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日本社会が混迷し、閉塞感が高まっているのは、もともと日本人が不得意だった、量的な単一のモノサシだけでものごとを判断するようになってしまったからだという。そんな状況を脱却する手掛かりとなるのが17世紀の哲学者スピノザが説いた「コナトゥス」。一人ひとりがコナトゥスを発揮していく未来を山口氏が展望する。

「第1回:なぜ今“美意識”が必要なのか」はこちら>
「第2回:人間の本質を深く理解するために」はこちら>
「第3回:単一のモノサシに偏ってしまった日本人」はこちら>

この国の閉塞感から脱却するために

――その3では、日本人はもともと、複数のモノサシを当ててものごとを考えるバランス感覚があったにもかかわらず、今は単一のモノサシに囚われてしまっていることを自覚する必要があると指摘されていました。日本が再び、そのバランス感覚を取り戻していくためにはどうしたらよいのでしょうか?

山口
1つのモノサシだけで判断を下すという不得意なことを続けた結果、窒息状態にあるのが今の日本です。この状況を脱却するためには、その2でも触れた個人のコナトゥスを発揮することが1つの手掛かりになると思っています。

国家のような大きなレイヤーでは量的なモノサシを当てて、質的なものを数値化することも確かに必要です。しかし、民間企業、企業の中の部署、家族、個人の生き方というように、個人が関わる身近なレイヤーにおいても量的なモノサシが幅を利かせているところに、今日の閉塞感や生きづらさが生まれているように感じるんですね。

年収、偏差値、職業、居住エリア、子どもが通う学校に至るまで、あらゆるものに単一の量的なモノサシを当てて、自分や家族の人生までをも画一的に評価する。これが行き過ぎれば、自分が自分らしくいられることや、心が生き生きと躍動するような感覚など、数値化することのできない一人ひとりのコナトゥスが失われ、最も大切なものが人生の中で置き去りにされてしまいます。

僕自身もかつて身を置いていたコンサルティング業界には、今でも量的なモノサシだけで周囲と競い合い、そのような状態から抜け出せずに、苦しみながら働き続けている人が多くいます。本来は仕事においても、他人と比較できる量的な指標とともに、一人ひとりに固有のコナトゥスという質的な指標も持つことが大切なんですね。

――確かに、そういったことが苦しさや生きづらさといった、社会の閉塞感につながっているような気がします。

山口
それが、コナトゥスが活性化し、自分が自分らしくいられる、心が躍動する場所に身を置くと、その人はものすごく能力を発揮します。やる気やモチベーションが湧き、創意も発揮できるので個人の生産性は上がります。そういう人たちが多く集まれば、当然、会社の生産性も上がるでしょう。

逆に多くの人がコナトゥスを発揮できない会社は、社会全体の生産性を下げることにもなる。これまでも日本は、欧米先進国と比べ、仕事を通して生み出される価値が低いと指摘されてきましたが、この問題を解決するのにも一人ひとりのコナトゥスが大きなカギになってくると思います。

画像: この国の閉塞感から脱却するために

創意と競争力の源泉になる

――自分のコナトゥスを発揮することで、大きなインパクトを生み出した具体的な事例はありますか?

山口
古くは、今から100年以上前、自分のコナトゥスを発揮して成功したのが阪急電鉄の創業者、小林一三です。僕がいちばん尊敬する経営者でもあります。彼は慶應義塾大学を卒業して三井銀行に入りました。当時でも典型的なエリートコースでしたが、先輩たちとの出会いから事業の面白さに目覚め、34歳の時に三井銀行を退職し、後に阪急電鉄となる箕面有馬電気軌道を創設します。

そこで彼は私鉄のあらゆるビジネスモデルを築き上げました。路線の先にベッドタウンを造成したり、誰もが家を購入できるようにと住宅ローンの仕組みを作ったり。さらに、日曜日にも電車に乗ってもらうために駅の上にデパートを作り、閑散期のお盆に全国から乗客を集めるために甲子園の高校野球大会まで企画しました。宝塚歌劇団を創設したのも彼です。

小林一三がこれだけの創意を発揮できたのは、世間一般で良いとされるような、外側から与えられた尺度ではなく、彼自身のコナトゥスに従って、自分の心が動くような仕事に取り組んでいった結果だと思うんです。

――今の時代でも同じように自らのコナトゥスに従うことでこそ、大きく飛躍することは可能だと。

山口
今は、自分のコナトゥスを発揮することがそのままグローバルな競争力に直結する時代でもありますね。

広島にマルニ木工という、1928年創業の老舗家具メーカーがあります。そこで作られた椅子が今、アップルの本社「アップル・パーク」で、何千脚という単位で採用されています。マルニ木工は、実はバブル崩壊後に会社存亡の危機に直面していました。社長の山中武さんは、会社がつぶれる前に自分自身が本当に理想とする椅子を作りたいと、世界的に著名なデザイナーの深澤直人さんとタッグを組みます。そして、「日本発の世界定番の椅子を作る」という目標を掲げ、職人とともに実現させたんですね。それがアップルのデザイナー、ジョナサン・アイブの目に留まって納入へつながったというわけです。

――自分の心が動かされるものと仕事をシンクロさせることが、非常に大きな競争力を生み出すことをよく物語っていますね。

山口
その通りです。でも、これは反対に、自分の心が動かされない、コナトゥスの動かない状態で働いている個人や組織が、相対的に競争力を失っていくということでもあるんです。

今ここで大胆に発想を転換できたら、社会が大きく変わるのではと考えています。外側から与えられるモノサシに囚われずに、たとえ知らない会社でも、自分にとってすごくワクワクする仕事ができそうな会社を探して社会全体で大移動を始めるんです。すると、大数の法則(*)が働き、より自分が活躍できる場所にいる人が多くなる。結果として職場や社会全体の生産性まで上がっていき、イノベーションだって次々に起きてくるはずです。そうなっていけば、個人も組織もとても強くて幸せな世の中に変わっていくんじゃないかと期待しています。

リベラルアーツを学び、拠り所にしながら、自身のコナトゥスを見つけて発揮していくということは、新しい時代を切り拓くきっかけにもなりうる、そんな気がしています。

*確率論・統計学における基本定理の一つ。数多くの試行を重ねることにより事象の出現回数が理論上の値に近づくということ。極限定理とも呼ばれる。

画像: Vol.1 総論編「リベラルアーツとは何か?」
その4 コナトゥスの発揮こそ、次代を切り開くカギ

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美学美術史学専攻修了。神奈川県葉山町に在住。

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一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

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