった、文字通り「仕事ができる人」に出会うことがあります。そういう人は、何が普通の人と違うのかなと考えると、スキルでは説明できない、その人固有のものを持っています。それはセンスとしか言いようがない。結局、ここが決め手なのかなと思うわけです。

スキルというのは、その性質からして没個人的なものなんです。たとえば、ある分野のプログラミングのスキルを活かして仕事をしている人が会社を離れることになった場合、会社側はまたその種のプログラミングができる人を雇います。スキルにはその人の人名というか固有名詞がついていません。「○○さんの能力」ではなく「プログラミングの能力」なのです。その人に固有の能力というのは、スキルではなくセンスに強く出る。

ところが、実際のビジネスの社会だと、つねにスキルが優先してセンスが劣後する。それは、スキルのほうが人間の興味・関心・注意をそそるからです。Excelができるとか、資格だとTOEIC何点といったように、スキルは見せられますし、何らかの客観的尺度で測れます。その物差しの上での前進が実感できるので、モチベーションも高まる。何より大きいのが、スキルには、こういうふうにやったらできるようになりますという標準的な方法があります。プレゼンテーションのスキルを身に付けようと思えば、とても優れた教科書があり、伝授してくれる人がいるなど、多様な方法が用意されています。

一方でセンスには、標準的、典型的な獲得方法がありません。しかも、センス1級とか、センス900点といったように見せることも測定することもできない。仕事をしている人、特に若い人々にとっては、どうしてもスキルが優先しセンスが劣後するということがあると思うんです。

話は少しそれますが、僕の好きなフレーズに、昔テレビで放送されていた『月光仮面』の「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」というのがあります。論理的に矛盾してるんですけど、子どもながらに、つくづくうまいことを言うなと思っていました。センスというのは結構とらえどころがない資質で、『月光仮面』のような面があります。確かにスキルじゃなくてセンスだよな、と誰もがみんな知ってるんだけれども、センスの正体が何かはわからない。

何事もスキルから始まるにせよ、それはマイナスをゼロにすることでしかない。そこから先、ゼロからプラスとなる部分、つまりその人に固有の価値をつくっているのは、むしろセンスじゃないでしょうかと僕は言い続けているのですが、結構ご批判をいただきます。いわく「天才主義」「直観主義」「非科学的」だと言われるんです。スキルがそそるのに対して、センスは人を不安にさせるものなんですね。身に着ける方法論もないので、「じゃあどうすりゃいいのよ」というような諦めが肝心みたいな話になる。寅さんのフレーズのように、「それを言っちゃぁおしまいよ」というゾーンに入ってしまう。

実際にプレゼンテーションのスキルが非常に高い人ってやっぱりいるわけなんです。重複なく、漏れなくコンテンツを構成していてお話も明快。でもちっとも面白くない。英語がネイティブレベルにできる人もいます。じゃあその人にシェイクスピアみたいな美文が書けるのかっていうと、そうではない。やっぱり事実として、「どこのだれかは知らないけれど、だれもがみんな知っている」んですね。

こういうのがセンスじゃないの?っていうひとつの例ですが、田中角栄という人は政治家としてのセンス、まさにセンシングという感覚、勘にものすごく長けた人だと思います。僕は、彼の基本的な政治哲学とか、彼が作ろうとした政治システム、ばらまきポピュリズムみたいなものにはまったく賛成できません。「民主主義というのは力である。力は数であり、数は金である」というロジックで組み立てられた人なんで。ただ、抜群の政治的な力量・技量があったのも間違いないし、人間的にものすごい魅力、求心力があったことも、読んだり聞いたりしてる限り間違いないだろうと思います。

田中角栄の政治センスが何なのかというと、いま自分の前にいるその人が何を本当のところ欲しがっているのか、これを見抜く力です。多分そういうセンスの固まりみたいな人が田中角栄だったと思いますし、だからこそあれだけの力を政治的に持っていたわけで、それは到底スキルでは説明できません。

政治家もそうですけれども、仕事で成熟していくとか成功していくというのは、自分の名前で仕事をするようになることです。最初は何々部の何々課の人だったのが、やっぱり何とかさんに頼もうとか、何とかさんでお願いしますというようにバイネームで仕事ができるようになる。これが働いていていい状態だと思うんです。そういう仕事は、その人に固有のセンスの勝負となります。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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