Hitachi
お問い合わせお問い合わせ
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
衣食住のうち、世界的に見ても衣食においては洗練されてきた日本。日本人がこれから磨くべきは住ではないかと、楠木氏は提案する。

※本記事は、2023年7月11日時点で書かれた内容となっています。

「第1回:家を見ればその人がわかる。」はこちら>
「第2回:ちょうどいい大きさ。」はこちら>
「第3回:生活哲学としての『方丈記』。」はこちら>
「第4回:衣食、住。」

僕は子どもの頃、南アフリカ共和国にいました。住んでいた家は鴨長明の方丈庵とは真逆の、とても大きな家でした。当時の南アフリカではアパルトヘイトが施行されていて、メイドさんが常時いたんです。基本的な人権を持たない黒人が、事実上の奴隷として使われている。その人たちが掃除してくれたり料理をつくってくれたりするおかげで、だだっ広い家でも特に問題なく暮らせている――今から考えるととんでもない状況です。今にして思えば、だれかの力がないと生活できないほど大きな家ってどうなのかな……という話です。

鴨長明とまではいきませんが、自分の価値基準を反映した家、その価値基準の方向へ自分をいざなってくれるような家に、最終的には住みたいと思っています。

僕は軽井沢に小さな家を持っています。そこから歩いて行けるところに、住宅建築の巨匠である吉村順三さん(1908年~1997年)の山荘があります。自著『小さな森の家』で吉村さんは、自ら設計したこの山荘について解説しています。

住宅建築の設計における吉村さんの前提は、「家とは、私的な生活を楽しむ場所である」。質素であり、気持ちが良く、安楽。何よりも、時間の経過とともに飽きが来ない。むしろ、住む人にとっての価値が時間とともに高まっていく。これが理想の住宅だ――。この考え方をほぼ完璧に形にしたのが、ご自身が軽井沢に経てた山荘「小さな森の家」です。

「小さな森の家」は1960年完成です。築60年以上経っているわけですが、全然古びていない。今なおスタンダードであり続けています。

僕が軽井沢に持っている家は、30年ほど前に建てられ、その後縁あって購入した中古の小さな2階建てです。それを一度解体して、平屋に建て直したいと思っています。もう少し年を取って今より暇になったら、一年のうち軽井沢で過ごす日数をもっと増やすつもりです。自分の仕事場として使う部屋にベッドも入れて、楽器も置いて、厳選して残した本も置く。同じようにママ(妻)の部屋も別にあって、あとはちょっとした居間がある――そういう理想の平屋を考えるのが楽しい。まだまだ実行には移していませんが、住まいというものは自分の生活にとって重要であり、自分の価値基準が問われるものです。

当たり前ですが、衣食住は人間生活の基本です。

例えば、食。僕は、味の素の冷凍ギョーザや冷凍シューマイが大好きです。かつての加ト吉、現在テーブルマークが出している「丹念仕込み」という冷凍うどんも大好き。もはや讃岐に行く必要などないくらいおいしい。暑い季節になると僕は、「丹念仕込み」をレンチンして冷水で締め、おつゆをかけて、ネギとゴマとノリを載せて食べています。

こんなにおいしいものが、こんなに安く、しかもこんなに簡単に調理できる――日本の冷凍食品業界こそ、市場競争が最も健全な形で機能している例だと思うんです。「いい味」がわかる、洗練された消費者がいる。食品メーカーは彼らの評価にさらされ、切磋琢磨を重ねる。結果、冷凍食品はどんどんおいしくなっている。しかも、家で調理するのも楽。最終的には消費者が生活上の利得を得ていく。衣食住の食に関して、その洗練の度合いや水準は、日本は世界一だと思います。

衣食住の衣についても、特に2000年代に入って日本は洗練されてきたと感じます。僕の若い頃――ミッド昭和時代、日本人のだれもがアメリカ人のカッコよさに憧れました。でも今や、同世代の人を見ても若者を見ても、日本人のほうがよっぽど洗練されているように映ります。

ただ、住に関しては、日本はかなり劣後していると思います。そもそも人間の注意の総量は限られているので、住に割く余裕がなかっただけかもしれません。ですが、コロナ騒動を経て、住まいの価値について多くの日本人が再考するようになったはずです。僕が思うに、住まいや住環境の成熟こそ、日本にとっての伸び代なんじゃないか。

衣食住は毎日のことです。しょっちゅうネットで洋服の新商品をチェックする。おいしいラーメン屋さんの情報をYouTubeなどでチェックする。それはそれで生活を豊かにします。で、これからは住にも関心を向けてみてはいかがでしょうか。一人ひとりが衣食住に対して自分の考えを持ち、自分で「いいな」と思える生活をする。そういうことの集積でいい世の中が出来る。そうやって出来た社会は、戦争なんてしないと思うんです。世界平和のために、自分にとっての住まいを見つめ直してみる。そこにある自分の価値観を知る。教養を錬成する上でも、住まいを考えることは有意義だと思います。

関連記事

画像: 住まいと人間―その4
衣食、住。

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

Key Leader's Voice

各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

経営戦略としての「働き方改革」

今後企業が持続的に成長していくために経営戦略として取り組むべき「働き方改革」。その本質に迫る。

ニューリーダーが開拓する新しい未来

新たな価値創造に挑む気鋭のニューリーダーに、その原動力と開拓する新しい未来を聞く。

日本発の経営戦略「J-CSV」の可能性

日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

デジタル時代のマーケティング戦略

マーケティングにおける「デジタルシフト」を、いかに進めるべきか、第一人者の声や企業事例を紹介する。

私の仕事術

私たちの仕事や働き方の発想を変える、膨らませるヒントに満ちた偉才たちの仕事術を学ぶ。

EFO Salon

さまざまな分野で活躍する方からビジネスや生活における新しい気づきや価値を見出すための話を聞く。

禅のこころ

全生庵七世 平井正修住職に、こころを調え、自己と向き合う『禅のこころ』について話を聞く。

岩倉使節団が遺したもの—日本近代化への懸け橋

明治期に始まる産業振興と文明開化、日本社会の近代化に多大な影響を及ぼした岩倉使節団。産業史的な観点から、いま一度この偉業を見つめ直す。

八尋俊英の「創造者たち」~次世代ビジネスへの視点~

新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

This article is a sponsored article by
''.