「デザイン思考×経営」シリーズの第三弾となる今回は、日立のデザイン思考について取り上げたい。日立は、1957年にデザイン研究所を創設するなど、デザインへの意識的な取り組みを早くから行ってきた。その歴史の中で、デザイン思考が注目を浴びる前から、システム開発における協創の手法「Exアプローチ」を生み出し、顧客とともに経験価値を重視したデザイン思考を実践。さらに2015年には「東京社会イノベーション協創センタ」を開設し、顧客と課題やビジョンを共有する手法、ITツール、空間を体系化した顧客協創方法論「NEXPERIENCE(ネクスペリエンス)」の場として活用している。こうした日立のデザイン思考の取り組みと協創事例を紹介しよう。
画像: 古谷 純 日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン研究部 主管デザイナー 兼 地方創生プロジェクトリーダ

古谷 純
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン研究部 主管デザイナー 兼 地方創生プロジェクトリーダ

画像: 枝松 利幸 日立製作所 サービスプラットフォーム事業本部 デジタルソリューション推進本部 Exアプローチ推進センタ シニアコンサルタント 日立認定Exアプローチプロフェッショナル

枝松 利幸
日立製作所 サービスプラットフォーム事業本部 デジタルソリューション推進本部 Exアプローチ推進センタ シニアコンサルタント
日立認定Exアプローチプロフェッショナル


いち早くデザインの対象領域拡大に取り組んできた日立

ーー 本日は、日立のデザイン思考についてお聞きしたいと思います。その歴史に詳しい主管デザイナーの古谷純さんと、Exアプローチを実践するシニアコンサルタントの枝松利幸さんに伺います。まず、古谷さんから、自己紹介を兼ねて、日立がデザイン思考に取り組んできた経緯について聞かせてください。

古谷
私はもともと機械工学科の出身で、1983年に日立に入社すると、家電研究所に配属されました。その後、デザイナーになりたいと自ら志願して、87年に当時のデザイン研究所へ異動しました。当時のデザイン研究所は、白物家電や鉄道車両、エレベーターなどのいわゆるプロダクトデザインを手がける部署でした。

異動してみて最初に驚いたのが、デザイナーの会議のやり方でした。ちょうどビデオカメラが登場した時期で、そのデザインを考えていたときのことです。デザイナーに加えて設計者、商品企画担当者、研究者などが集まって新商品の検討会議をするのですが、設計者の描いた図面を見ながらデザイナーたちが絵を描き、さらにその場でアイデアを出しつつ、実際にその場で発泡スチロールを削ってモノをつくっていくんですね。そして、アイデアが発散して会議が煮詰まってくると、今度は、外へ観察に行く。街中でビデオカメラを使っている人や、量販店で商品を選んでいる人の様子を観察しながら、「あんなふうに手に持つのか」とか「ああいう使い方をするとは予想しなかった」というようなことを確認して、また会議室に戻ってブラッシュアップをしていくのです。そうしたスピード感のあるやり方で、半日程度の短い時間で集中してデザインし、会議の終わる頃にはラフなモックアップが仕上がっているという様子を目の当たりにして、大きなカルチャーショックを受けると同時に、大変ワクワクしました。

当時日本ではまだ、ワークショップという言葉も使われず、ましてやデザイン思考という概念はなかった時代です。今から思えば、「観察」をして、「アイデア」を出して、「確認」して、「実現」するという、今で言うデザイン思考のプロセスを、デザイナーはごく当たり前のこととして日常的に実践していたのです。この点はおそらく日立に限ったことではなかったと思います。

一方で、デザイン研究所の当時の所長だった池田正彦さんは大変革新的で、私のほかにも、情報工学や心理学など、デザイン以外の専門領域出身のメンバーを揃え、マルチディシプリンとも言うべき組織を志向していました。デザイナー集団に異分野からのメンバーが加わることで、それまでデザイナー自身は当たり前と思ってきたやり方の価値を改めて認識したという点でも先見的な試みだったと思います。

