近年、日本企業によるクロスボーダーM&Aにおいて、デジタル関連企業の買収が増えている。デジタル技術革新による産業構造の変化、いわゆる「デジタル・ディスラプション」が進行するなかで、デジタル・ケイパビリティを獲得する動きが加速しているのだ。これまでもクロスボーダーM&Aにおける統合(PMI=Post Merger Integration)は容易ではないとされてきたが、デジタル関連企業の買収ではさらなる施策が必要となる。M&A戦略に詳しい野村総合研究所の小沼靖氏にクロスボーダーM&Aを成功に導くためのPMIのポイントについて伺った。

大型化傾向が目立つ近年のクロスボーダーM&A

――小沼さんは、長年にわたり企業再編戦略やM&A戦略などのコンサルタントとして、日本企業によるM&Aの案件に携わってこられました。今回の連載では、クロスボーダーM&Aを成功に導くためのPMIのポイントを中心に伺いたいと思います。まず、最近のクロスボーダーM&Aの動向についてお聞かせください。

小沼
特にここ数年、日本企業によるクロスボーダーM&Aが増えていて、2018年は件数・金額ともに過去最高を記録しています。なかでも特徴的なのは、過去3年を振り返ってみても、買収案件が非常に大型化している点です。

皆さまもご記憶に新しいと思いますが、2016年のソフトバンクによるアーム・ホールディングス(英国)の買収額は約3.3兆円と、実に驚くべき金額でした。

しかしその後も、大型M&Aは続いています。アサヒグループホールディングスによるSABミラーのビール事業会社(中東欧、西欧など)買収はトータルで約1.2兆円、ソフトバンクグループのウーバーテクノロジーズ(米国)への資本参加は約8,700億円と、いずれも巨額です。

そして2018年には、武田薬品工業がシャイアー(アイルランド)を約7兆円で買収し、日本企業の買収額で史上最高を記録しました。正直、この金額には、私自身、日本企業もここまできたかと衝撃を受けたほどです。

デジタル関連企業のM&Aが増えている理由

小沼
もう一つの近年の大きな特徴は、世界のデジタル関連企業を対象としたクロスボーダーM&Aが増加している点です。2018年10月のJETROの発表によれば、1990年〜1999年の年平均は842件でしたが、2000〜2008年は1,891件、2010〜2018年6月末時点では1,993件と、ここ20年ほどで大きく伸びています。

これには、AIやIoT、ビッグデータなどのデジタル技術革新による産業構造の変革、いわゆるデジタル・ディスラプションが進行する中で、デジタル技術を活用した新たなビジネスモデルの構築が急務になっている背景があります。

つまり、既存のモノ売りビジネスだけでは勝ち残っていけないという経営判断から、ベンチャー系のデジタル関連企業などの買収により、デジタル・ケイパビリティ(capability:組織としての能力)を獲得する動きが加速しているのです。

たとえば自動車業界では、ウーバーや中国の滴滴出行(ディディチューシン)などの新興のプラットフォーマーの出現により、ライドシェアやカーシェアリングが広がっています。モノの「保有」から「シェア」へ、「モノ」から「コト」へと産業構造が大きく変わり始めているわけですね。実際に世界的に若者の自動車保有への志向は落ちていて、生産台数も減少傾向にありますから、老舗企業も変わらざるを得ません。

また、自動運転が実用化されれば、現在はわずか2%と言われる自動車稼働率も大幅に改善される可能性があります。そうしたことから、たとえば大手自動車メーカーのダイムラー(独)は、ライドシェアのためのアプリを開発する企業や自動運転用高精度地図の企業などを買収し始めています。

日本でも旧来のビジネスモデルを抜本的に見直して、デジタル関連企業を買収する動きが出てきています。日立グループの日立ヴァンタラもパブリッククラウドサービスベンダーのリーンクラウド(米国)を買収するなど、IoT領域の技術革新を進めていますね。

さらに金融業界や医薬品製造業界など、従来、デジタルとは関連の薄かった業界の企業でさえも、AI、IoT、ビッグデータなどを活用した新たなビジネスを見据えて、デジタル関連企業を対象とするクロスボーダーM&Aに取り組み始めている状況です。

M&Aプロセスにおける計画的な施策がシナジーを生む

――日本企業のクロスボーダーM&Aが増えているにもかかわらず、当初想定していたシナジーが得られないケースも多いと聞きます。それはなぜでしょうか。

小沼
敗因として、PMIの不備が指摘されることがあります。ただ、それだけではなく、事前の検討から交渉・契約締結に至るまでのプレM&Aプロセスに問題があることも少なくありません。

プレM&Aは、おおむね3つのプロセスに分かれますが、それぞれのプロセスで、「事業戦略をきちんと策定していなかった」「持ち込み案件を受け身で実施してしまった」「M&A自体が目的化してしまった」「デューデリジェンス*をきちんと行わなかった」など、さまざまな課題が見られます。

*デューデリジェンス:M&Aに関する意思決定を行うに際して、対象企業の実体やリスクを適正に把握するために実施する多面的な調査

野村総合研究所作成

特にデューデリジェンスについては、どの企業でも、法的・財務的なリスク評価やシナジー効果を含む事業性の評価は比較的しっかり取り組むものの、人事・組織に関するもの、つまり企業風土の適合性や人材評価などは軽視しがちです。買収契約の締結に至るまでの作業量が膨大なので、なかなか手が回らないということもあるのでしょうが、これは日本企業にとって大きな課題です。

一方、欧米の大手企業はその点を非常に重視しています。たとえば、GEやAT&Tなどでは、そのための専門チームを編成して、外部のコンサルタントも使いながら、人事・組織の評価をしっかり行っています。

失敗のケースでは、PMIプロセスでもさまざまな問題が見られます。なかには被買収企業の自立性を尊重すると言いつつ、実際には自由放任経営を許し、シナジーを生み出せない場合もあります。プレM&AとPMIはそれぞれ担当部署が異なる場合が多いことから、双方の整合性が取れずにうまく統合効果を創出できないといった事例も見受けられます。

なお、PMIではM&Aの目的によって重きを置くべきポイントが異なるため、PMIの取り組み対象範囲やかけるべき時間が違ってきます。特に、デジタル関連企業を買収する際には、グループ会社だけでなく、取引先、協力会社、場合によっては顧客や消費者まで含めたエコシステム全体でPMIを進める必要があるのです。

次回以降では、M&Aの目的別にPMIの特徴について詳しく取り上げることにしましょう。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

小沼 靖(こぬま・やすし)
株式会社野村総合研究所 コンサルティング事業本部シニアコンサルタント/プロジェクト・コーディネーター。1958年生まれ。82年早稲田大学商学部卒業後、日系医療機器メーカーに勤務。91年イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校会計学修士(MSA)、92年サンダーバード国際経営大学院経営学修士(MBA)取得。外資系飲料メーカーを経て、野村総合研究所入社、現在に至る。著書に『日本企業型グループ・リストラクチャリング』など。

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