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一橋ビジネススクール教授 楠木建氏
優れた経営者の思考の背後には、必ず概念と対概念がある。かつて世の注目を集めたワードやキャッチコピーに込められた、明確な意図とは。

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「第4回:『OMOTENASHI』の対概念。」

※本記事は、2022年9月12日時点で書かれた内容となっています。

戦略的なセンスがある人は、何を見ても何を聞いても、それが「何ではないか」を横に置いて考えるものです。それをよく示しているのが、星野リゾートの星野佳路さんから聞いたエピソードです。

コロナ騒動以前のことですが、いろいろなホテルの経営者が集まる国際会議に星野さんは出席していました。日本が散々「クールジャパン」の文脈で「OMOTENASHI」を世界に向けて発信していた頃です。その言葉自体はすでに世界中のホテル業界の人みんなが知っていたそうです。

その国際会議の場で、あるアメリカのホテル企業の経営者が日本の経営者にこう聞いて回っていました。「OMOTENASHIって最近よく聞くけど、本当のところ何なの?」。日本のある経営者がこう答えました。「日本の得意な親切、丁寧、迅速、きめが細かい、正確なサービス。これがOMOTENASHIだ」。するとアメリカ人の経営者は「それ、うちのホテルでもやってるぞ」と。「ラグジュアリーホテルだからコストをかけた贅沢なサービスを提供している。親切だし丁寧だしきめ細かいサービスだ。それとOMOTENASHIはどう違うのか?」。日本人経営者は黙ってしまったそうです。

横にいた星野さんが反論しました。「ちょっと待て、全然違う」と。「あなたたちが西洋のラグジュアリーホテルで提供しているのはバトラーサービスである。ホテルは執事、召使い。お客さまがマスター、ご主人さま。お客さまとホテルは上下関係にある。サーブ権はつねにマスターが持っている。こういう飲み物を用意しろ、こういうレストランのこういう席を何時に予約しろ、気が変わったんでこっちに変えろ、そこまで行く脚を用意しろ――お客さまのあらゆるサーブをホテルが受け止め、いかにきめ細かく、迅速、丁寧、正確に返すか。あなたたちがしているのはそういうサービスなのだ」と。

星野さんは続けます。「日本のOMOTENSHIは全然違う。ゲストとホストが同じレベルに立っている。上下関係ではない。そしてサーブ権はつねにホストが持っている。もともと茶の湯の文化がそうであるように、まずホスト側が自分の世界観を構築して、それをお客さまに提示する。お客さまは滞在中、四の五の言わず、その世界観に身を浸して楽しむ。それがOMOTENASHIなので、あなたたちが経営するラグジュアリーホテルとは違うでしょう?」。「あ、なるほどね」と、海外の経営者の方々は納得したそうです。確かに、日本の旅館に泊まると、よそのお店でなく必ず旅館の中でごはんを食べる。それは、食事が旅館の提示する世界観の重要な構成要素だからです。

星野さんのように優れた戦略的センスを持つ経営者は、OMOTENASHIという言葉1つとっても、まずそれが「何ではないか」を考える。differentがどこにあるかを捉える。ところが二流経営者は、OMOTENASHIと聞くと「きめの細かいサービスで頑張るぞ」とbetterの方向に走ってしまう。きめの細かいサービスは、コストをかければどのホテルでもできてしまいます。持続的な違いにはならない。概念と対概念という考え方がいかに大切かを示す好例です。

1980年代に「おいしい生活」というキャッチコピーが世の中の注目を集めました。コピーライターの糸井重里さんが西武百貨店の広告のためにつくった言葉で、コピーの傑作と言われています。僕の世代ならほとんどの方が覚えているくらい有名なコピーですが、何がそんなにいいのか。広告のプロの方がおっしゃるには、「このコピーは“より良い生活”ではないという主張をしているんだ」。

高度成長期の百貨店は、日本人のもっと良い生活、もっと豊かな生活、より良い生活を満たすものでした。ところが1980年代になると、「何がいいか」が人によって変わってきた。つまり、成熟してきた。ならばと、一番主観性が強い「おいしい」という形容詞を使って「おいしい生活」。概念に対して対概念がハッキリしている。「何ではないか」というメッセージになっている。だから、広告のコピーとして消費を喚起する力があったわけです。

1990年代、JRが新幹線のぞみの運行を始めたときにヒットした「そうだ 京都、行こう。」も広告コピーの傑作と言われています。聞くところによると、一般公募で出てきたコピーだそうです。

このコピーが言っているのは「旅行じゃない」。それまで東京の人にとって、京都に行くことは旅行でした。事前に計画を立てて、宿を予約して、ガイドブックを買って行く場所だった。ところが、のぞみなら2時間で行けるようになった。「そうだ 京都、行こう。」と言って、ふらっと行けるところになった。もちろん日帰りもできる。もはや京都に行くのは旅行ではない。要するに「のぞみに乗ってね」ということなんですが、優れたアイデアの背後には、やはり概念と対概念という対比があります。

対概念がない概念は、ただのかけ声です。かけ声ほど意味がないものはない。特に政治家の発言を見ていると、形容詞と副詞がとにかく多過ぎる。「しっかりとやります」「スピード感を持って」――これ、ただのかけ声なんで、何も言っていないに等しい。対概念がない。「もっとしっかりやってください」と言いたくなります。

形容詞や副詞を付けておくと、「何かポジティブなことをやろうとしている」メッセージを送ることができます。何も具体的なことを言っていないのに、何かいいことをやろうとしているような気にさせる。しかも、だれからも叱られない。反対されない。なぜなら、「それが何ではないのか」という対概念がまったく見えないからです。「頑張ります」と言われて反対する人はいません。言っているほうも気持ちいいし、聞いているほうもいい。とりあえず、なんとなく「やる気」を感じさせて、その場をしのぐ。これは政治家として姑息だと僕は思います。

「なんとしてでも医療崩壊を回避しなければいけません」――これもかけ声です。コロナ騒動で感染者が急増するたびに「医療崩壊」という言葉を耳にしましたが、それが何を指すのかを多くの政治家は明らかにしません。大雑把に言えば、医療崩壊とは「医療リソースが不足して十分な医療行為を行えない」こと。ここまではわかるんです。では、不足しているのは具体的に何なのか。病床という空間なのか、人工呼吸器をはじめとする医療機器なのか、感染防護服などの消耗品なのか、お医者さんや看護師といった人的資源なのか、あるいは単純に金がないのか。要するに「何ではないのか」をハッキリしていただきたい。そうすれば、医療崩壊が何を指すのかわかります。

リーダーはかけ声に逃げてはいけません。かけ声をかけているうちは二流経営者です。

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画像: 概念と対概念―その4
「OMOTENASHI」の対概念。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどTwitterを使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

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ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

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楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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