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今回のテーマは、「自己認識」です。そもそも自分に興味がある人とない人に分かれると、人を見ていて思います。僕は自分自身に興味があります。自分のことが一番面白いって思うぐらい。

世の中には、あまり自分に興味がなさそうな人、自分について恬淡(てんたん)としている人もいます。偉人に多いように思うのですが、自己を超越しているような人。公の気持ちを持っている人ですね。あまり自分には興味がなさそうで、もっと大きなこと、道徳や規律とかではなく自然とそうなっている人っていますよね。それは立派だし、自分とは違うと憧れますが、僕みたいな凡人は、自分に興味を持って生活するに若くはなし、と思っています。

なぜなら、どうせ自分と一生生きるということは決まっているわけで、死ぬまで自分以外にはなれません。だから、腰を据えて自分と向き合う意味で、自分に興味を持つ。これが自己認識の大前提だと思います。自分以上に自分に興味関心を持ってくれる人はいません。

以前、ちょっと厄介なことが起きまして、「うーん」と悩んでいたときに、ある人が、「いや、全然平気。だって、あなたに誰も関心なんて持っていないから」と言われたんです。それは本当にそうで、すごくいいアドバイスになりました。考えてみれば、誰も僕のことなんて気にして生きていないわけで。

その一方で、自分のことだけは自分にはわからないという面もありまして、特に仕事において、自分のことは自分ではわからないということがしばしばあります。僕の仕事の考え方は、自分のためにするのが「趣味」、人のためにするのが「仕事」。つまり、釣りは「趣味」、漁師は「仕事」。同じ魚を獲っていても、構えがまったく違います。「趣味」というのは、100%自分に向けてやるものであり、自分が楽しければそれでいい。ところが、「仕事」というのは自分以外の誰かの役に立ち、価値をもたらして初めて仕事になるわけです。

これは非常にすっきりとした区別で、僕は気に入っているのですが、だとすると仕事というのはその成果をお客さんが評価して初めて仕事になるわけで、自己評価にはほとんど意味がない。仕事、とくに仕事の結果や成果に関しては、自分のことは自分でわからないという面があると思います。

自己認識と他者認識にはだいたいギャップがあります。仕事の結果はいろいろな人から明示的、暗示的、間接、直接に評価されます。いくら自己評価それ自体に意味がなかったとしても、自己認識がないと、他者認識とのギャップがわからなくなる。このギャップを意識するといろいろな自己発見が生まれる。自己と他者の認識のギャップが、仕事の成長エンジンになると思います。

僕は、漫才とか落語とか芸事が好きで、YouTubeでは人気の漫才師が自分のチャンネルを持っていたりするので、それを見て楽しんでいます。その中に、いろいろな漫才師が集まって討論している番組がありました。テレビを見ないのでそれが何という番組なのかは知りませんが、その番組でいろいろな漫才師が「この人のツッコミはすごい」というテーマで議論をしていました。

おそらく優秀で人気のある漫才師たちが集まっているのだと思うのですが、彼ら一人ひとりが、自分が一番すごいと思うツッコミ芸はこれだというのを発表し、映像で流して、これのどこがすごいのかという解説をするんです。そこには、発表されたツッコミ芸人本人がいる場合もあるわけです。ある漫才師は、自分が一番すごいツッコミ芸だと言われたこともうれしいのでしょうが、それ以上に紹介してくれたその人の解説がものすごく的確だということに喜んでいました。「このテーマの話だけで一晩中酒が飲める」と言っていました。これは、自己認識と他者認識のギャップを知ることは、とても面白いという例です。

いろいろな仕事で一緒になることも多いであろう当代一流の漫才師の人たちでも、きっとそういう話をする機会は少ないのでしょう。人のことはとやかく言わないのがプロの条件なので、そのほうが自然なのでしょうが、自分についての他者認識に触れる機会が少ないのはもったいない。

自分の経験で言いますと、淺羽茂さんという同業者の方がいて、早稲田大学のビジネススクールで教えられている方です。今からおそらく15年ぐらい前のことなのですが、僕が学会で発表した後に懇親会がありました。大学の学食みたいなところで、冷えた鶏のから揚げとかを食べながら、みんなで紙コップでビールを飲みながらちょっと雑談するという。

そこで淺羽さんが、「今日の発表、面白かったよ。楠木さんってさ、書くより話すほうが絶対面白いよね」と言われました。15年前の僕の文章、特に学術雑誌に書いている文章というのは、普通の学者が書くよりもさらに硬質な文章、ハードタッチの文章でした。しゃべるのは今と同じ芸風なのですが、学会発表になると、「文章は硬いことこそ心意気だ」ぐらいに硬く書いていたんです。ところが、淺羽さんにそうおっしゃっていただいて、「そうなのかな」と。結局、僕の場合、読んでわかってもらって面白いと思ってもらわないと仕事にならないわけで、それがきっかけになって話すように書くという方向に少しずつ文章を変えていきました。

10年ぐらい前に『ストーリーとしての競争戦略』を書いているときには、もう話すように書こうと決めていました。淺羽さんが、あのまずいから揚げを食べながら言ってくれた一言がなかったら、ああいう話すような文体では書かなかったかもしれません。自己認識と他者認識のギャップが、仕事においてはすごい役に立ったという僕自身の例です。淺羽さんから教えていただいた自分についての他者認識は、僕にとって文章のスタイルを変える重要なきっかけとなりました。ほんの15秒ぐらいの会話でしたけれども、淺羽さんには感謝しています。

2001年12月『組織科学』第35巻第2号より抜粋

画像: 自己認識-その1 自己認識と他者認識。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『室内生活 スローで過剰な読書論』(2019、晶文社)、『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:他者認識の取捨選択。」はこちら>

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