新しい社会貢献の形として、ビジネスパーソンや企業の関心を集めている「プロボノ」。日立製作所の情報通信部門では、プロボノをCSRの取り組みの1つとして採り入れている。企業が社員向けの施策としてプロボノを行う意味、そして難しさとは何か。2016年度まで情報通信部門のCSR戦略をリードし、現在は日立の本社でグローバル渉外統括本部サステナビリティ推進本部企画部長を務める増田典生に、3回にわたって話を聞いた。

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「第2回:社員を巻き込めるCSRへの取り組み」はこちら>
「第3回:てこの原理が生み出す、たくさんの社会貢献」はこちら>

仕事終わりの日立社員が足を運ぶ場所

平日夜、雑居ビルの一角。小さな打合せスペースに、仕事終わりの男女5人が顔をそろえた。この5人、実はみな日立の情報通信部門で働く社員だが、部署はバラバラ、年代も入社数年目の若手から50代の部長クラスまでと幅広い。この日は、某NPOの活動を拡大するためのマーケティング基礎調査の実施に向け、NPOの職員を交えてキックオフミーティングが行われた。そこには、NPOと日立の橋渡し役を務めるサービスグラントのスタッフも顔を見せていた――。こんな光景が、2016年以降、首都圏のどこかで見られている。

「このプロボノ活動は、1プロジェクトにつき4~6名の社員で行います。期間は2カ月。彼らは週に5時間程度、平日の夜や土日を利用して活動し、本業のスキルを活かしてNPOの課題解決を支援しています」

そう語るのは、日立の増田典生。今は本社でグローバルにおける日立のサステナビリティ戦略を推進しているが、2016年度まで情報通信部門でCSR部長を務め、社員向けの施策の一環としてこの2カ月間のプロボノを採り入れた人物だ。

「情報通信部門の社員を対象に参加希望者を募りました。Webサイトのリニューアルや営業資料の作成支援、マーケティング調査、それからデータ管理の効率化や業務フローの見直しなど、彼らが普段の仕事で使っているスキルを活かせる支援内容にしています」

プロボノが企業人の人生を豊かにする

サービスグラントと日立グループとの最初の接点は、2011年にまでさかのぼる。当時、グループ会社の日立ソリューションズで経営企画部担当部長を務めていた増田がプロボノという言葉を知り、社員向けに開催したランチセミナーの講師にサービスグラントの代表理事・嵯峨生馬氏を招いたのがきっかけだった。

その翌年、増田は日立ソリューションズのCSR部長に就任。そして2015年にグループ内の事業再編で日立製作所の情報通信部門に転籍し、2年間にわたりCSR戦略を取りまとめた。「その間に実施したCSR施策の中の、大きな柱の1つがプロボノでした」と増田は振り返る。

画像: プロボノが企業人の人生を豊かにする

「なぜわたしがプロボノに重きを置いたかと言うと、企業人が人生を豊かにする手段の1つだと感じたからです。

一日24時間のうち8時間働くとすると、単純計算で人生の1/3近くの時間を職場で過ごすことになります。それほど多くの時間をかけて培った専門性を、所属する企業への奉仕・貢献だけに活かすのはもったいない。我々は企業人である以前に、一社会人、一市民です。仕事で身につけた専門性を、企業だけではなく世の中のために活かせる経験ができたら、社員一人ひとりの人生はもっと豊かになるはずです。その機会をプロボノで提供したいと考えました。やがてはそれが、日立に対する社員のロイヤリティーや帰属意識を高めることにつながるかもしれないという期待も持っています」

参加のハードルを下げる、“2カ月”

早くからプロボノに大きな可能性を感じていた増田は、冒頭で触れた2カ月間のプロジェクトとは別に、長期のプロボノプロジェクトも並行している。その支援先は、東日本大震災で津波の被害を受けた岩手県釜石市の唐丹町(とうにちょう)地区。2013年に始まった釜石でのプロボノ支援は、今年5年目に入った。

「支援先のひとつに釜石ヒカリフーズ株式会社という水産加工会社があります。2011年3月の震災で壊滅的な被害を受けた唐丹町を地場産業の水産業で復興しようと、社長の佐藤正一さんが震災のわずか5カ月後に起業しました。その熱意に感銘を受けて、IT面でプロボノ支援をさせていただくことになりました。月に1度は数人の社員と現地を訪れ、会社のWebサイト制作や、受注・発注、在庫、生産工程の管理といったシステムの改良などをお手伝いさせていただきました」

画像: 参加のハードルを下げる、“2カ月”

もともと日立ソリューションズのプロボノプロジェクトとして始まったこの支援は、その後、日立製作所の情報通信部門の社員も参加して継続中だ。長期にわたる釜石での活動を続ける一方で、サービスグラントのサポートによる2カ月間のプロボノを増田が始めた理由は何か。

「社内におけるプロボノ参加者のすそ野を、もっと広げたいと思ったからです。

釜石でのプロボノは復興支援が目的ですから、現地にしっかりと入り込んだ活動が求められます。しかも釜石は、東京から新幹線と在来線を乗り継いで5時間もかかる遠隔地ですから、参加できる社員がどうしても限定されてしまいます。

なるべく近場で、もっと短期間の活動であれば、参加へのハードルが下がってより多くの社員がプロボノを経験できるようになります。そこで支援先を首都圏のNPOに絞り、『2カ月だったら、短すぎず成果も出しやすい適切なボリュームだと思います』という嵯峨さんのお墨付きもいただき、釜石での活動とは別に2カ月間のプロボノを始めることにしました」

こうして2カ月という短期版プロボノの構想が、まずできあがった。このあと増田は、施策としてのスキームづくりと社員へのプロボノの浸透に時間を割くことになる。

画像: 社員を社会につなぐ「プロボノ」
【第4回】日立が始めた、2カ月のプロボノ

増田典生(ますだのりお)
1961年、神戸市生まれ。1985年、日立西部ソフトウェア株式会社(現・株式会社日立ソリューションズ)に入社。システムエンジニアや技術指導員、人事総務課長、経営企画部担当部長などを経て、2012年に日立ソリューションズCSR部長兼ブランド戦略部長に就任。翌2013年に岩手県釜石市でプロボノ活動を開始した。2015年、事業再編で株式会社日立製作所情報・通信システム社(現・システム&サービスビジネス統括本部)に転籍。コーポレートコミュニケーション本部ブランド戦略部担当部長とCSR部長を兼ね、日立情報通信部門のプロボノ施策を牽引した。2017年からは日立本社にてグローバル渉外統括本部サステナビリティ推進本部企画部長を務めている。

第5回は、12月12日公開予定です。

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