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一橋ビジネススクール教授 楠木建氏/株式会社日立製作所人財統括本部 ヒューマンキャピタルマネジメント事業推進センタ長 髙本真樹
本シリーズ開始から1周年を記念し、8月は楠木建氏と日立製作所の髙本真樹による対談を4回にわたってお送りする。髙本は2018年に『第3回HRテクノロジー大賞』を受賞した日立のHRテックの推進をリードし、「個に寄り添った人事」の実現をめざしている。人と組織のさらなる進化に向けて、いま企業の人事が取り組むべきことは何か。髙本の疑問に、楠木氏が独自の視点で答えていく。

「個に寄り添った人事」を実現するには

髙本
本日はよろしくお願いします。初めに自己紹介させていただきますと、わたしは日立の情報通信部門の人事を担当していまして、いわゆるHRテック(*)を用いて個に寄り添った人事の実現に取り組んでいます。さらに、社内での実績が出てきたこともあり、2018年からは「日立人財データ分析ソリューション」として、自らこのソリューション販売の支援もしています。

画像: 日立製作所の髙本真樹

日立製作所の髙本真樹

ところで楠木先生は、ご著書『すべては「好き嫌い」から始まる』に代表されるように、個人の好き嫌いこそが仕事のパフォーマンスを左右するというお考えをお持ちですよね。

楠木
ええ。「好きこそものの上手なれ」で、個人が好きなことをやっているほうが仕事の生産性が上がる。当たり前の話です。でも、これまでの経営では個人の好き嫌いをほとんど生かすことができなかったのが実態です。ここに疑問を持って僕なりの考えを論じたのがご指摘の本です。

ところで、僕の問題意識はこういうことです。日立はリーマン・ショック以降ずっと業績回復を続けている点では素晴らしいんですが、まだまだ儲けが少ない。連結で30万人近くの社員が働いていて、2019年3月期の売上収益が約9兆円。調整後の営業利益が7,549億円。これじゃあつまらないじゃないか、1.5兆円ぐらいは営業利益を出していただきたい、というのが僕の思いです。儲かる商売をできていれば、もっと給料が上がる。そのためには社員のみなさんがもっと自分の好きな仕事をやって成果を出し、生産性を上げることが必要だという、これまた当たり前の話なんですけど。

髙本
その生産性を上げるためにも「個に寄り添った人事」をめざしている我々ですが、上位管理職でも意識改革はまだまだ過渡期にあるとわたしは感じています。また、人事部門にHRテック専門の組織を持っている企業が日本では7%しかないのに対して、アメリカでは46%に達しているというデータもあります(PwCによる調査結果)。我々が「個に寄り添った人事」を実現するにはどうすればよいか、お知恵を貸していただければと思います。

* HR(Human Resource)とTechnologyを掛け合わせた造語で、AIやビッグデータ分析、クラウドなど先端的なITを活用して、人財の採用・配置・育成・評価などの人事関連業務を効率的に行う手法のこと。

アナログ施策のきっかけを、HRテックでつかむ

楠木
わかりました。まず、HRテックに対してわたしが最初に感じたのは、これは大企業がとりわけ必要としているものだということです。ものすごい数の社員がいるから、一人ひとりにじっくり関わっていられないわけですよね。これがもし社員50人くらいの規模の会社だったら、自然に寄り添いやすいように思います。

髙本
先生、そこがですね、意外と……。

楠木
そうでもないですか。

髙本
弊社だからかもしれませんが、人数が少ない部署ですと逆に忖度のような見えない力が働いてしまって、社員がなかなか本音をさらせずに、互いに気を配りあいながら無意識に快適な環境をつくっている……そんな傾向があります。小さい組織だからこそ、逆にこういったことが起こりやすいとも言えます。

楠木
そうですか。確かにそれもひとつの成り行きですね。

髙本
ええ。HRテックによる分析で見えてきた社員の実態で一番興味深かったのは、上司は部下のことを買っているのに、当の本人は不満たらたらというケースが実は圧倒的に多いことです。つまり、上司側の思い込みなんです。上司は部下のことを「仕事はよくできるし、自分も高く評価している。しかも、頼んだ仕事も笑顔でどんどん進めてくれる」と、勝手に思い込んでいるわけです。何の問題もなく、ご機嫌な状態で部下が仕事に集中してくれている、と。ところが部下は「こんなに仕事が詰まってるのに、まだ入れてくるのか!」などと思っている。よく、仕事ができる人に仕事は集まりがちだと言いますけど、この状況がエスカレートすると大事な部下が組織から飛び出してしまったり、チームが崩壊してしまうことだって起こりえます。

上司と部下の認識のギャップというこの事実は、職場にセンセーションを巻き起こしました。「え、そうだったの?!」「知らなかった……」そんな反応が社員に見られました。

なぜこうしたことがわかったかというと、我々が社員に対して行うサーベイは分析結果が個人に返ってくるので、みんな真面目に回答してくれるからです。企業で一般的に行われる社員の意識調査というのは、所属する企業の風土や文化、あるいは経営を他者評価するものが多いですよね。逆に、我々のサーベイは社員自身に関する自己評価の問いかけなので、回答からはリアリティのある内容が見て取れるのです。

楠木
面白いですね。要するに、解を得るのがサーベイの目的ではなく、アナログな施策を考えるきっかけに過ぎない。

髙本
ご指摘のとおりです。例えば、社員が配置配属に不満を持っているからと言ってすぐに異動させるようなことは我々一切やっていません。多いのは、それまでなんとなく不満を感じていたけど、それが具体的に何かわかっていなかった社員が、サーベイの結果を見て「自分が気に入らないと感じていたのはこれだったんだ!」と気づくケースです。不満の原因を丁寧に分析すると、上司との関係だったり、仕事のアサインのされ方だったり、大事な意思決定に関われていないストレスだったりと、具体的な要素が見えてくる。じゃあ、そこを変えていこうと。それでも変わらなかったら奥の手ということで配置転換しようと。そんな対応をしています。

