倫理的意識と創造性が乏しい今の日本社会は、総じて“美意識”が欠如した状態にあると指摘する山口氏。「リベラルアーツ」は、私たち自身の基本的な美意識や価値基準を養うとともに、人間の本質をより深く理解するために最も効率的な手段だと語る。

「第1回:なぜ今“美意識”が必要なのか」はこちら>

OSとしてのリベラルアーツ、アプリとしての知識

――書店には数多くの教養本が並んでいますが、今回のテーマであるリベラルアーツはそれらとは本質的に違うように思います。

山口
今、求められているリベラルアーツとは、コンピューターでいえばOS――、私たちの判断や行動を司るソフトウェアのようなものだと思うんですね。対して、ロジカルシンキングやマーケティングの知識などは、アプリ――、状況に応じて使い分ける道具です。道具はもちろん大切なのですが、どの場面で何の道具を使うかというのはOSの判断であって、自らの足元をより確かなものにするために重要なのはOSの方ですよね。巷にあふれる、ワインに詳しいなどといった、いわゆる“教養”は、アプリの方に分類される知識でしょう。今求められているのは、本当に大事な判断を下したり勇気を持って行動したりする原動力となりうるOSとしてのリベラルアーツなんですね。

先日、特定非営利活動法人アイ・エス・エル代表の野田智義さんとも、「今、なぜリベラルアーツが重要なのか」ということについて話しました。野田さんの答えは「人間を理解するための知恵を与えてくれるから」というものでした。不確かな現代を生き抜くには人間をより深く理解することが“最重要のスキル”だとおっしゃっていて、たいへん腑に落ちました。

人間の本質を理解する

――リベラルアーツが「人間を理解するための知恵」であるということについて、もう少し詳しく聞かせてください。

山口
17世紀の哲学者スピノザは、人間の最も本質を指し示すものとして、「コナトゥス」という言葉を用いました。この言葉にはいろいろな解釈がありますが、僕は、人間の“人となり”――、つまり、何がものすごく好きなのか、何に特別なこだわりを持っているのか、何にいちばん時間をかけてきたのか、逆に何がものすごく嫌いなのか、何にいちばん腹を立てたのか。そういう、人間の喜怒哀楽や心・感情が強く動かされる部分について表現した言葉だと理解しています。

私たちはビジネスでもプライベートでも多くの人と出会います。そこで最高の“武器”になるのが、実は「他人のコナトゥスを的確に理解する」ということだと思います。相手の人間の本質に関わる部分が分かれば、その人物像が立体的に感じ取れて、場面ごとに相手がどう感じ、何を考え、どんな反応を示すのかということが読めるようになる。いわば、パースペクティブ(見通し)を持って人間を深く理解できるようになってきます。

リベラルアーツには、絵画、音楽、文学、哲学、歴史といったものが含まれます。これらは、人々が深く心を動かされ、長く広く共鳴を受け続け、残されてきたものです。歴史は、過去の人間たちが何を欲し、どう行動し、その結果に対してどう反応してきたかという記録でもあります。こう考えると、リベラルアーツは「人類のコナトゥス」の膨大なリストと捉えることもできますよね。ですから、リベラルアーツを学ぶということは、一見すると遠回りのようですが、人間の普遍的な本性を皮膚感覚で知り、人間理解を深める最も効率的なルートだとも言えるんじゃないでしょうか。

――人類のコナトゥスですか……、壮大で圧倒されてしまいます。

山口
今日のように変化のスピードが速まり未来が不確定になってくると、ルールが世の中の変化に対して後追いになってしまうという事態が頻発します。特にAI(人工知能)やバイオテクノロジーなどの最先端分野では、法律や制度などの社会ルールが整備されないまま、テクノロジーが進んでしまう状況が危惧されます。今後の展開次第では、人類にとって取り返しのつかないことだって起こりうる。このようにまったく未知のテクノロジーが登場し、社会に本格的に導入されたとき、一体何が起こるのか、倫理的に許容されるのか。そういった広いパースペクティブが強く求められる局面で、拠り所となるものは結局、リベラルアーツにしかない。人間の行動と反応の歴史に蓄積された人類のコナトゥスを以って対処していくしかないと思うんです。

人間性の奥深さを知るということ

――そんな今を生きる私たちにとって示唆となるような事例を教えていただけますか?

山口
少し飛躍するように聞こえるかもしれませんが、例えばイギリスは、人間の奥深さを非常に理解していて、他者との関わりの中でどうすることが最も得策なのかを皮膚感覚として持ち合わせている国だと思うんです。それは欧州列強の戦いを勝ち抜き、世界中で多くの植民地を統治してきたからこそ身に着けたものなんでしょうね。

1814年~1815年に、フランス革命とナポレオン戦争終結後の欧州の秩序再建と領土分割を目的として、ウィーン会議が開催されました。そこで、イギリスはナポレオンが占領した領地を欧州各国に返還するという英断を下しました。各国の代表が驚いたのはもちろん、敗れてセントヘレナ島に流されたナポレオン本人も「イギリスは交渉下手だ」と記しているんですが、当のイギリスは自国の外交史で「極めてクレバーな選択だった」と自賛しています。つまり各国が覇権を競っていた当時、自国だけで欧州全土を支配するという考えがサステイナブルではないと分かっていたんです。そして各国が領土を取り戻し、それぞれの力が均衡した微妙なパワーバランスを保つことこそが互いに共存し、自国が繁栄する道だと見抜いていた。19世紀から20世紀にかけての「パクス・ブリタニカ」と呼ばれる最盛期は、そんな賢明なしたたかさがあって実現したんだと思います。

――人間性の奥深さ、人類のコナトゥスを知っていたことがイギリスの強さになっていたのですね。

山口
それは欧米文明の底流に受け継がれていて、例えば、著名な経営学者のマイケル・E・ポーターの競争戦略論でも、自社が市場を独占するのではなく、良きライバルである他社と競り合いながら共存することこそが持続可能な成長をもたらすと説かれています。さらには、近代の欧米に限った話でもなくて、歴史を紐解くと、2000年近くも前に諸葛孔明が言った「天下三分の計」にも通じる考え方だと言えるでしょう。

私たちは自社のシェアが高ければ高いほど良いものだと思い込みがちです。特に変化の激しい今のような時代においては、一つのモノサシを当てて短兵急にものごとを判断し、行動したくなるものですが、そんなときだからこそ、落ち着いて別の角度から複眼的にものごとを見るリテラシー、皮膚感覚の知恵というものが求められてくると思います。

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

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