人類の歴史には、人間の本性、奥深さを踏まえた知恵が数多く残されている。何が持続可能で、何がそうでないか、ものごとの微妙なバランスを感じ取る力もその一つ。日本人は複数のモノサシ(尺度)を持つことでそのバランスを取ってきたはずなのだが、現代は量的なモノサシだけに傾倒し過ぎていると山口氏は指摘する。

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日本人はモノサシを1本に絞り切れない

――その1で山口さんは、現代の日本における美意識の欠如について指摘されましたが、そういう状況になってしまった理由や背景をどう捉えていますか?

山口
日本人は、もともとは複数のモノサシを当てるということを平気でやってきた国・民族だと思うんですよ。その典型的な例が、山本七平さんの『私の中の日本軍』の中にあります。戦時下の捕虜収容所で、米軍が日本兵の捕虜を集めて進化論を教えようとする。ところが日本兵は既に進化論を知っていたので、それに米兵が非常に驚いたという話です。

日本人は天皇を“現人神”として信じて崇めているらしい。ならば、人間は類人猿から進化したとする進化論を知らないはずだとアメリカ人は考えるわけです。ところが当の日本人は進化論を受け入れながら、それと矛盾する現人神も受け入れている。要は「それはそれ、これはこれ」、まさにデュアルスタンダードなんです。

一神教文化の中で育った人たちはその矛盾が気になってしまうんですね。例えば、キリスト教では神がトップダウンで定めた聖書が絶対の基準なので、その内容に照らし合わせて、正しいか正しくないか、善いか悪いかを演繹的に判断する思考が常に働きます。

――言われてみれば、確かに「それはそれ、これはこれ」が得意です。

山口
日本語という言葉もそうですね。漢字も使うし、ひらがなも使う、外来語にはカタカナを当てて、さらに漢字の訓読みと音読みまである。そんな複数の用い方が乱立していても日本人は至って平気です。

「あれも大事」、「これも大事」と、モノサシを1本に絞り切れないまま、2本目3本目といろいろなモノサシが同時に働く。一見曖昧にも見えますが、だからこそ「こっちはうまくいっている」、「でも、あっちがまずくなっている」などと感覚的に調整しながら、全体として良い状態を保つことができたわけです。

ところが明治維新以降、西欧に倣ってすべてを1本のモノサシで測ろうと努力してきた。グローバル資本主義の中で、GDP(国内総生産)にせよ、企業の財務指標にせよ、そうした量的な尺度に合わせようとすることでたいへん苦労しているという状況は今も変わっていません。

逆行する日本とアメリカ

――確かに今日の私たちも、何でも1つのモノサシだけで測ろうとする傾向が強くなっているように感じます。

山口
そんな日本とは反対に、アメリカは複数のモノサシを持とうと努めてきたんです。アメリカはもともとトップダウン型の一神教文化をベースにしながらも多民族国家です。いろいろなバックグラウンドを持つ人たちが集団で行動するには共通の指標を単純化・画一化する必要があったわけですが、他方では多様性を尊重するという面を持ち続けていて、例えば、ロバート・ケネディ(*)は凶弾に倒れた年の有名な演説でこう訴えました。

“アメリカのGNP(国民総生産)は8,000億ドルを超えた。しかしその中には、ライフルや装甲車など兵器を作る費用や、子どもに暴力を教えるようなテレビ番組の費用が含まれている。一方で、詩を創ること、家族の絆、子どもたちの遊ぶ喜びなどは入っていない。このようなもので果たして国の健全性を測れるのかは考えなければならない(大意)”

1968年ですから、今から50年前のことですよ。これがアメリカの底力だと思うんです。多様な考え方や開かれた議論の文化があって、そこから強いオピニオンも生まれてくる。それがアメリカが今もなお世界トップの国であり続ける最大の理由じゃないでしょうか。

* 第35代米大統領ジョン・F・ケネディの弟で、兄の任命により司法長官を務めた。 1968年大統領選挙キャンペーン期間中に暗殺された。“ボビー”の愛称で親しまれた。

画像: 逆行する日本とアメリカ

――ロバート・ケネディの訴えは現代にも通じるものですね。他にもそういった事例はありますか?

山口
企業経営の面では、1990年代初頭にキャプランとノートンが「バランスト・スコアカード(BSC)」という業績評価システムを発案しました。収益の最大化という単一のモノサシだけで企業価値を測っていては、中長期的成長や社会への貢献など、より本質的な価値が見落とされてしまうとの危惧から、量的な「財務」指標に加え、「業務プロセス」、「顧客」、「学習と成長」という全部で4つの指標を取り入れようとしたものでした。

実は1980年代まで多くの日本企業では、このような考え方を暗黙知で実践していて、それが強い国際競争力になっていました。アメリカはそんな日本の強さを徹底的に研究して、形式知として取り入れていったわけです。反対に日本企業は国際競争力に陰りが見えるようになると、アメリカが脱しようとしていた単一的で量的なモノサシですべてを判断するように変質していくことになります。

アメリカには多様性や議論の文化があったように、日本人は単一民族でありながら、「三方好し」に代表される道徳や信頼を重んじる価値観、複数のモノサシを当てて考えるバランス感覚がありましたが、劣勢に陥るとあっさりとそれを手放してしまった。その結果が株主資本主義をはじめとする極端なシングルスタンダードの風潮で、それらは今の日本社会に見られる美意識の欠如につながっているようにも思います。

しかし、人口減少時代に突入した今日、かつての経済成長期のように量的な単一のモノサシだけでは、社会のこれからの姿や一人ひとりのQoL(Quality of Life)を測れなくなっています。経済指標を無視することはできませんが、単一のモノサシに囚われてしまっていることを自覚する必要があると思います。その2でも触れましたが、今一度人間の本質――コナトゥスについてじっくりと考えながら、“次のモノサシ”を見つけることが求められているのではないでしょうか。そのためには、リベラルアーツという「人類のコナトゥス」の膨大なリストを学び、それを拠り所としていくことが、遠回りのようで一番近道なのかもしれません。

画像: Vol.1 総論編「リベラルアーツとは何か?」
その3 単一のモノサシに偏ってしまった日本人

山口 周(やまぐち しゅう)
1970年東京都生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。電通、BCGなどで戦略策定、文化政策立案、組織開発等に従事した後、独立。著書に『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 』、『武器になる哲学』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院美學美術史学専攻終了。神奈川県葉山町に在住。

「第4回:コナトゥスの発揮こそ、次代を切り開くカギ」はこちら>

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一橋大学ビジネススクールの楠木教授の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

山口周の「経営の足元を築くリベラルアーツ」

山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

新たな企業経営のかたち

SDGs、人工知能(AI)、デザイン思考、ブロックチェーンなど、経営戦略に関わるホットイシューについて、斯界の第一人者に聞く。

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