2015年6月2日。経団連、初の女性役員が誕生した。BTジャパン株式会社代表取締役社長、吉田晴乃氏。30歳で日本を飛び出し、営業職としてカナダ、アメリカの通信会社を渡り歩いてきた吉田氏は、今や気鋭のビジネスリーダーとして、日本経済界の注目を集めている。経団連審議員会副議長に就任し数週間を経た6月下旬、ビジネスパーソンとして吉田氏が歩んできた軌跡と、日本法人代表を務めるイギリス通信最大手、BTグループのグローバル戦略について話を聞いた。

画像: プロフィール 吉田 晴乃(よしだ はるの) 1964年、東京都生まれ。アメリカの通信機器メーカー、モトローラ社の日本法人にて社会人生活をスタートする。1990年代にカナダに移住し、現地の通信会社に就職。その後、NTTアメリカ法人、NTTコミュニケーションズを経て、2008年にアメリカの通信大手ベライゾンコミュニケーションズの日本法人営業本部長に就任。2012年1月から、イギリスの通信大手ブリティッシュ・テレコム社の日本法人、BTジャパン株式会社の代表取締役社長を務める。2015年6月、日本経済団体連合会初の女性役員として、同・審議員会副議長に就任。

プロフィール
吉田 晴乃(よしだ はるの)
1964年、東京都生まれ。アメリカの通信機器メーカー、モトローラ社の日本法人にて社会人生活をスタートする。1990年代にカナダに移住し、現地の通信会社に就職。その後、NTTアメリカ法人、NTTコミュニケーションズを経て、2008年にアメリカの通信大手ベライゾンコミュニケーションズの日本法人営業本部長に就任。2012年1月から、イギリスの通信大手ブリティッシュ・テレコム社の日本法人、BTジャパン株式会社の代表取締役社長を務める。2015年6月、日本経済団体連合会初の女性役員として、同・審議員会副議長に就任。

通信業界に感じた、大きな魅力

吉田さんは初め、アメリカの通信機器メーカー、モトローラ社の日本法人に就職。その後、カナダ、アメリカに渡られましたが、いずれも通信会社の営業職というお仕事でした。なぜ、通信業界だったのでしょうか。

吉田
意外かもしれませんが、控えめで地道なことにすごく惹かれるんですよ。そして、大きなミッションを持った、スケールの大きなものが大好き。
モトローラ時代に「なんてことでしょう!」と思ったのが、同社の計画で1998年に始まった衛星電話サービス"イリジウム"でした。77個の衛星*を打ち上げて世界中の通信を可能にしましょうという、とてもロマンチックなプロジェクト。そういった、壮大で未来志向で、"みんなを幸せにします!"といったお仕事の話を聞くと、心が燃えたぎってくるんです。「わたしの出番じゃないかしら?」って(笑)

* 当初の計画では77個の予定だったが、最終的に66個に変更。プロジェクトの名称は、元素の一つであるイリジウムの原子番号77に由来する。

3カ国を渡り歩いて見つけた、ビジネスの本質

吉田さんにとって、会社や国が変わっても、ビジネスに欠かせない要素は何ですか。

吉田
自分の価値に気づくこと、です。

わたしはもともと保守的な家庭に育ちました。有名企業に入って旦那さんを見つけて、5年くらいで退職して専業主婦になる。といった将来を親からは期待されていたんですが、「そんな人生はつまらないな」と、子どもの頃からずっと思っていました。そして日本を飛び出したのが、30歳の年。カナダに渡ってからシングルマザーとなり、娘を育てながら現地で働いていこうとなった時に、わたしは衝撃を受けました。自分を説明できるものが何ひとつないんです。どこの大学を出たとか、出身地がどこだとかいったアイデンティティーが一切通用しない。現地の人たちが持っていた日本の知識なんて、「ジャパンの首都ってコリアだっけ?」ぐらいのものでしたから。真っ裸の状態から、自分というものを確立していかなきゃいけない。そういう時に自分自身に問いかけられることって、一つだけでした。「じゃあ、わたしは何をやりたいの?」わたしの場合、やっぱりそれが通信の営業という仕事だったんです。