画像: 古谷純

古谷純

社会性が求められる製品デザインへの取り組み

ーー 一方で、日立はプロダクトデザインの面では、比較的、コンサバティブというか、突出したイメージはあまりないのですが……。

古谷
地味というイメージを持っている方が多いかもしれませんね。そこは日立のデザイナーの悩みどころでもありました。その一因は、私たちが家電にとどまらず、発電プラントやエレベーター、エスカレーター、鉄道車両といった、公共性の高い製品のデザインを手がけてきたことと関係があると思います。

例えば、私がビデオカメラの次に担当したのは、銀行のATMの外観のデザインでした。ATMは社会インフラですから、一番にめざすのはかっこ良さではなく、ご高齢の方や障がいのある方など、誰にでも使いやすいデザインです。そのためには、単に外側の箱をデザインするだけでなく、操作画面の設計やATMの並べ方、銀行の店舗の環境設計も含めて、使いやすさに主眼を置いたトータルなデザインが欠かせません。つまり、ハードからソフトまで、「人間中心設計」の発想に基づくユーザビリティが求められるのです。

さらにその後、ITの進展に伴い、インターネットバンキングやRFIDタグの応用といった、カタチのない新しいサービスが登場するようになると、つくる側にも顧客にも明確なサービスのイメージがないままシステム開発がスタートするケースが増えていきました。そうした中で、顧客やエンドユーザーの意見を取り入れつつ、日立からデザインの提案を行い、軌道修正をしながら開発を進めていくやり方が有効であるという認識が徐々に根付いていきます。1995〜2000年頃のことです。

こうした動きに先んじて、1990年にデザイン研究所は東京・青山にデザイン発信拠点「FEEL」を開設し、さらに2001年には、研究開発本部から独立し、社長直轄の「デザイン本部」へと組織を変えて、デザインへの取り組みをさらに強化していくことになりました。

なかでも先進的な取り組みと言えるのが、2001年に設立された、デザイナーと研究者による横断組織「Hitachi Human Interaction Lab(HHIL)」の存在です。HHILの目的は、デザイナーの仮説を技術的な裏付けをもったプロトタイプとして素早くかたちにすることにあり、現在のスマートフォンの先駆けとも言えるボタンレスなモバイル情報端末「Waterscape」や立体映像表示装置「Transpost」など、いくつもの画期的なプロトタイプを生み出して大きな反響を呼びました。

ーー 当時、HHILの活動を取材させていただいたことがありましたが、これまでに見たことのない、新しいコンセプトのプロトタイプばかりで衝撃的でしたね。

古谷
横で見ていた我々は放課後クラブと呼んでいましたけれど、本業の傍ら自由な雰囲気の中で研究者とデザイナーが自発的にアイデアを出し合い、一晩でプロトタイプをつくって、市場の反応を見るというやり方は、まさにデザイン思考の一つの実践と言えます。そうしたプロセスを経るなかで、本連載シリーズの第一弾にご登場いただいた紺野登先生との出会いなどもあり、2002年くらいから、デザイン本部では「経験デザイン(experience design)」という言葉を意識的に使い始めました。我々が長年当たり前のこととして実践してきた「デザイナーの暗黙知」と「人間中心設計」の視点を明確に意識し、形式知として確立していこうとしたわけです。

「経験デザイン」からExアプローチへ

ーー デザインにおける先進的な取り組みを続けてこられたのには、何か理由があったのでしょうか?

古谷
日立の事業領域が元々非常に多岐にわたっていたということもありますが、やはり日立の事業が社会イノベーションに軸足を移す中でデザイン自体も変わらないと生き残れないという強烈な危機感がありました。コンシューマー製品がどんどんコモディティ化し、同時に社会システムへのデザインの関与が求められる中で、日立ならではの付加価値を創出するためには、経験価値を最大化することが重要であり、それに伴いデザインのやり方も変えていかなければならないという強い課題意識があったのです。ちょうど2005年くらいに、それを明確に意識して、2008年には青山と国分寺のデザイン本部を統合し、赤坂にオフィスを移しました。

