元日本たばこ産業株式会社 代表取締役副社長兼副CEO 新貝康司氏
日本企業によるクロスボーダーのM&Aの成功例に、日本たばこ産業株式会社(JT)の事例がある。JTによる米国RJR NABISCOの子会社RJRインターナショナル(RJRI、1999年)、英国のギャラハー(2007年)の買収はいずれも、当時、日本企業の海外企業買収で史上最大として話題を呼んだ。RJRIの買収を機に、JTはグローバル企業として大きく成長、ギャラハーの買収でさらにその地位を不動のものとした。JTのM&Aの目的、買収のプロセス、買収後の統合のポイント、M&A人財の育成などについて、M&Aの戦略を描き、買収・統合を牽引した元JT副社長の新貝康司氏に伺った。

「人財貧者」の戦略としてM&Aに挑む

――新貝さんは、JTの企業買収において中心的な役割を担われたそうですが、1999年のRJRIの買収、2007年のギャラハー買収の際には、それぞれどのようなお立場で、どんな役割を担われたのか教えてください。

新貝
私は、JTアメリカで新薬・バイオベンチャーとの共同研究開発案件を手がけた後、1996年に帰国して、JT本社で経営企画部部長として、中期経営計画や企業買収プロジェクトなどを担当していました。JTが1999年にRJRIを買収した際、RJRIを母体として、海外のたばこ事業を担うJTインターナショナル(JTI)を設立。買収資金のファイナンス、買収した相手をどう適切にガバナンスするか、投資家にいかにエクイティーストーリーを理解、納得してもらうかに注力しました。

その後、2001年頃から財務機能の強化を手がけ、2004年には取締役執行役員財務責任者(CFO)に就任して、買収チーム(BD=Business Development)のヘッドも務めていました。2007年のギャラハー買収に際しては、2003年からの計画段階から、JTIのDeputy CEOとしてJTIに転勤し、買収交渉、統合、その後の経営に至るまでをリードする役割を担いました。統合時には、要のJTIのCFOも兼務して、シナジーの発揮に努めました。

――RJRIの買収では、主に買収後の経営に関わられたということですね。

新貝
ええ。RJRIの買収を契機にJTが行うようになったグローバル経営の特徴を一言で表現すると、「適切なガバナンスを前提とした任せる経営」と言えます。つまり、JT本社はガバナンスに特化して、海外たばこ事業については旧RJRIが母体となったJTIに任せています。もちろん、ただ任せると放任になってしまいますので、責任権限のルールを明確にして、要の部分については掌握しています。ただし、日々の箸の上げ下ろしまでは口出ししないということです。

ちなみに、JTI本社はスイス・ジュネーブにあります。その理由は、日本人に過度に依存しないグローバルな組織により、海外たばこ事業を拡大・成長させる必要があったためです。JTは当時、グローバル人財がほとんど皆無でしたので、JTのM&Aは、いわば「人財貧者」の戦略なんですね。

海外マーケットへの進出以外に生きる道はない

――買収によってグローバル人財を得る必要があったというわけですね。

新貝
そうです。なぜ、JTが海外たばこ事業に力を入れて、日本人に依存しないグローバル組織をつくる必要があったのか。その理由は民営化まで遡ります。

日本専売公社は1985年に民営化してJTになりましたが、その背景にはドメスティックな企業から脱却しなければ将来はないという切迫した危機感がありました。民営化により専売公社の制約を取り払い、まずは輸出から、海外市場へのアプローチを始める必要があったのです。

ところが、民営化してまもない1987年に、輸入たばこの関税が撤廃され、また、プラザ合意により85年に1ドル=250円程度だった円が3年ほどで約125円と倍になると、海外メーカーにとっては大きな追い風となって、急激にJTの国内シェアが低下してしまいました。

しかも、1988年に国内たばこ市場の今後をシミュレーションしたところ、98年頃を頂点に減少に転じることがわかっていました。つまり、10年たらずの間に海外展開しなければ先はない、というところへ追い込まれていたのです。

しかし、わずか10年で、それでなくても広告宣伝の規制に縛られるなど制約の多いたばこという商材を携えて、独力で海外に出て、マーケティング投資をして、ブランドを立ち上げるのはほぼ不可能です。そもそも世界の多様なマーケットで商売をするには、人財が圧倒的に足りませんでした。

そこで、海外のたばこ企業の買収により、グローバル化のプラットフォーム、すなわち、ブランド、マーケット・プレゼンス、グローバルサプライチェーンのインフラ等を手に入れるとともに、「究極の経験者採用」により有為の人財を獲得することにしたわけです。

民営化以後のJTのあゆみ

M&Aは自ら「有事」をつくること

新貝
言わば、大規模M&Aは自ら有事をつくり出すことです。平時であれば自律分散の組織が有効ですが、有事の際にはトップダウンで即断即決、実行しなければなりません。それによって組織や人が一体となり、強くなるという側面もあります。

実際に、JTはM&Aを通じて、コーポレート機能を含めた会社全体を強化してきたと言っていい。言うなれば、もともと道がなかったところを、買収という「大型重機」で道をつくりながら進むという「発想の逆転」で臨んできたのです。

また、自然災害などの危機の際に、「疾風に勁草を知る」よろしく、リーダーシップを発揮して頭角を表す人がいますが、M&Aはそういった有事、つまり大きな変革や危機の克服時に必要なリーダーを発掘し、育てる上でも有効です。

いずれにせよ、「買収の成功は買収後経営の成功」にあり、我々の場合は「買収の成功は統合の成功」にありました。結婚にたとえると、買収発表の記者会見は「婚約発表」でしかなく、真に大事なのは「結婚生活」にあたる買収完了後の経営、あるいは統合です。準備を入念に行い、統合に注力してきたことが、JTのM&Aを成功へ導いたと言っていいと思います。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹)

新貝康司
元日本たばこ産業株式会社(JT)代表取締役副社長兼副CEO。
1980年、京都大学大学院電子工学課程修士課程修了後、日本専売公社(現JT)へ入社。JT America Inc.社長、経営企画部部長、財務企画部長、取締役執行役員財務責任者(CFO)などを歴任。2006年から2011年まで、JTインターナショナル(JTI)の副社長兼副CEOを務め、この間にギャラハー買収と統合を指揮。2011年、JT代表取締役副社長、2018年1月より取締役、同年3月退任。2014年から2018年6月までリクルートホールディング社外取締役。現在、アサヒグループホールディングス社外取締役、三菱UFJフィナンシャルグループ社外取締役、AIベンチャービジネスのエクサウィザーズ社外取締役なども務める。

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