「漆器の街」、塩尻
JR中央本線・松本行きの特急「あずさ」で、新宿から約2時間半。長野県のほぼ中央部に位置する塩尻市は、太平洋からも日本海からも遠く「南北から運んできた塩が尽きる場所」という意味からその名がついた。人口は約6万7千人。大手精密機械メーカーの企業城下町という側面もある一方、長野県内で初めてワイン製造を始めた土地でもあり、市内に15のワイナリーを有する。また、レタスの一大産地としても知られるなど、高原野菜の栽培も盛んだ。
JR塩尻駅から南西に向かい、郊外に広がるブドウ畑の間を抜けて20分ほど車を走らせると、景色がだんだんと山深くなっていく。2005年に塩尻市と合併した旧・楢川村エリアだ。そのなかの木曽平沢集落は400年以上続く「木曽漆器」の生産地であり、さらに奥にある奈良井宿は旧中山道沿いに漆器や曲げ物などの木工品を売る店がずらりと並ぶ。
「もともと奈良井宿でつくっていた曲げ物に、漆を塗って使うようになったのが木曽漆器の始まりです。主に庶民の日常使いとして売られ、中山道を行き来する商人がおみやげに買っていったことから広まりました」
そう語るのは、旧・楢川村にある一般財団法人塩尻・木曽地域地場産業振興センターで木曽漆器の商品開発や需要開拓を担当する百瀬友彦氏。塩尻市の「文化・伝統産業の継承」の現状を探るフィールドワークを実施するため、日立の社員が、地場産品の展示・販売を行い、道の駅の機能も持つ同センターに向かった。
「木曽漆器×女子大生」プロジェクトの希望と悩み
「SDGs協創ワークショップ」2日目、7月18日の午後。塩尻・木曽地域地場産業振興センターを4人の日立社員が訪れた。自治体や通信事業者の情報システム構築・運用、メーカー向けシステムの企画立案、デジタル戦略のコンサルティング業務――それぞれ普段の業務は異なる。この4人に対して百瀬氏が語り出したのは、5年前から続けているあるプロジェクトの話だ。
「東京の昭和女子大学生活科学部環境デザイン学科の学生たちと、木曽漆器のデザインプロジェクト『cocoro concept』に取り組んでいます。学生が自分で身につけたい、使ってみたい漆器を自由な発想でデザインしてもらう。それを、木曽漆器青年部の若手職人たちが製作する。出来上がった試作品は、毎年2月に東京ビッグサイトで開催される『東京インターナショナルギフト・ショー』に出展し、学生にも説明員として立ってもらう。そこでバイヤーから得た意見をもとに試作品をブラッシュアップして商品化し、このセンターや雑貨専門のWebサイトで販売したり、市内や都内に卸したりしています。
製品はアクセサリーが多いです。学生は毎年夏に合宿に来て、当初描いていたスケッチをもとに職人と話をします。漆器を実際に手に取ってみて、そこから新しいインスピレーションを得て、再度スケッチを描いてアイデアを提案する。これが職人にとってかなりいい刺激になっています。『こんなデザイン考えたこともなかった』『いまこういうのがトレンドなのか』っていう発見が常にある。こうして出来上がった商品は、ポンポン売れるようなものではないですが毎月ポツポツ売れています」
プロジェクトの手応えをそう口にする百瀬氏だが、一方で課題もあると言う。
「展示会で小売業やアパレルの方によく言われるのは、『実際に売るには価格が高い』。ですからいま、価格の変更を検討しています。販路を拡大するためにも……。ただ、その販路拡大が難題で。プロジェクトに参加している漆器店それぞれが販路を持っていますが、例えばA漆器店がプロジェクトでつくった商品を、B漆器店の販路を使って売るわけにもいかない。そこが悩みどころですね」
「売り先がないと食べていけない」
百瀬氏の説明を聞いて、日立の社員はさっそく質問を投げかけた。
――職人さんが木曽漆器に対して「もっとこうだったらいいのになあ」と思っていることはありますか?
「やっぱり……この仕事で食べていけるようになること、ですね。修行して、工房で何年か働いてから独立しても、売り先がないと食べていけない。でも、売ることばかりに一生懸命だとつくる時間がとれない。漆器産業自体の売り上げは落ちているので、若い人が店を継ごうとしても、親御さんがやめさせることもあります。難しいですよね。木曽漆器づくりに関心があってよその地域からやって来た人を受け入れて、継承していくというやり方もあると思います」
――つくったものがちゃんと世の中に出回るようになれば、継ぐ人も出てきますよね。
「そうなんです。いま、どの業界でも問屋さんの役割が減りつつありますが、大事なのはやっぱり需要かなと。そして、作り手・問屋・売り先のつながりといった昔からの分業制をもう一度見直すことができたら、我々も上手にやっていけるのかなと思います」
――販売チャネルの開拓は、やはり展示会やイベントが主流ですか?