このとき始めたのが、「対話型プロセス」の実践です。我々がそれまで“まかない飯”的に社内でやってきた対話型のプロセスを、顧客との対話へと発展させ、協創によるイノベーションの手段にしようという狙いがありました。しかし、単にプロセスを規定して文章化してもデザイナーは読みませんので、それを場に埋め込むことでいやおうなく実践するようにしようと、赤坂オフィスの23階にテスティングルームやワークショップスペース、モデリングスペースを備えるなど、プロセス自体を場に置き換えたのです。ちなみに、この赤坂のオフィスは、2009年の日経ニューオフィス推進賞「クリエイティブ・オフィス賞」を受賞しました。また、実際にデザイナーのワークスタイルも変化しました。なお、日立は、2015年には、顧客起点型の研究開発をグローバルに推進するために、研究開発体制を再編しましたが、独立を経て進化したデザイン本部を再度研究開発部門に配置し、デザイン部隊と研究者が同床化することにより顧客協創の推進体制を強化しています。

画像: 「経験デザイン」からExアプローチへ

ーー 対話に顧客を巻き込むことになったのは、何かきっかけがあったのですか?

古谷
赤坂に移転する前のことですが、ネット証券のサービスが始まった頃に、ご年配の方にも使いやすいネットトレードのシステム画面の要件整理をしていたときのことです。日立のシステム開発部署とシステムを導入する顧客企業の担当者、その経営層などさまざまな立場の方との会議をしましたが、なかなか意見がまとまらなかったのです。そこで、青山「FEEL」のテスティングルームで実際にご年配の方がどんなふうに画面操作をするのか、関係者を集めて観察することにしました。その際に、なるほど、こんな初歩的なところで使い方に戸惑うのかと、関係者の予想を超えた結果を見て、「これはなんとかしないといかん」と、見ていた全員が腑に落ちたということがありました。デザイン思考は新しい発想を得る手段として語られることが多いですが、実はこのように多様な関係者間で共通の目標を共有するための合意形成の効果もあります。

つまり、対話や観察、実験を通じて、関係者がサービスや製品の共通のイメージを持つことで、手戻りが少なくなり、開発のスピードが速くなることを実感したのです。こうした実践を重ねる中で、「ユーザーの観察」「利用シナリオ」「プロトタイプ作成」「ユーザー評価」といったプロセスを、対話を通じて行うワークショップのメニューとして確立していきました。これらのプロセスを通じて、顧客の業務を深く理解し、課題や問題を一緒に解決しながら、新しい経験価値(Experience)をつくるというわけです。それが2009年からスタートした、システム開発における協創手法「Exアプローチ(Experience Oriented Approach)」へつながります。

枝松
Exアプローチにつながった2009年頃の事例では、ホワイトボードを6面くらい使って、業務の流れに沿って、同時にお客さまの気持ちもフローに書き込んで課題を見つけ、システム開発につなげていくという、当時としては、画期的な取り組みでした。

画像: 枝松利幸

枝松利幸

ーー 枝松さんのご経歴とExアプローチに関わられるようになったきっかけを教えてください。

枝松
2006年に入社し、当時のビジネスソリューション事業部で、システム開発のコンサルティング業務を担う部署に配属になりました。ただ、私自身はWeb2.0に興味を持ち、自ら進んで社内SNSの構築に実験的に取り組んだりしていました。その後、日立コンサルティングに出向して、ここでもシステム開発のコンサルティングに携わる中で、ユーザーとの対話やフィールドワークを積極的に行うなど、当時から、Exアプローチに近い取り組みをしていました。

その後、本格的にExアプローチに関わるようになったのは、2012年にExアプローチ推進センタに業務支援として参画してからです。私自身はコンサルタントですが、フィールドワークに出たり、ワークショップのファシリテーターを務めたりするなど、デザイン思考に近い活動をしていたので、私にとっては非常に馴染みやすい環境でしたね。

古谷
枝松さんは、当時実験的な取り組みだった社内SNSのプロトタイプの構築をする中で、管理人として参加ユーザーを観察し、それを実際に社内SNSとして稼働させるまでのプロセスを経験されていて、それこそがまさにデザイン思考の実践と言えます。コンサルタントという、デザイナーとは違う立場から、日立のデザイン思考を牽引しているわけです。

ーー 次回は、主に枝松さんが関わられたExアプローチの具体的な事例について伺いたいと思います。

(取材・文=田井中麻都佳/写真=秋山由樹/撮影場所=東京社会イノベーション協創センタ)

(第2回につづく)

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