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経済記者から日銀副総裁へ転身、日立総合計画研究所の社長を務めただけでなく、作家・エッセイストとしても活躍してきた藤原作弥氏。自身の原点となった幼い頃の満州での体験や戦後の日本と共に歩んできた経験、そして歴史への造詣を基に、近代日本の社会システムは40年周期で変遷してきたと指摘する。
国際秩序が乱れ混迷の度を深めるグローバル社会の中で、これからの日本社会のグランドデザインはどうあるべきか。自身の体験を織り交ぜながら近代日本 160 年の歩みを振り返り、次のターニングポイントとなる2025年以降の日本の姿を展望する。

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嫌いだったはずの経済がおもしろく

――藤原さんは以前から日本の近代社会システムには耐用年数があり、40年の周期で変遷してきたと指摘されています。その着想に至った経緯を教えていただけますか。

日本の社会システムに耐用年数があることをはっきりと意識するようになったのは、バブル景気が始まった頃のことです。敗戦からの復興は当然であるとしても、世界でも突出した成長ぶりを示し、急激な好景気に沸いているのはなぜだろう、という疑問が出発点です。

当時、僕は新聞記者で経済・金融を担当していたのですが、そもそも希望していなかった分野でしたから嫌々ながら取材をしていました。ところが、そのダイナミックな変化を見ているうちに「この変化は何だ? おもしろい!」と思うようになって経済に関心を持てた。そして、景気の波から社会の周期ということについて考えるようになったんです。

その前段として、そもそもなぜ嫌だった経済記者を辞めずにいたのかというと、記者になって1年目に配属されたのが大蔵省(当時)担当で、大臣であった田中角栄さんの人物に魅せられてしまったからです。彼は尋常高等小学校しか出ていなかったとのことでしたが、とてもユニークな発想ができる人でした。僕が見た限りでは、当時の正則英語なども大卒の官僚たちに負けないぐらいしっかり身につけていましたし、高度な哲学書や経済理論書こそ読まなかったけれど、読まなくても自分の体験の中でそれらの理論をつかんでいるというような、すごい人物でした。

それで大蔵省の記者クラブにとどまり、角栄さんや後任の福田赳夫さんを間近で見てきました。その影響もあって、経済を通して世の中全体を見ることがおもしろくなり、さらに社会人としてさまざまな経験をする中で、日本の近代史に興味を持つようになりました。そうこうしているうちにバブル景気が崩壊したことで、社会の循環の周期ということについて考え始めたわけです。

社会の周期に関する説でよく知られているのは「コンドラチェフの波」です。ロシアの経済学者ニコライ・コンドラチェフが提唱した学説で、技術革新によって景気が拡大し、やがて縮小するという長期の循環は、約50~60年周期で起きるというものですね。彼の死後、オーストリアの経済学者ヨーゼフ・シュンペーターによってその学説がコンドラチェフの波と名づけられたのでした。

そのように物事を体系的に考えることの重要性を、僕は経済・社会学者の公文俊平さんから教わりました。公文さんの主な研究対象は社会システムで、コンドラチェフの波は日本の社会システムの変化にも当てはまると説いていました。

ただ僕自身は、自分の体験に照らして考えると、60年とは少し周期が異なるのではないかと感じていました。特に日本の場合、西洋の歴史スケールを当てはめて考えられるのは明治以降であり、近代国家としての日本の歩みについては日本独自の考え方が必要なのではないか、と。

画像: 嫌いだったはずの経済がおもしろく

歴史の意外性と周期性

――周期というものさしで物事を見ると、社会や歴史を俯瞰できますね。

一定の長さで区切ることが議論のすべてではありませんが、物事を体系的に考えるときの、一つの手がかりになります。

政治システムでは、アメリカの政治学者ジョージ・モデルスキーが、世界の覇権国家は100年周期で交代していくという、覇権サイクルの長波理論を提唱しました。15世紀末から現在までの間に五つのサイクルがあり、ポルトガル→オランダ→イギリス第一期→イギリス第二期→アメリカと、それぞれが覇権国家として国際秩序の形成を主導してきたという説です。覇権国家が交代するきっかけはコンペティターとの争いで、例えば、ポルトガルに対抗していたのはスペインですが、次の覇権国家はオランダ、そのオランダにはフランスが対抗していたけれど、次の覇権国家はイギリスだったというふうに、次の覇権国家はそのコンペティターではないという法則性があります。

そうした歴史の意外な展開を実感させられたのが、アメリカ特派員時代に目の当たりにした第一次ニクソンショックです。当時、アメリカはソ連と東西冷戦状態にあり、中国とも対立していましたが、ソ連には構わず1972年にニクソンが北京を訪問して米中関係を和解へと転換させました。まさに当時の流行語「アッと驚く為五郎」です(笑)。

それで、なるほど歴史に法則性を見いだすのはおもしろい、じゃあ日本の歴史はどうだろう、と考えてみたのです。

――40年周期について、具体的に教えていただけますか。

僕が考える法則性は、近代日本の社会システムは,およそ40年ごとに耐用年数が切れて次のシステムに移行する、というものです。第一のサイクルは1868年の明治維新から、第二は1904年の日露戦争から第二次世界大戦の敗戦まで、第三は敗戦の1945年から、第四が1985年のプラザ合意からの40年です。第一と第二のサイクルでは欧米列強に「追いつけ追い越せ」をスローガンに軍事大国をめざしました。しかし、それが敗戦で失敗に終わり、第三と第四のサイクルでは戦後復興、高度経済成長の波に乗って経済大国をめざしました。しかしバブル経済崩壊という失敗があり、今日に至ります。近代日本は、「軍事の戦争」と「経済の戦争」を転換点に、社会システムをつくり変えてきたのです。この法則で考えると、次のターニングポイントは2025年前後になります。

この40年周期説については細部までロジカルに詰めているわけではないため、これまでも正面から取り上げて話したことはありません。ただ、かつて半藤一利さんや司馬遼太郎さんにお話しした際に、「おもしろい」と関心を持っていただけました。歴史に造詣の深い方々と意見が一致したという点では勇気づけられ、少し自信が持てました。(第2回へつづく)

画像: 日本の耐用年数(40年周期)

日本の耐用年数(40年周期)

撮影協力 公益財団法人国際文化会館

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画像: 近代日本 160年の歩みから未来を展望する ~時代を俯瞰する「知」を養うために~
【その1】40年周期で近代日本の変遷を見る

藤原 作弥
1937年仙台市に生まれる。旧満州安東(現丹東)で終戦を迎え、1946年11月帰国。1962年東京外語大学フランス学科卒業後、時事通信入社。オタワ・ワシントン特派員、編集委員、解説委員長などを歴任。1998年から2003年まで日本銀行副総裁、2003年から2007年まで日立総合計画研究所社長を務める。
著書に『聖母病院の友人たち』(日本エッセイストクラブ賞受賞)、『満州、少国民の戦記』、『李香蘭・私の半生』(山口淑子氏との共著)、『死を看取るこころ』、『満州の風』、『素顔の日銀副総裁日記』ほか多数。

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