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菊澤 研宗氏 慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科 教授 / 山口 周氏 独立研究者・著作家・パブリックスピーカー
データに基づく客観性が重視される現代社会だが、客観性だけに依存した意思決定は危険であると菊澤氏は指摘し、主観的な価値判断の重要性を強調する。そして価値判断は起業家精神にも通じるという。

「第1回:人間や組織は合理的に失敗する」はこちら>
「第2回:リーダーに求められる条件とは」はこちら>
「第3回:損得計算の結果と価値基準のずれこそが見せ場である」はこちら>
「第4回:目に見えないものこそが重要である」はこちら>

「客観性」を意思決定原理とする危うさ

画像: 「客観性」を意思決定原理とする危うさ

山口
フランクフルト学派と言えばマルクス主義ですが、マルクスの唯物史観に、「上部構造」と「下部構造」という考えがあります。下部構造は経済活動・生産活動、上部構造は政治や法律のほか思想や文化など、マルクスの言うところの「イデオロギー」で、下部構造によって上部構造が規定される、また一方で上部構造の反作用が下部構造に影響を及ぼすと彼は考えていた。

近年の日本企業におけるコンプライアンスやガバナンスの問題について考えると、下部構造で起きている問題を、下部構造の改革だけで対処しようとしているように思えてなりません。実際には価値観や規範、先生の言う「価値判断」などから成る上部構造の反作用が重要であるのに、その部分が弱くなっているために下部構造の問題を解決できないのではないかと思います。

菊澤
その点は、宗教観の違いも関係しているかもしれませんね。日本人は、宗教という柱が弱いために、意思決定原理として損得計算や「客観性」に依存しがちです。企業のトップの方はよく「われわれはいつもデータに基づいて客観的に意思決定している」とおっしゃるのですが、例えばそのデータが間違っていたらどうなるのか。もし意思決定後に間違っていることが判明したら、おそらくデータを作成した部下が叱られるのでしょう。そうすると部下は萎縮して、次からは間違いに気づいても隠すようになる。こうして、隠蔽体質の不健全な組織が出来上がっていくのです。

そうならないためには、リーダーが重層的に価値判断して行動する必要があります。客観的なデータに加え、「自分はこれが善いと思う」と主観的な選択をしてその責任を取る覚悟が必要となるのです。これは科学と哲学の問題でもあるのです。科学万能主義で客観性が無条件によいとされ、哲学を非科学として疎かにしてきたことに根本の原因があるとも言えます。

山口
確かにビジネスの現場で「客観的なデータに基づいている」ことはポジティブに捉えられる一方で、「あなたの言っているのは主観だ」というのはネガティブな意味で用いられています。でも本来の漢字の意味を考えると、「主」は重要で中心的なもの、「客」は主に対する従、一時的なものや中心にないものを指すわけですね。そういう意味では主観と客観の受け取られ方が逆転しているように感じます。

起業精神とは価値判断である

画像1: 起業精神とは価値判断である

菊澤
少し言い方を変えれば、主観的とは主体的でもあり、それゆえ自由や自律的でもあります。主観的だからこそ責任を伴うわけです。客観は自分のことつまり主観的ではありませんから責任をとらなくていい。しかも、客観的な意見は同一性が高いため、意思決定も楽です。「これは私の主観で決めたことなので、その責任も私が負う」と言うのは、やはり怖いことでしょうが、主観的な意思決定や価値判断こそが一人の人間としての見せ場なのであり、カントの言う自律的人間の根拠です。そして、そのような自律的行動を引き出すことを、カントは「啓蒙」と呼びました。それができない人間ならAIのほうがいいということになってしまいます。

山口
客観的な判断だけならAIのほうが優れているでしょうね。

菊澤
起業家精神とは何かということについて、簡単な思考実験をしたことがあります。例えば、新しいプロジェクトを動かすかどうか決めるときに、経営者は二つの問題に直面します。一つは、このプロジェクトが儲かるかどうか。もう一つは、このプロジェクトは正しいか、好きかどうか。価値判断の問題です。儲かるし正しいという場合、これは絶対やりますよね。ただし儲かることが予想できる中でイノベーションはまず起こらない。逆に、儲からないし正しくないということはやりません。そして、儲かるけれど正しくないことはやってはいけません。となると、儲からないかもしれないけれど正しい、好きだということにおいてイノベーションが起きるわけです。

そう考えると、起業家精神とは価値判断のことなのだとも言えます。客観的なデータではよくないと出ているが、主観的に「これは絶対に善い」と判断し、その責任を取る覚悟で新しいプロジェクトを実行できるかどうかです。

山口
これだけ物質的に豊かになり、普通にしていてもそれなりに生きていける時代に、それでもなお何かに挑もうとするときに、「ただ儲かるから」ではモチベーションも湧きませんし、優秀な人も集まらないでしょう。やはりそこに何らかの価値が示せるかどうかが大事な時代になってきているのだと感じます。

菊澤
僕自身が古い人間だからそう感じるのかもしれませんが、歴史ある会社、新しくてもよい会社の従業員は、自分の会社を愛していますね。それが、実は組織の強さにつながっている。自分の会社のことが好きだから、赤字になり給与が下がっても、従業員は辞めない。損得計算を超えた価値判断ができるかどうか。グローバル競争の時代には、そのことが組織にも、それを構成する一人一人にも、問われるのだと思います。

画像2: 起業精神とは価値判断である
画像1: 組織の不条理を超えるために、求められる「主観的な価値判断」
その5 自分が主体となる自由があるからこそ、責任を伴う

菊澤 研宗(きくざわ けんしゅう)

1957年生まれ。慶應義塾大学商学部卒業、同大学大学院商学研究科修士課程修了、同大学大学院商学研究科博士課程修了。ニューヨーク大学スターン経営大学院客員研究員、カリフォルニア大学バークレー校ハース経営大学院客員研究員、防衛大学校教授、中央大学教授を経て、現在、慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授。経営哲学学会会長、経営学史学会理事などを歴任。現在、経営行動研究学会理事、経営哲学学会理事、戦略研究学会理事、日本経営学会理事。著書に、『比較コーポレート・ガバナンス論』(有斐閣、第1回経営学史学会賞)、『組織の不条理-日本軍の失敗に学ぶ』(中公文庫)、『改革の不条理-日本の組織ではなぜ改悪がはびこるのか』(朝日文庫)など多数。

画像2: 組織の不条理を超えるために、求められる「主観的な価値判断」
その5 自分が主体となる自由があるからこそ、責任を伴う

山口 周(やまぐち しゅう)

独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。1970年東京都生まれ。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』、『武器になる哲学』など。最新著は『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』(ダイヤモンド社)。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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パーパス、CSV、ESG、カスタマーサクセス、M&A、ブロックチェーン、アジャイルなど、経営戦略のキーワードをテーマに取り上げ、第一人者に話を聞く。

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