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※本記事は、2021年3月5日時点で書かれた内容となっています。

「無敗の男」中村喜四郎が、最初の選挙をどう戦ったのか。1976年当時の茨城県では地元の有力者の間で利害関係がきっちりとできあがっていて、新人の選挙ではその地域のボスが案内人になるのが通例でした。そこには因習的な利権があります。案内人が遠回しに候補者に金を要求してくる。「案内してもいいけど、ガソリン代がかかるよ」とか、「あの政治家は座布団の下にあれを入れていったよ」と、協力してほしいなら現ナマをよこせ、という世界でした。

もちろん公職選挙法違反なのですが、当時は建前のルールが完全に形骸化していました。ところが、中村喜四郎は最初から絶対に金を渡さないという戦略をとった。なぜか。地方の因習的な利権構造は、権力者がおいしいところを全部さらってしまい、金をばらまいても末端の人たちには回らない仕組みでした。中村喜四郎は末端の人たちを大切にして下から票を固めていくということを考え、実行します。これが伝統的な選挙戦略とのはっきりとした「違い」でした。

それまでの利権構造に対して、一般の人たちには不満もたまっていました。だからこそ金を渡さない選挙は、一般の人の共感を獲得する。下から支援者を固めていくと、途中から上も怖いからひっくり返しには行けない。これが喜四郎の言う「偉い人がいない組織」「偉い人がいない選挙」です。

この戦略はお金はかかりません。しかし、手間は異常にかかる。地元有力者の案内人がいないので、自ら徹底して歩いて戸別訪問を繰り返すしかない。これ(だけ)が彼の選挙活動です。この愚直な行動を徹底することで、偉くない普通の人たちの意識に「自分たちが結束すれば、既得権者を選挙でひっくり返せるぞ」というカタルシスを注入する。

この戦略で喜四郎は初戦を勝つわけですが、そのときに「喜友会(きゆうかい)」という後援会がつくられました。どんな政治家にも後援会はあります。しかし、喜友会はまったく異なります。普通の国会議員の後援会は、ピラミッド型で地元の偉い人がトップにいるという構造になる。それは、トップを味方につけさえすれば、その下にいる人々の票がごっそりと手に入るからです。しかも地方ではいろいろな利害が主従関係となり、上意下達が効く構造なので、ピラミッド型がワークする。一見して合理的です。

これに対して喜友会はごく小さな町内会単位で、ピラミッド構造を取りません。当時の地方には消防団とか老人会といったものが地域ごとにありましたが、これとほぼ同じぐらいの10人から50人ほどのユニットが、〇〇町喜友会となって横にずらっと並んでいる。企業名や団体名を冠した支部はつくらせない。階層構造を徹底的に排除するという原理で後援会が組織されてます。

それぞれの○○町喜友会には会長がいますが、これも学校の日直みたいなポジションで、「会長が偉い」という意識は自他共にない。ただの「当番」です。会長同士の横のつながりも全然ない。あくまでひとつの町の中で完結していて、それを横断的に束ねる連合会のようなものもない。これが「偉い人がいない組織」です。

この組織で選挙をやるということは、何百ものユニットに個別に連絡を取りながら進めていかなければならない。大変な手間がかかりますが、動き出すと一番強い。なぜか。ピラミッド型の後援会は合理的な仕組みに見えますが、トップの気が変わると一瞬で崩壊します。それに対して喜友会はフルフラット型。しかも、集票のノルマといった締め付けも一切なし。喜友会は、いわゆる「集票マシン」ではないんです。

ピラミッド型の場合、「俺は100票持ってるぞ」という偉い人が中心になります。これに対して、喜友会は「家族3人、みんなで応援してますよ」という人たちの集まりで、完全にその地域に溶け込んでいる。自分が喜友会会員であるという自覚を持っている人がほとんどいないそうです。だから選挙のときも、町のお祭りに声が掛かる感じで出て行く。会員を一括管理する仕組みもないらしいんです。彼の秘書たちは、それぞれが担当地域を持っていて、その秘書が自分の担当地域だけの名簿を管理する。担当外の地域の名簿を見る機会もない。全体を掌握してる秘書も存在しないそうです。全部フルフラットで喜四郎に直結している。中村喜四郎の戦略がいかに従来の選挙戦のやり方と異なるかがお分かりいただけると思います。

画像: しびれる戦略 無敗の男篇-その2
ピラミッドvsフルフラット。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。

著書に『逆・タイムマシン経営論』(2020,日経BP社)、『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

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