画像: 3カ国を渡り歩いて見つけた、ビジネスの本質

ただひとつだけ、カナダに渡って初めてわたしの中で輝き出したアイデンティティーがありました。それは、日本人だということ。そこに気づかせてくれたのは、現地の人たちの目でした。わたしにとって当たり前のことでも、「あなたは日本人だから、そういう素晴らしい考え方をするのね」と感心される。そこで日本人としての自分を再確認しましたね。

自分の価値に気づくという重要性は、個人のレベルだけでなく、企業のレベル、そして日本の社会そのものについても言えることだと思います。でも日本って、気づかいの文化じゃないですか。もともと日本人の根底にあった"調和"の精神が、戦後の高度経済成長期からバブルという激しい変化を経たことで、"調整"に変わってしまったように思います。そして、いつの間にか、外の環境を調整することに翻弄され、自分に目を向けることを忘れてしまったのではないでしょうか。

営業という仕事に懸けた、強い思い

営業という仕事を続ける中で、いつもどんなことを心がけていましたか。

吉田
「絶対に、ひとには負けまい」と肝に銘じていました。わたし、数字ってわかりやすくて嘘つかないから好きなんです。そして、営業職だから、キャリアを積み重ねることができたんだと思っています。反応がわかりやすいですからね。あるサービスがあって、その素晴らしさをお客さまに伝えて、お客さまがそれに乗ってくださって、導入して喜んでくださって、それがわたしの成績になる。とてもわかりやすい循環じゃないですか。そして、営業成績で圧倒的な数字を残しさえすれば、会社は評価してくれるんですよね。

勝ちにいかない、BTのグローバル戦略

吉田さんは、北米で10年以上キャリアを積んだのちに日本に戻られます。そして2012年1月に、イギリスの通信最大手、ブリティッシュ・テレコム社(以下、BT)の日本法人、BTジャパン株式会社の代表取締役社長に就任されました。BTとは、どんな歴史を持った会社なのでしょうか。

吉田
170年の歴史を持つ世界最古の通信事業者で、もともとは、イギリスの国営企業でした。それが、サッチャー政権下の1981年に民営化されたんです。イギリスの場合、民営化されると完全に自由競争にさらされてしまうんですね。政府からの保護は一切ない。しかし、イギリス国内のマーケットはそれほど大きくないから、BTはまずグローバルに出て行った、という経緯があります。BTジャパンが設立されたのは、1985年のことです。

そのBTをお選びになった決め手は何だったんでしょうか。

吉田
日本で外資系の企業に勤めていると、実はいろいろな葛藤があるんですよ。わたしがすごく嫌だったのは、日本人が一生懸命に作り上げたマーケットを、外資系の企業が食い荒らしていくという図式です。そうではなく、外資が日本に入ってくることによって、みんながもうかるしくみが絶対にあるはずだと、わたしは考えていました。そこで思い描いたのは、外資系企業と日本の企業とが確固たるパートナーシップを結び、外資が培ってきた経験やテクノロジーを日本企業に売り出してもらうという戦略でした。それをできるのが、BTだったんです。

画像: 勝ちにいかない、BTのグローバル戦略

BTはロンドンの金融街・シティとも関係が深く、特に金融市場向けでは世界シェア1位のプロバイダーです。そのBTと、2000年のITバブル以後の日本において、金融向けサービスでOEMパートナーを組んでくださったのが、実は日立製作所さんでした。当時の日立さんは、次の世代の金融システムを生み出すために、新しいテクノロジーを探していらした。ただ、それを自社で開発するには時間がかかる。であれば、すでにグローバルスタンダードとなっている弊社のテクノロジーを採用しよう、と判断なさった。そして、BTの持つテクノロジーによって開発されたBT Unified Trading Solutionという金融システムを、日立さんの販路で売り出してくださったんです。それからもう6、7年になりますが、今や導入されてない銀行さんを探すのが大変なくらい、このシステムは普及しています。

