元日本たばこ産業株式会社 代表取締役副社長兼副CEO 新貝康司氏
M&Aを成功に導くためには、交渉のスキルももちろん必要だが、自分事として主体性を持つ「オーナーシップ・マインド」が重要で、自ら主体的にどの企業を買収すべきかを常に考えておくべき、新貝氏と語る。副社長を退任するまで、買収候補企業のリストを常に持って検討していたという新貝氏が考える、M&A人財の育成とは―?

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「第3回:ギャラハー買収と『買収後経営の青写真』」はこちら>
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交渉のハード・スキルとソフト・スキル

――このM&A連載シリーズにご登場いただいた服部暢逹さんが、新貝さんのことを、「欧米人と英語で喧嘩ができる数少ない日本人」とおっしゃっていましたが、新貝さんのように交渉事に長けたM&A人財を育てるにはどうしたら良いのでしょうか?

新貝
それは買いかぶりだと思いますが、私自身は、30歳代に米国にいた7年間、バイオや製薬のベンチャービジネスと英語での交渉や提携を数多く手がけ、その経験がM&Aの交渉の際に役立ってきました。

また、交渉に欠かせない英語のスキルに加えて、事業、財務、法務、人事の知識といった「ハード・スキル」を身につけておくことは不可欠でしょう。これらはすべて、買収後の経営のために必要となるスキルです。

もう一つ、重要なのが人と人との交流のスキル、対人関係を構築する「ソフト・スキル」です。これはやはり交渉をはじめとするさまざまな場を経験しない限り身につきません。そして、自分が取り組んでいる交渉がいったいどのような性格のものなのかをよく理解する必要があると思います。つまり、一方の利益が他方の損失になるようなゼロサムの交渉なのか、双方にとってメリットとなるWin-Winの交渉なのか、よく見極めて、それぞれに即した交渉のスタイルを身につけていくことが求められます。

たとえば、いろいろなこだわり事項が交渉で出てきたときは、相手方が何か懸念を抱いているわけで、懸念を察知されまいと頑張ってしまうことがあります。ところが、それは必ずしもこちら側にとっては懸念事項ではない場合もありますし、議論の俎上に載せることで一緒に解決できることもあります。そのような場合には、相手の懸念を聞き出すような、話しやすい関係性をつくり出すことも大切です。

交渉事というのは、最後の瞬間まで何が起こるかわからないもので、詰めが非常に重要になります。それまでに良い関係性をつくり上げて、最後の最後にディール・ブレイクになるような問題が出てこないように交渉を進めることが大切なのです。

オーナーシップ・マインドが成功のカギを握る

――M&Aを成功に導くために、特に重要だと思われることはなんでしょうか。

新貝
オーナーシップ・マインド、すなわち広い視野と高い視座を持ちつつ、あたかもオーナーであるかのように、自分事として主体性を持つことだと思います。投資銀行等からの持ち込み案件を、受け身で対応することは避けるべきです。本業であれば業界、競争相手のこともわかるわけですから、自ら主体的にどの企業を買収すべきか、常に考えておくべきでしょう。私自身、JTの副社長を退任するまで、買収候補企業のリストを常に持って検討していました。

その中で、場合によっては何年もかけて対象会社と対話をして、お互いのことを理解したうえで、買収の話を持ちかけてきました。出会い頭に「結婚しましょう」などと言うのはうまくいくとは限りません。特に、オーナー企業の場合には、その会社に対する思い入れがあり、なおさらです。

もう一つ大事なのは、買収を検討している人自身が、その後の経営に主体的に携わり責任を果たすことです。つまり、「私企画する人、あなたやる人」にならないということ。そうしないと、詰めが甘くなり、無責任になってしまいます。自分が手を下さないばかりに実行不可能な統合計画をつくってしまうと、「はじめから無理だと思っていたんだ」とか、「こんなもの実行できるわけがないじゃないか」と、後で任された人たちから言い訳や不満の声が続出することになりかねません。

実は、買収が決まると、世界中の著名コンサルティング会社から、「統合計画づくりのお手伝いをしましょう」とオファーがきました。私たちはそれをすべて断りました。事業を知らなければ経営の青写真は描けませんし、統合計画をつくることも難しい。実際にJTでは、いずれの買収でも、買収チームのメンバーが中心となって統合計画の策定を行い、そのままJTインターナショナル(JTI)の経営の中枢を担ってきました。

また、買収先の経営陣をうまく経営に取り込みたいのであれば、枢要なガバナンスポジションをつくって、ともに会社を盛り立てていくことも重要だと思います。

M&Aは経営者養成学校

――一人ひとりがオーナーシップ・マインドを持てるようにするには、どうすればいいのでしょう?

新貝
やはり意欲と能力、責任感のある人財に、積極的に場を提供していくことだと思います。特に若い人は、場が提供されないと成長できないし、志の高い人は辞めてしまいます。そこで、JTでは 2001年に、管理職について職務給制度を採用しました。

この制度の良い点は、職務価値の大小で給与が決まる制度なので、若くても意欲、能力、責任感のある人を抜擢することができることです。その人にふさわしいストレッチの効いた職務を提供することで、モチベートすることができます。もちろん、給与も上がります。逆に、期待通りの成果がでなければ、職務価値の低い職務に異動させることで給与を減じ、周りからの怨嗟や反発を抑えることもできます。

また、若い人に場を提供するという意味で、M&Aという有事を活かさない手はありません。小さなM&Aの案件で経験を積ませることが重要です。実際に、若い頃にマンチェスター・タバコ買収(1992年)を手がけた寺畠正道さんは、与えられた役割をしっかり務め上げ、経験を血肉に変えて、成果を上げ続け、現在ではJTのグループCEOを務めています。

なお、交渉責任者を任せる以上は、事前に交渉に関する権限を与えることも重要です。なぜなら、交渉ごとにおいてピアプレッシャー、つまり仲間からの圧力ほど怖いものはないからです。授権がなければ、その場で決めることが難しくなり、交渉をうまく運べなくなります。

どの場面においても、M&Aの成功は、そこに携わる人が仕事にオーナーシップ・マインドを持つことに尽きると言えるのではないでしょうか。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

新貝康司
元日本たばこ産業株式会社(JT)代表取締役副社長兼副CEO。
1980年、京都大学大学院電子工学課程修士課程修了後、日本専売公社(現JT)へ入社。JT America Inc.社長、経営企画部部長、財務企画部長、取締役執行役員財務責任者(CFO)などを歴任。2006年から2011年まで、JTインターナショナル(JTI)の副社長兼副CEOを務め、この間にギャラハー買収と統合を指揮。2011年、JT代表取締役副社長、2018年1月より取締役、同年3月退任。2014年から2018年6月までリクルートホールディング社外取締役。現在、アサヒグループホールディングス社外取締役、三菱UFJフィナンシャルグループ社外取締役、AIベンチャービジネスのエクサウィザーズ社外取締役なども務める。