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一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授 楠木建氏
Summary
ビジネスでも日常生活においても、私たちはいつもスピードというプレッシャーにさらされている。しかし、スピードという時間軸では決して手に入らないことがある。今月は「ゆっくり」という仕事の時間軸を持つことの意味、そして人生における本当に大切な資産についての楠木教授の考察。第1回は、結果を急がずじっくり信用を積み重ねる「複利」という仕事のアプローチの解説。

「第1回:ゆっくりと」
「第2回:イギリスという手本」はこちら>
「第3回:仕事を追う」はこちら>
「第4回:記憶資産」はこちら>

※本記事は、2024年8月1日時点で書かれた内容となっています。

今月のテーマは「仕事の時間軸」ということで、まず最初にアメリカのマーケティングの学者であるスコット・ギャロウェイの言葉を紹介します。

In any economic climate, how do we build economic security, foster love, and find joy? How do we get rich? Slowly.

どんな経済環境においても、私たちはどのようにして経済的な安定を築き、愛を育み、喜びを見つけるのでしょうか?そして、どのようにして豊かになるのでしょうか?それは、ゆっくりと進めることです。

私たちは仕事でも日常生活でも、スピードというものを過剰なほどに重要視します。もちろんスピードの価値はわかるのですが、急ぐことだけがすべてではない。ゆっくりと取り組まなければならないこともあるのではないか。今月はそういう話です。

僕の知り合いにFさんという女性がいます。彼女は学生時代からモデルの仕事をしていて、ある時に人気のテレビ番組に出るようになったことで、一気に多くの人が知る存在になった。僕はテレビは見ないので、知り合った時に彼女のことは全く知りませんでした。ある時にFさんを含めた友達4人で焼肉屋に食事に行ったのですが、席に座ると周りにいたお客さんがこちらを見て、ひそひそと話をしている。最初は何かなと思ったのですが、すぐにFさんがいるからだと気づきました。

「大変ですね」と言うと、彼女は「まったく構いません。むしろありがたいです」とおっしゃるんです。私的な場でファンに声をかけられても、「いつも見てくださってありがとうございます」と丁寧に挨拶するようにしていて、そういう機会に渡すための小さなギフトも常備しているそうです。僕は、その時彼女のプロ意識を感じました。このFさんの振る舞いは、生まれ持った性格や育ちの良さもあるのかもしれませんが、彼女が若いうちにいきなり人気者になったわけではなく、30歳を過ぎて人間的に成熟してから有名になったことが大きいと思います。

子役として大成した人が大人になると駄目になってしまった例は、洋の東西を問わずよく聞く話です。これはタレントに限らず、どんな仕事にもそういう面があります。いきなりの大成功というのは、長い目で見るとあまりいい結果を生まないことが多い。

どんな仕事でも、仕事を始めたばかりの頃はほとんどの人が自分よりも優れた能力を持っています。相対的に能力が劣っている人に、重要な仕事はそうそう回ってはこない。若い時にはすぐに大きな成果を出して周囲に認められようと思いがちですが、ギャンブルのビギナーズラック同様、一度大勝ちしたとしても絶対に長くは続きません。

お金を増やす方法、資金運用の王道は、低リスク・低コスト・長期分散投資です。慌てず欲張らず、ゆっくりと構えることが結局は近道になる。この裏側にあるメカニズムで重要なのが、「複利」です。はじめの儲けはわずかでも、その小さな儲けが元本に組み込まれて前よりも少しだけ大きくなっていく。これが複利のメカニズムで、これを繰り返しているうちに、雪ダルマ式に大きくなっていく。

Compound interest is man’s greatest invention. He who understands it, earns it. He who doesn’t pays it.

複利は人類の最も偉大な発明だ。それを理解している者はそれを得る。そうでない者はそれを支払う。

諸説あるそうですが、これはアインシュタインが言ったとされる言葉です。複利というのは、一見せこい話なので見過ごされがちですが、ゆっくりと構えたとき、長期で見ればこれほど強力なメカニズムはない。

仕事もそれと同じで、最初のうちは1つひとつの仕事で小さな成果を出せばそれで十分。その小さな実績を積み重ねることがやがて信用になり、次第に大きな仕事が回ってくるようになる。これが仕事の複利効果です。もちろん効果が出るまでには長い時間がかかるわけですが、そもそも仕事生活は短距離走ではなくマラソンです。焦らず、騒がず、他人と比較せず、自分にとって大切なことほどゆっくりと構えることが重要です。

「第2回:イギリスという手本」はこちら>

画像: 仕事の時間軸―その1
ゆっくりと

楠木 建
一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授。専攻は競争戦略。一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授、同ビジネススクール教授を経て2023年から現職。有名企業の経営諮問委員や社外取締役、ポーター賞運営委員(現任)などを歴任。1964年東京都目黒区生まれ。

著書に『絶対悲観主義』(2022年,講談社+α新書)、『逆・タイムマシン経営論』(2020年,日経BP,共著)、『「仕事ができる」とはどういうことか?』(2019年,宝島社,共著)、『室内生活:スローで過剰な読書論』(2019年,晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる:仕事を自由にする思考法』(2019年,文藝春秋)、『経営センスの論理』(2013年,新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010年,東洋経済新報社)ほか多数。

楠木特任教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
この10年ほどX(旧・Twitter)を使ってきて、以下の3点について不便を感じていました。

・140字しか書けない
・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
・考えごとや主張をツイートすると、不特定多数の人から筋違いの攻撃を受ける

「楠木建の頭の中」は僕のXの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
不定期ですが、メンバーの方々と直接話をする機会も持ちたいと思います。
ビジネスや経営に限らず、人間の世の中について考えることに興味関心をお持ちの方々のご参加をお待ちしております。DMM社のプラットフォーム(月額500円)を使っています。

お申し込みはこちらまで
https://lounge.dmm.com/detail/2069/

ご参加をお待ちしております。

楠木健の頭の中

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

新たな企業経営のかたち

パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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各界のビジネスリーダーに未来を創造する戦略を聞く。

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