これこそが、わたしが日本でやりたかったことなんです。BTが、日本企業にテクノロジーを提供し、日本の市場に広めてもらう。シェアを奪うという姿勢ではなく、現地に嫌われることなくサービスを提供させていただく。あくまで、共存共栄というのが、わたしたちBTのグローバル戦略なのです。

BTのグローバル戦略のルーツは、大英帝国の歴史

BTが、そういった共存共栄のグローバル戦略を掲げるようになったのはなぜでしょうか。

吉田
単純に企業文化というだけでなく、国の歴史に育まれた面が大きいと思います。やはり、大英帝国のグローバル進出って、どこの国よりも早かったですから。その中での、痛い痛い経験があるわけです。現地に入っていくことの難しさを、他のどの国よりも痛切に知っている。外部から入った人間ができることなんて限られているよ、と。そういう境地に立っている人たちなんです、イギリス国民は。

そのスタンスは、ビジネス戦略でも同じです。片や、外国の市場にシェアを奪いにいくだとか、自社のブランドで世界を制覇するといった、まるで30代の青年のようなイケイケどんどんの戦略。片や、そんなことできるもんじゃないよ、競争よりもパートナーシップを結びましょうといった、まるで70代の老人のように達観しているイギリス流のグローバル戦略。そこはやはり、国の歴史によるものが大きいのでしょうね。

BTジャパンが日本の市場に与えるインパクト

BTジャパンとしては、どんなインパクトを日本の市場に与えていきたいですか。

吉田
やはり、イギリスの変革の中での経験からこそ生まれるテクノロジーやノウハウを、わたしたちは持っている。日本の企業、マーケットのグローバル化を助けるシステムやネットワーク、音声、データ、しくみ。こういったものを提案できたらなと考えています。そこで大切なのは、先ほども言ったように、既存企業のシェアを奪うことではないんですね。わたしたちのテクノロジーを売り出してくれる日本の企業と一緒に、市場を作っていきたい。

今、国際情勢が難しくなる中で、経済外交の重要性が叫ばれていますよね。わたしは、経済外交こそが日本を守れるプラットフォームだと思っています。でもそれは、競争を仕掛けるということではなくて、日本の市場を世界の企業がもうかるマーケットにしていくこと。それが実現できたら、だれがその市場を壊そうとしますか。そんなことをしたら誰もが困ってしまう。そういった市場をつくることが、今一番求められていることだと思います。

社長になって思い知った、経営者の苦労

BTジャパンの社長となられて、4年目になりました。経営者として、どんな面でご苦労を感じていますか。

吉田
自分一人の頑張りだけでよかったものが、社長になると、社員のモチベーションを引き出さなきゃいけない。それからマーケティングや、BTのグローバル戦略といったことも考えていかなくてはいけない。海外も含めたあらゆる要素の中で、この所帯を活かして、収益を上げて、お給料を払わなきゃいけない。気持ちが休まることはないですね。今は、経営者の皆さんを尊敬しています。社長って、常に笑ってないといけないんですよ。わたし自身が、会社の雰囲気ですから。迷った顔を社員に見られたくないので、悩んで社長室から出られなくなる時期もずいぶんありました。でも、そういった経験が経営者としての自分を成長させてくれていると思います。


後編では、BTジャパンとしての日本市場における戦略と、経団連初の女性役員としての抱負について話を聞く。

Next:Key Leader's Voice 「女性が輝く、インフラをつくりたい」後編 >

このシリーズの連載企画一覧

女性が輝く、インフラをつくりたい >
ユーザー視点のマーケティング >

This article is a sponsored article by
''.