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※本記事は、2020年8月5日時点で書かれた内容となっています。

最終回は、僕が知る「しびれる戦略」の傑作についてお話したいと思います。題材は、ブックオフコーポレーションの橋本真由美さんが考案して実行していた「出し切り」という戦略です。

今では、Eコマースが当たり前になったり、本自体が電子書籍になったりと、本を取り巻く環境というものは大きく様変わりしました。ブックオフのビジネスも10年前、20年前とは状況が異なっています。ブックオフの1号店ができたのは1990年のことです。そこからブックオフは急成長していくわけですが、その絶頂期をつくった一人が橋本真由美さんです。

橋本さんは、41歳まで専業主婦をされていて、子育てが一段落したのでパートに出ようと、1990年にたまたまオープン直前だった相模原のブックオフ1号店に勤めます。その翌年には2号店の店長になり、5年目には取締役、2006年には代表取締役社長兼COO(最高執行責任者)になっています。

橋本さんがパートから店長になってお店を任された頃に、彼女は古本を売るためのさまざまなアイデアを出し、それを実践しました。それがその後のブックオフの運営基盤になっていくわけですが、中でも僕がしびれる戦略の傑作だと感心したのは、「出し切り」です。

ブックオフの商品は、お客さんから買い取った古本です。よごれを落としたり、小口を磨いたりしてきれいに仕上げて、棚に出すという面倒な工程が必要です。「出し切り」というのは、その日に買い取った本はその日のうちに全部店の棚に出し切る、そういうオペレーションのことです。なぜ「出し切り」が大切になるのか。そのロジックが面白いんです。

ブックオフの本棚は常に商品でぱんぱんになっていますから、買い取った本を棚に出すためには、棚からその分だけ本を抜く必要があります。ちょっと古くなっている本や動きのない本は105円均一の棚に移す。105円の棚も本がぎっしりですから、棚から一部の本を抜いてバックヤードへ持っていく。

つまり「出し切り」をやるためには、それに連鎖してさまざまなアクションが必要になり、アルバイトの店員さんが店の中を駆け回る状態になります。当然きつい。なぜそこまでするのかというと、出し切りが顧客を惹きつけ、売上を伸ばすからです。

ブックオフのコアターゲットというのは、例えば定年退職された人でまあまあ時間があって本が好きな人たちです。新刊で買いたいけれども高いし、図書館に行っても読みたい本は貸し出されていることが多い。こういう本好きの人は習慣的にブックオフに来ては籠を手に持って読みたい本をそこに入れていく。こういう人こそ、最高のお客さんです。「出し切り」をするということは、こういうロイヤルカスタマーに、鮮度の高い本で毎日変わっていく棚を見せるということに他なりません。

例えば時代小説が好きな人は、「あ行」の棚の池波正太郎から見はじめて、「わ行」の棚までくまなく見ていきます。見終わったときには5冊が籠に入っている。その人が1週間後に来て、また「あ行」の池波正太郎から見ていく時に、本棚がフレッシュだと先週は気づかなかった本がある。また籠に本を入れていく。しかもその人は、読み終わった本をブックオフに売りにきてくれる。そんな好循環を生み出す起点にあるのが「出し切り」というオペレーションです。

そのために、本をきれいに仕上げる作業をバックヤードではなくレジの後ろで手早く済ませられるよう、橋本さんはいろいろな紙ヤスリや金属を磨くタワシなどを試し、最終的には「150番の紙ヤスリを4センチ×7センチ」という結論に至ります。

この「出し切り」というのは、お店、店長、従業員、そしてお客さんのすべてに好循環をもたらす、しびれる戦略の傑作です。橋本さんは戦略ストーリーの達人だと思います。

これが良い例ですが、「なるほどね……」という余韻強度を生む要因は、多くの場合経営意思決定者の目からは遠いところにあるのだと思います。お客さんのちょっとした心理とか、日常的に繰り返される現場の従業員の行動とか、またその相互作用とか、そういう現場の細部にまでおよぶイマジネーションからロジックが生まれ、それが論理的な確信を生み出す。論理的な確信があるから実行に踏み切れる。

こうした現場に埋もれているロジックは、なかなか経営者から見えません。見えないものは真似ができない。だから持続的な競争優位になる。これが優れた戦略ストーリーです。

余韻強度のある戦略ストーリーの解読、僕にとってこれほど面白いことはありません。企業の競争力を理解するうえで、しびれる戦略は絶好の教材です。表層にある業績とか目立つ商品にばかり目を向けるのではなく、ぜひその深層にある戦略ストーリーの「しびれ」を実感していただきたい。これについてもっと知りたいという方は、『ストーリーとしての競争戦略』をお読みいただければ幸いです。ブックオフでも売っています。

画像: しびれる戦略-その4
ブックオフの「出し切り」戦略。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

楠木教授からのお知らせ

思うところありまして、僕の考えや意見を読者の方々に直接お伝えするクローズドな場、「楠木建の頭の中」を開設いたしました。仕事や生活の中で経験したこと・見聞きしたことから考えたことごとを配信し、読者の方々ともやり取りするコミュニティです。
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・オープンな場なので、仕事や生活経験の具体的な中身については書きにくい
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「楠木建の頭の中」は僕のTwitterの拡張版というか裏バージョンです。もう少し長く書ける「拡張版」があれば1の問題は解決しますし、クローズドな場に限定すれば2と3の不都合を気にせずに話ができます。加えて、この場であればお読みいただく方々に質問やコメントをいただき、やりとりするのも容易になります。
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日本的経営の良さを活かしながら利益を生み出す「J-CSV」。その先進的な取り組みに迫る。

ベンチマーク・ニッポン

日本を元気にするイノベーターの、ビジョンと取り組みに迫る。

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新世代のイノベーターをゲストに社会課題の解決策や新たな社会価値のつくり方を探る。

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