一橋ビジネススクール教授 楠木 建氏

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働き方改革の議論について僕がイヤな感じだなと思うのは、政府がこう言っているから、企業はそれをやらなきゃというような、政府と企業が中学校の先生と生徒みたいになっているということ。なんかすごく幼稚で、こういうのは本当に経営の自殺っていうか、経営の自由意志の放棄っていう気がします。

話を生産性の分母であるインプット(投入資源)に戻します。同じ成果が出るならば、投入は小さいほうがいいに決まっている。個別の企業の中には「同じ成果を出すのに、こういうことはやめた方がいいんじゃないの」っていうことがまだいっぱいあると思うんです。特に、大企業の間接部門。直接部門もそうかもしれませんけど。「1人でできる仕事を3人でやっている」とか、「そもそもこのレイヤー、いらないんじゃないの」とか、「なんでこの人が中間管理職でいるの」とか、そういったことですね。

これは、長期利益をたたき出すという経営の本筋から外れた事情でそうなっているんです。会社というのは人間社会なんで、事情はいろいろあるわけです。すぐにスパスパと経済合理的に切るのは難しいかもしれないけど、個別の企業の中にあるあからさまな無駄、これを引いていく。「もっとこういうことをやろう」「こういうことも大切だ」っていう足し算ではなくて、引き算なんです。それが分母を小さくすることによって生産性を引き上げる。これは政府の仕事ではなくて、個別企業の経営の問題です。

この引き算の難しさっていうのは、下から「こういうことはもうやめよう」という意見が上がってこないところにある。というのは、現場の人が引き算的なイニシアチブなり提案なり行動をすると、「お前、サボろうと思ってんのか」って言われるわけです。これは日本だけではなくどこでもそういうものです。

だからリーダーが必要になる。僕は、現場と別にリーダーがいることの意味っていうのは、引き算ができることにあると思っています。「これはやめる」「こういうことはもうしない」、こういう引き算を経営側はきちんとやらなければいけないということです。

幸いなことに何か物事が良くなる時のいちばんいい状態っていうのは、「前が悪い」っていうことなんです。つまり、人間は良くなっているとか悪くなっているという判断は、かならず二つの時点を頭の中に置いて、その変化率でイメージする。「いや、最近、平安時代と比べてずいぶん良くなったよ」という人はあまりいない。大体は、見聞きした記憶に残っている範囲で比較して、良いだの悪いだの言ってるんです。何かが良くなったとみんなが思うと、そこにモメンタム(推進力)が発生します。なので、「前が悪い」っていうのは、ある意味でとても経営しやすいんです。

たとえば、トヨタの世界最高水準の組立工程、それを今からもっと分母を小さくしよう、無駄を削減しようって言われても、これは難易度が高い。もう絞れないくらいやってきてますっていう話なんで。でも、水をじゃぶじゃぶに含んだような企業には、ちょっとした力でも絞れる無駄がある。分母を引き算するための伸びしろがある。これまでのやり方に拘泥せず、ゼロベースから取り組めば、いまが10の分母を5にすることができるかもしれません。

それまでパッとしない会社ほど、分母の引き算という大きな生産性向上の伸びしろがあるということです。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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