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ヤマザキ マリ氏 漫画家・文筆家 / 山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
新型コロナウイルスがもたらした変化の一つに移動の制限があるが、人間の移動への欲求は消えることがないだろうとヤマザキ氏は見る。そして、感染拡大防止のためにイタリアで発出された外出禁止令では、カトリックの倫理観が浮き彫りになったという。

※本対談は、2020年5月7日に行われたものです。

「第1回:パンデミックが招く社会の変化」はこちら>

コミュニケーションは二分化していく

山口
この対談もオンラインですが、今回のパンデミックが社会にもたらした大きな変化の一つが、人が物理的に移動しなくなったことです。今後、いろいろな物事が仮想空間で動くようになっていくと、一度も直接会ったことのない人と大きな仕事をするケースも増えるでしょうし、リアルな世界よりも仮想空間のほうが自分をよく見せられていいと考える人も出てくるかもしれません。これは相当、文化的なインパクトが大きいと思うのです。

一方で、イタリアやスペイン、あるいは南米の国々のように、生活の中でフィジカルコンタクトが多い国ほど幸福度が高いという傾向があります。リアルなふれあいがないと人間は不幸になるということも、さまざまなデータから示されていますが、ヤマザキさんは、これからのコミュニケーションはどう変化していくと思われますか。

ヤマザキ
二分化していくのではないでしょうか。私が『テルマエ・ロマエ』を描き始めたのは11年前で、その頃はポルトガルにいましたから、編集担当者との打ち合わせにはすでにオンライン会議ツールを使っていました。現在の漫画の制作現場もバーチャルで、アシスタントと実際に会うことなく作業をしています。でも、だからといって人と会わずにいられるわけではなく、密閉空間に長く居ると外に出たい衝動が込み上げてきて、締め切り間近なのに飛行機に飛び乗ってしまうこともあります。そんなふうに、皆さんそれぞれが自分にとってのバランスの取り方を見いだしていくのではないでしょうか。

仮想空間のほうを好む人もいるでしょうけれど、もともと私たちは動物、動くものなのですから、移動する能力や欲求がバーチャルの利便性に完全に淘汰されてしまうことがありえるかどうか、疑問ですよね。

画像: コミュニケーションは二分化していく

「金よりも人の命じゃないか」

山口
ヤマザキさんは、日本人で、イタリア人のご家族がいらして、長年にわたってヨーロッパ、特にローマ・カトリックの影響の強い国に暮らしておられますから、宗教観の違いを実感されていることでしょう。私は以前、海外の知り合いから日本の宗教は何なのか聞かれて、「ない」と答えたら、「じゃあ倫理や道徳をどうやって教えるのか」とすごく驚かれました。

ヤマザキ
日本人にとっての倫理は「世間体」によって象られてますよね。

山口
そう、コミュニティのルールや世間の目が倫理基準なのですよね。文化人類学者のルース・ベネディクトは有名な『菊と刀』の中で、欧米の「罪の文化」に対し、日本は「恥の文化」であると分析しています。欧米ではキリスト教と聖書が行動の規範になっていて、それに背くことが「罪」であると考え、罪を犯さないよう自分の行動を律します。日本では神や仏よりも他人の目、世間に対する意識のほうが強いために、世間の「恥」とならないように行動するわけです。倫理や道徳というものが神との関係で決まるのか、他者との関係で決まるのかという違いですね。

ヤマザキ
イタリアが都市封鎖をしたとき、夫に「こんな観光大国が観光客を入れなくしたらどうなるか、わかっているのかな」と言ったら、「金より人の命じゃないか」と彼は即座に返してきたのです。命がなければ経済もないのだから、と。それを聞いて、彼らはやはり根本的にカトリックの倫理観で生きている人間なのだと感じました。

山口
今回のような予測不能な危機に直面したときに、おっしゃるような宗教的倫理観、最後はこれに則って判断すれば間違いないと言える絶対的な基準を持っている文化圏には、ある種の強さがあると感じます。常識や世間体というような、時代や状況によって揺らぐ基準に従っている文化圏では、危機のときも平時と同じ判断ができるのかは疑問です。今回の日本の外出自粛要請に関しては、「世間の目があるから外に出づらい」という感覚がプラスに働いたようですが。

ヤマザキ
たしかに日本では、感染と犯罪は紙一重みたいな風潮がどことなくありますから、それが感染者数の抑制に無関係だったとは思えないですね。イタリアでも、外出禁止令についてもカトリックの慈愛や利他性という理念がベースにはありますが「誰かを自分が感染させて殺してしまうかもしれない」という恐れで外出を自粛する。でもそれは世間の目が怖いからではなく、罪を犯してしまうことへの恐怖心なんです。普段、人の言うことを聞かない、まったく統制のできないイタリア人が外出制限を守れたのは、罰則もありましたが、やはり彼らが子どものときから培ってきたカトリックの倫理観がベースにあったからだと思います。政府のリーダーであるコンテ首相も、「国民の命を守るために」ということを第一に訴えていましたから。

画像1: パンデミック後に訪れるのは暗黒時代か、ルネサンスか
その2 感染症が浮き彫りにした倫理観の違い

ヤマザキ マリ(やまざき まり)

1967年東京都生まれ。1984年に渡伊。国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。東京造形大学客員教授。シリア、ポルトガル、米国を経て現在はイタリアと日本で暮らす。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2017年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。主な漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共作)、『オリンピア・キュクロス』など。文筆作品に『国境のない生き方』、『仕事にしばられない生き方』、『ヴィオラ母さん』、『パスタぎらい』など。

画像2: パンデミック後に訪れるのは暗黒時代か、ルネサンスか
その2 感染症が浮き彫りにした倫理観の違い

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。

「第3回:古代ローマと日本の共通点、異なる点」はこちら>

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