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「第1回:お金は本能を直撃する。」はこちら>

お金に関して余計なことは考えず、人と比較したりせず、自分の生活を生きていたほうがいい。僕だけでなく、そう思う人は多いはずです。それでもやっぱり、お金はないよりはあったほうがいい。これもまた真実です。

僕は大学院に行ったので、5年ぐらい無収入状態になることがもうその時点で確定していました。当時は本当にお金がなくて、自分でも嫌になっちゃうことがいろいろありました。僕は大学院の時にはすでに結婚していまして、妻は会社で働いていて普通に収入がありました。

僕は「柿ピー」が好きで、おやつにいつも食べていました。家の近所のスーパーで「柿ピー」を買おうと思った時に、お金がないので、1円当たりどっちのグラム数が多いのかっていう、要するにコストパフォーマンスがいいほうを買いたいと心の底から思いまして、でも何グラムで何百何十何円とかって、結構割り算が難しいんです。それで、2つの「柿ピー」でどっちが得なのかなと思って、気が付いたらしゃがんで「柿ピー」のパッケージを凝視して暗算していた。その姿を、たまたま同じスーパーに寄った仕事帰りの妻に見つかりました。

「ここでしゃがみこんで何をしているのか」と聞かれたので、僕は「どっちの柿ピーが得だか計算してた」って答えると、妻に「セコイ! 本当に、情けない男になり果てた……」と嘆かれました。その時、やっぱりお金がないっていうのはどうも都合が悪いなって実感しました。

話は変わりまして、お金に関する人の「欲」についてですが、僕の先輩に創薬ベンチャーをやっている面白い人がいました。創薬ベンチャーというのは、大学の医学部の研究者を見つけて、資金を調達してきますからうちと組んで一緒にその研究を市場化しませんかっていう仕事なんです。彼が、候補に挙がった研究者の中から、実際に組む人を決めるときに行なうテストがありまして、これが面白いんですね。その研究者に自分の欲しいものを全部リストアップしてもらい、横にそれがいくらかを書いた欲しいものリストの作成をお願いする。そうすると、人によっては贅沢にはまるで興味のない人がいて、欲しいものを全部書いても1,000万円ぐらいにしかならない。彼は「そういう研究者とは絶対に組まない」って言うんです。「そんな欲がないやつとビジネスできるか」ということなんです。

ところが、ヨットが欲しくて、豪邸が欲しくて、どうのこうので、欲しいものリストが100億円を超えるような人もいるそうです。彼はやはり「絶対に組まない」。「そんな強欲なやつとは組めるか」と。

彼は、欲しいものリストが「10億円ぐらいが一番いい」って言うんです。理由を聞くと、「だっておまえ、10億円以上カネを持っていて、幸せなやつ見たことある? 俺は一人も見たことないよ」って言うんです。これはこれで、一面の真実かなという気もします。

カネと幸せの関係は単調増加関数じゃないので、すぐに限界効用が逓減する。だから、好きな柿ピーを値段を気にせず好きなだけ買える程度にはお金があったほうが、それだけ豊か、精神的にも豊か、生活も豊かで幸せになるけれど、ある点を超えるともう同じで、はじめは幸せに感じても、すぐに当たり前になってしまい、幸福感を喪失する。

いろいろ問題はあるにせよ、市場競争がいまだに有効なのは、消費者にとって絶対に得だからですね。市場競争があれば、価格や品質は消費者にとってかならず得をする方向で改善されていく。ユニクロ、無印、サイゼリヤ、ニトリといった企業から僕は消費者として大きな恩恵を受けていますが、これも一つには競争の産物です。僕の着ている服は全部ユニクロです。今日の服も、Tシャツ、ジーンズからパンツや靴下まで入れて総額6,800円ぐらいですが、大いに満足しています。

僕は、自分に固有の価値基準を持つこと、価値基準の内在化が教養だと思っているのですが、僕にとってユニクロ生活はラグジュアリー、精神的に豊かなんです。自分に固有の価値基準がないと、外在的な基準にもたれかかるようになります。その最たるものがお金です。以前にも「資本主義のこれから」で話したように、1万円の鮨は5,000円の鮨のきっかり倍おいしいはずだという外在的な金の基準に乗って、金の「比較可能性」とか「尺度性」とか、そういうものが前面に出てきてしまいます。こうなるともうキリがありません。

年を取ると物欲がなくなってくる。これはエイジングの非常にいい面だと僕は思っています。耐久消費財などをひと通り持っているということもあるのでしょうが、それ以上に、やっぱり人間の成熟というのは価値基準の内在化なので、自分なりの価値基準ができてくると、お金を基準としてあまり重視しなくなる。どんどんラクになってくる。

僕は、広大なリビングルームに寝室がいくつもあるような豪邸にはまったく住みたくありません。それは謙虚だとか我慢がちゃんとできるとかいうことではありません。たとえ「豪邸をタダであげる」って言われても、断ります。それは自分の価値基準とは違うからです。

ただ、「豪邸をあげる」だけではなく、さらに「1億円付けるから」とか「すぐに売ってもイイよ」って言われたら、やっぱりもらうかもしれない。ここがお金のやっかいなところです。

(撮影協力:六本木ヒルズライブラリー)

画像: お金とスタイル-その2 お金は価値基準になり得るか。

楠木 建

一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『すべては「好き嫌い」から始まる』(2019、文藝春秋)、『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第3回:お金の使い方こそスタイル。」はこちら>。

シリーズ紹介

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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