楠木
AIというのは果てしない相関の世界ですからね。ビッグデータがあればいくらでも相関関係は見つかる。しかしそこに因果の論理は一切入ってない。だから、人間が仮説を立てなきゃいけないわけですね。

髙本
まさにそのとおりです。あくまでAIは単なるツール、例えるなら検索エンジンと一緒だと我々は考えています。AIが魔法のようにすべてを解いてくれると思ったら大きな間違いだと。

楠木
となると、人間が仮説を立てるときにどんな相関を基にするのか、相関を選択する際のフィルター設定が非常に重要になりますよね。

髙本
要するに大事なのは、AIにどんなデータを学習させるか。子どもを育てるようなもので、学習させるデータが不適切だと不良AIに育ってしまう(笑)。もし失敗したら、それまで学習したデータを全部クリアにしなくてはいけません。

日本企業の生産性が低いのは当たり前

楠木
僕はいつも思うんですが、物事が悪くなった・良くなったというとき、人間は2時点間の比較でしか変化率を認識できないんです。つまり、なぜいまが悪いかっていうと、昔良かったから。そう考えると、日立のような高度成長期の日本を引っ張った大企業がいろいろな問題を抱えているというのは必然ですね。

戦後の日立は日本経済をリードした会社の1つですけれども、産業の復興なり成長の背景にはそのときの時代に最高にフィットしていた優れた経営のしくみがあったわけです。でも当然、時代は変わっていく。ただ、いまの時代が過去と比べてとりわけ変化が激しいという議論は、僕は非常に眉唾物だと思ってまして。控えめに見積もっても、戦争をガンガンしていた20世紀前半に企業経営が直面していた世の中の変化って、いまの比じゃない。例えば日清・日露戦争のときの企業経営にかかったストレス、不確実性っていうのは半端じゃなかったはず。ですから、長い目で見ればいつの時代も「行って来いでチャラ」だと僕は思ってるんですけども。

日本が本当にHRテックの導入でとりわけ遅れているかというと、果たしてどうなんだろう? と思うんです。アメリカの46%の企業がHRテックを導入しているとのご説明ですが、いったい何をアナライズしてるのかというと、実は結構ろくでもないことだったりする可能性もある。要するに、遠い世界のほうが必ず良く見えるんです。「シリコンバレーですごく経営の悪い会社、知ってる?」って聞かれても、我々にはよくわからないですよね。アメリカ人に「日本ってどう思う?」と聞くと、すべての企業がよくも悪くもトヨタのような会社だと思い込んでいる。僕が思うに、「HRテック導入」と一口に言っても、それで会社がいきなり大きく変わるという話じゃないんだろうなと。

画像: 楠木建氏

楠木建氏

日本とアメリカの比較というのも、なかなか難しいと思います。そもそも日本企業の生産性がアメリカの企業より低いのは当たり前で、平均的なアメリカの企業というのは、生産性が低い社員がいると「おまえ出ていけ」ってクビにする排除の論理でもって生産性を上げるわけです。一方で日本の企業の多くは、高度成長期にうまくいっていた年功序列のしくみのまま、生産性を上げようとしている。例えるなら、日本人だけ革靴を履いて100メートル走のタイムを競うようなもので、海外と比べるのは非常に難しいんです。もちろん革靴はさっさと脱いで走りやすいランニングシューズに履き替えたほうがいい。でも、それは日立のような確立した大企業では時間がかかる。

さらにありていに言えば、日立のような大規模な会社で全員が全員生産性をガリガリ上げるなんて、人間社会ではありえない話です。何万人も社員がいれば、そのうち2、3割はぼんやりした社員が出てくるに決まっている。

髙本
あはは(笑)。それじゃ困るんですが、確かにHRの世界には「2:6:2の法則」という言葉があります。

楠木
僕がはたから見て思うのは、こういったHRテックという技術は、マイナスをゼロの状態に改善するには非常に有効かなと。

髙本
確かにそれはあると思います。ある部署では、「金曜日に残業しているチームは総じて生産性が低い傾向にある」という結果が出ました。そこで、「金曜日の昼間は一切会議をしない」というルールを設けたところ、その部署は定時退勤者が増え、休日の出勤が減りました。

楠木
つまり、マイナス要素を発見してゼロにすることで生産性が改善されたわけですね。素晴らしい成果だと思います。ただ、ゼロをプラスに持っていくというのは、それとはまたちょっと違う話だと思うんです。

画像1: 対談 「好き嫌い」と、新しいHRの在り方
その1 マイナスをゼロにするテクノロジー。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

画像2: 対談 「好き嫌い」と、新しいHRの在り方
その1 マイナスをゼロにするテクノロジー。

髙本真樹(たかもとまさき)

1986年、株式会社日立製作所に入社。大森ソフトウェア工場(当時)の総務部勤労課をはじめ、本社社長室秘書課、日立工場勤労部、電力・電機グループ勤労企画部、北海道支社業務企画部を経験。都市開発システム社いきいきまちづくり推進室長、株式会社 日立博愛ヒューマンサポート社社長などを経て、現在システム&サービスビジネス統括本部 人事総務本部 担当本部長を務め、人財統括本部 ヒューマンキャピタルマネジメント事業推進センタ長を兼任。全国の起業家やNPOの代表が出場する「社会イノベーター公志園」(運営事務局:特定非営利活動法人 アイ・エス・エル)では、メンターとして出場者に寄り添い共に駆け抜ける"伴走者"も務めている。

「第2回:好き嫌いテック for HR。」はこちら>

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