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遣米欧使節団、各種留学生、新政府の誕生
開国に踏み切った幕府は米欧事情を知るべく種々の使節団を派遣した。その最初が1860年の米国への新見使節団であり、随伴した咸臨丸には勝海舟や福沢諭吉が乗船していた。61年には竹内使節団が欧州の6か国(英・仏・オランダ・ロシア・プロシャ・ポルトガル)を訪れる。そこには、松木弘安(寺島宗則)、福地源一郎や福沢諭吉も随行しおり、その見聞が後の大きな力となっていく。
62年には上海へ調査団を派遣する。これは数次にわたるのだが、実務的な貿易や各種の調査が目的であり、薩摩の五代友厚や長州の高杉晋作、佐賀の中牟田倉之助らが参加、貿易のみならず軍事や政治面でもいろいろと学ぶことがあった。
63年には池田使節団がフランスに派遣される。これは横浜鎖港を談判する目的で失敗に帰するのだが、多くの人材が参加し見聞を広めた。田辺太一、矢野二郎、尺振八(せき・しんぱち)、塩田三郎、山内六三郎、益田孝、三宅復一(またいち)などなど、後に各界で大いに活躍する。
67年には徳川昭武使節団が派遣される。これはナポレオン三世がパリ万国博覧会に招待したもので、将軍慶喜は末弟の昭武を代理で派遣したのだ。ここには渋沢栄一が後見役で随行しており、その貴重な見聞と海外体験は後の巨人渋沢を生む礎をなしたといえる。
さらに幕府は留学生を派遣している。62年にはオランダへ、榎本武揚、林洞海、赤松則良、西周(にし・あまね)、津田真道らを、66年には英国へ、川路太郎、外山正一(とやま・まさかず)、中村敬宇、林董三郎(とうさぶろう)、箕作(みつくり)大麓らを送った。また、藩からも63年には長州が井上馨、伊藤博文、山尾庸三、井上勝らを、66年には薩摩が森有礼(ありのり)、鮫島尚信、町田久成、畠山義成らを密航させた。それらが維新後、大きな人的資産となって生きてくるのだ。
幕末に結ばされた条約は治外法権や関税自主権の喪失という不平等なものであった。それを改正し完全な「独立」を確保しなくては半植民地にされる恐れがあった。そのためには「富国強兵」を図るしかなく、統一国家をつくるしか道はなかった。幕末の見識ある人物の間でそれは共通認識になっており、問題は幕府中心でいくか、天皇国家でいくかの選択だった。結局、錦の御旗を奉じた薩長中心の討幕軍が勝利して「王政復古」が宣言され天皇政府が樹立されることになるのだ。
革命的な廃藩置県、そして岩倉使節団の派遣
政府は「五箇条の御誓文」を発布し、太政官制度を確立して維新の首謀者らが政権中枢に座ることになる。公家から三条実美(さねとみ)、岩倉具視が、各藩の実力者から西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、大隈重信、板垣退助らが参議に就任する。そして1871年8月(明治4年7月)には、実質維新ともいうべき「廃藩置県」が断行されるのだ。それは300もあった藩を廃して県とし、旧大名の知事の首を中央が任命した知事にすげ替え、軍事と財政を中央政府がしっかり把握することを意味した。まさに革命的な改革であり、これによって初めて実質的な統一国家が形成されることになったのである。
しかし、政府首脳は新しい国家をどのように形成していくか、具体的な青写真を描けていなかった。幕末から多くの人材が米欧に派遣され留学し、多くのことを学んできた。その代表が福沢諭吉であり『西洋事情』ほかの著作によって開化論を鼓吹した。しかし、新政府のトップリーダーたちはまだ西洋を実見していない。「百聞は一見に如かず」である、岩倉も木戸も大久保もこの際、是非西洋を見たいと思った。決死の覚悟で断行した「廃藩置県」が意外にもすんなり遂行されたこともあり、この機を逃さず敢然として大使節団を派遣することになるのだ。
全権大使は右大臣外務卿の岩倉具視、副使は参議の木戸孝允、大蔵卿の大久保利通、この三人はまさに維新革命の立役者だった。そこに若手の実務官僚で工部大輔の伊藤博文と外務省の少輔の山口尚芳も副使となる。そして随行の書記官には外国語や海外事情にもくわしい旧幕臣が多く採用された。書記官長役には田辺太一、一等書記官には福地源一郎、何礼之(が・のりゆき)、塩田三郎、二等書記官以下には林董、川路太郎などである。そして各省からは調査官を派遣、東久世通禧(ひがしくぜ・みちとみ)、田中光顕、肥田為良(ひだ・ためよし)、佐々木高行、山田顕義、田中不二麿など、実務経験もある実力者が選ばれ、そこに随員がついた。
また、官費、私費併せた留学生やお付きを60人も随行させた。その中には団琢磨(だん・たくま)や金子堅太郎、中江兆民や平田東助、さらには津田梅子ら5人の少女も含まれていた。
このように、この大使節団は開国以来の西洋探索団のまさに集大成のようなものであった。
太政大臣三条実美は「送別の宴」を設け、次のような送辞を読みあげた。
今ヤ大政維新、海外各国ト並立ヲ図ル時二方リ
使命ヲ絶域萬里ニ奉ス
外交内治前途ノ大業其成其否、実ニ此挙ニ在リ豈大任ニアラスヤ
大使天然ノ英資ヲ抱キ中興ノ元勲タリ
所属諸卿皆国家ノ柱石、而所率ノ官員亦是一時ノ俊秀
各欽旨ヲ奉シ、同心協力以テ其職ヲ尽ス、
我其必ス奏功ノ遠カラサルヲ知ル
行ケヤ海ニ火輪ヲ転し、陸ニ汽車ヲ輾ラシ
萬里馳駆、英名ヲ四方ニ宣揚シ、恙ナキ帰朝ヲ祈ル
格調高き名文である。旅立つ者も見送る者も意気さかん、使命感に溢れて武者震いするような門出であった。
※日立「Realitas」誌25号に掲載されたものを、著者泉三郎氏の許可を得て再構成しています。
泉 三郎(いずみ・さぶろう)
「米欧亜回覧の会」理事長。1976年から岩倉使節団の足跡をフォローし、約8年で主なルートを辿り終える。主な著書に、『岩倉使節団の群像 日本近代化のパイオニア』(ミネルヴァ書房、共著・編)、『岩倉使節団という冒険』(文春新書)、『岩倉使節団―誇り高き男たちの物語』(祥伝社)、『米欧回覧百二十年の旅』上下二巻(図書出版社)ほか。
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