千住氏の「芸術家の役割は、混沌に秩序を与えること」という考え方は、経営にもつながるという。「経営」の言葉の由来から、「経営」と「芸術」の親和性を紐解く。さらに、「切っても切り離せない」というサイエンスとアートの深い関係について、古代からの歴史、そして現在の自身の創作活動を振り返りながら考察いただく。

「第1回:『芸術とは何か』についての考察」はこちら>

「経営」と「芸術」の親和性

――前回、「芸術家の役割は、混沌に秩序を与えること」と伺いました。色彩のバランスを整えて、調和をつくっていくというあたり、何か経営にも通じるものがありそうです。

千住 
そうですね。「経営」という言葉は、5世紀ごろに中国の謝赫が述べた絵画制作の6つの要点である『六法』に初めて出てきました。「構図をしっかり決める」ということです。たとえば、画面の中に十色の色を使う時に、全部バラバラに塗ったら絵になりません。あるものは強く、あるものは弱く、画家はそうして構図を考えながら、絵を描くわけです。オーケストラでは、指揮者の合図で一斉に音を出しますが、普通に考えたらうまくいかないですよね。そこで、君はもうちょっと弱い音で、君はもうちょっと強い音でと、全体の調和を図っていきます。つまり混沌に秩序を与えるということです。これはまさに経営にもつながるんじゃないでしょうか。それで転じてビジネスの要諦となっていったのです。人間の営みに欠かせない理念と実践を芸術はそもそも持ち合わせています。

ただ壁にスペースがあるから飾ろう、というレベルのものであったら、人類誕生の時から今日まで絵画は残っていないはずです。なぜ残ったかと言えば、作品そのものに人が生きていく上での重要なヒントがたくさんつまっている。常識的に考えても、実生活に役立たない無用の長物だったらとっくになくなっていますよ。

サイエンスはアート、アートはサイエンス

――さらに想像力豊かに発想をふくらませると、芸術はデータを情報化したサイエンスとも言えるのではないでしょうか?

千住 
サイエンスはアートです。同時にアートはサイエンスです。今から3万、4万年前、人間が描いた動物の壁画は、大体横顔になっています。なぜかというと、正面から描いたら次の瞬間に襲われていたからです。つまり横顔しか描けなかった。そして、その横顔を大体広い場所で描いています。広い場所で描くということは、みんなで危ない動物のディテールについて情報共有することを意味します。それが芸術の始まりでした。

外にはこんな動物がいる、真正面から見たら食いつかれるといった情報をもとに描かれたということは、つまり、芸術というのは観察データをもとにした切実なサイエンスだったと捉えられます。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチもそうですが、優れた科学者たちは芸術にも造詣が深いことはよく知られています。

そういう現実を見据えた時に、芸術が内包する観察をしていくという気持ちはまさに科学者の気持ちに近いと思います。ですから科学と芸術というのはそもそものルーツは一つだったのです。現代の最先端のサイエンスに関しても、極めてアーティスティックな直観が研究に寄与することがあると聞いています。そういう意味からも、今でもサイエンスとアートは切り離せないものです。

――ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」で、単に美しい女性を描いたわけではない、と千住さんは指摘されています。まだ、中世キリスト教社会の考えが世の中に浸透していた時代に、この作品はどんな一石を投じたのでしょうか。

千住 
自由な人間の心が抑圧され、常に懺悔と反省の祈りの中で生きよというのが、中世ヨーロッパの考え方です。しかし、私たちは喜怒哀楽の4つの感情を持った人間である、とダ・ヴィンチは唱えました。

僕は「モナ・リザ」の絵を見るたびに、三億円事件のモンタージュ写真を思い出します。よく見ると、どことなく両者が似ているように思えて仕方ありません。それには理由があって、モンタージュ写真のようにあることを合成した作品が「モナ・リザ」であるからです。人間の4つの感情を足したらどうなるか、どんな表情になるのか、ちょっと想像してみてください。

科学者でもあったダ・ヴィンチが芸術家としてすばらしいのは、喜怒哀楽を足して4で割ったら微笑みが勝ると考えた点です。サイエンスとアートというのは、そういう意味で表裏一体のものです。あの時代に、人間とは何か、それを4つの感情を持っている存在として捉えたのがダ・ヴィンチでした。現代に通じる生きるヒントを芸術作品は残してくれているのです。

「再発見」することも芸術家の大きな仕事

――ご自身の創作活動において、サイエンスとアートのつながりを実感する瞬間はどのような時でしょうか?

千住 
長野県にある軽井沢千住博美術館に展示している〈デイフォール/ ナイトフォール〉(2007年)という作品があります。蛍光塗料で描いていて、本当に美しい白色をしていますが、ブラックライトを当てると青色に変わります。照明の変化により「昼」と「夜」の滝が交互に浮かび上がるようにしているのです。

美術館内のウォーターフォール 撮影:Daici Ano

龍神Ⅰ、Ⅱ(ナイトフォール) 撮影:Nacasa & Partners Inc.

これまでは、ネオンサインに彩られる夜の情景を表現するのは難しいことでしたが、夜の街を歩いていて、ふと見かけたバーの小さな看板がヒントを与えてくれました。蛍光塗料で書かれたビールやホットドックといった看板の文字のなんと美しかったことか。人工的な素材ですが、だからこそ、現代の夜というものも表現できるのではないかと再発見した。科学がつくり出し、発見するものを、芸術は再発見するというリレーのバトンタッチのような面白さを実感した瞬間でした。この「再発見」こそ、芸術家のもっとも大きな仕事だと思っています。

千住 博(せんじゅ・ひろし)
1958年、東京都生まれ。87年、東京藝術大学大学院博士課程を単位取得満期退学。数々の展覧会を重ねながら、95年には第46回ヴェネチア・ビエンナ—レに参加、絵画として東洋人初の名誉賞を受賞。その後、ニュ—ヨ—クにアトリエを構え、各国・各地で作品を発表。それらは、メトロポリタン美術館、ロサンジェルス現代美術館、国立故宮博物院南院など、国内外の美術館に収蔵されている。また2007年~2013年3月まで京都造形芸術大学学長を務め、現在は教授として後進の教育に携わる。パブリックアートや数々の舞台美術も手がけ、幅広い分野で、現代ア—トの世界をリ—ドし続けている。

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