「そうですね。プロジェクトに参加している漆器店は、それぞれ飛び込み営業もしていますが」
――こういった伝統産業の保護は、行政にかなり左右されると思います。その点、木曽漆器はどうなのでしょうか?
「我々の思いとしては、もっと行政にバックアップしてほしい。東京の展示会で痛感するのは、ほかの漆器産地は行政のバックアップがすごいことです。具体的に言うと、ブースのコマ数が我々とは桁違い。いったいどんな状況にあるのか? 木曽漆器とは何が違うのか? ぜひ行政同士のネットワークを使って、情報収集してほしいですね」
木曽漆器が盛り上がれば、人が集まる
――職人さんにフォーカスを当てた取り組みがあってもいいのかなと思いました。
「職人メインの取り組みで言うと、木曽漆器組合のなかに文化財修復チームというのがあって、全国のいろいろな地域の漆文化財の修復をやっています」
――それは、先方から修復の依頼が来るんですか?
「そうです。祭りに使う山車とか、工芸品とか。神社の舞台の修復に出向くこともあります」
――ということは、もともと自分がつくったものではない漆製品を修復できてしまうということですよね。漆の修復は、色合わせがすごく難しいと聞くのですが。
「もちろん高度な技術が必要ですし、依頼のなかには、足場を組まないと漆を塗れないような現場もあります。でも、完成して依頼主から感謝されると職人にとってはやりがいがあるし、そういうことの積み重ねで木曽漆器の名前が外に知られていくのかなと」
――木曽漆器が活性化すると、塩尻にとってどんないいことがあると思いますか?
「人が集まりますよね。そうなると、漆器の作り手だけではなく、民宿とか飲食店をやってみようとか、いろいろなことをやろうという人が出てくると思います。それと、塩尻はワインがおいしいんですよ。1つの市に漆器の産地もワイナリーもあるのは塩尻ぐらいなんです。ワインと漆器を組み込んだツアーなんてできたらいいですね」
次の100年につながるアイデアを
1時間におよぶインタビューを終えた4人は、塩尻の中心市街にある市の施設「えんぱーく」に移動。ほかのテーマ「子ども・教育」「山・森」「高齢者・障がい者雇用」「空き家・空間」を選んだ参加者もそれぞれのフィールドワーク先から駆けつけ、この日の活動をグループワークで振り返った。
まずは、課題が起きている現場で見聞きしたことを、各自ポストイットに記入。それらを、「主観か/客観か」「課題か/可能性か」の2軸で分けた模造紙に貼り、そのなかで特に重要だと感じたポストイットを1人1枚選んだ。
今回密着取材した「文化・伝統産業の継承」グループの4人が選んだのは次のワードだ。
・漆器業界で差別化はできている?
・他県と比較し行政からの支援が不十分
・後継者不足
・市場のニーズの調査、把握が不十分
これらの視点をお互い共有したうえで、最後に出されたお題は「日立のリソースを生かして塩尻を現場としたときに、地域と協創してどのような取り組みが考えられるか」。フィールドワークで得た課題と情報をもとに、各グループがアイデアを構想した。「文化・伝統産業の継承」グループが悩みぬいた末に出した結論は、“日立が木曽漆器のニーズ調査を行い、日立のITを活用して商品の製作を支援し、日立の製品とのコラボレーション商品を開発する”というアイデアだった。
最後に、各グループから出たアイデアを、ワークショップの初日にも登壇した塩尻市の山田崇氏が講評。例えば「空き家・空間」のテーマについては、「センサ情報を活用した空き家街の観光地化」「地域一帯を同じコンセプトの店にする」など斬新なアイデアが示され、山田氏からは「どのアイデアも素晴らしいですね。このテーマは塩尻を象徴する課題の1つでもあるので、個人でも起こせるアクションがあれば、どんどん挑戦してほしい」と前向きな感想が聞かれた。一方で、「文化・伝統産業の継承」グループのアイデアに対して山田氏は「これ……難しいテーマなんですよね」と切り出し、やや厳しい注文をつけた。
「木曽漆器って京都のような存在で、新しいことをやりつづけているからこそ400年続いてきたという見方もできるのではないでしょうか。個人的には、次の100年につながるようなぶっ飛んだアイデアを、みなさんに考えてほしい」
17時過ぎにグループワークが終了し、解散。次回、2週間後の7月31日は再び東京に集まり、フィールドワークの結果を踏まえたうえで仕上げのワークを行う。
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