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僕は、生活とか仕事でのルーティン(お決まりの手順)がわりと大切だと思っています。驚くようなニュースとか、すごくエッジの立ったイベントとか、そういうものが人目を引くのが世の常です。特に、インターネットの時代になると、みんな刺激の強いものにぱっと目を向けて、すぐに忘れてしまう。どんどん瞬発的というか即時的な刺激物へと注意関心が流れる世の中になってきていると思うんですが、むしろ日常生活の中で、ひたひたと静かに繰り返されるルーティンというものをもう少し見直した方がいいというのが僕の考えです。

僕は日記を読むことを好みます。自分でも日記をつけているということもありますが、作家とか、政治家とか、アーティストとか、古川ロッパのようなエンターテイナーとか、死後に出版される場合が多いのですが、そういった人の日記を読むのが好きなんです。時間順に日々のことがずっと書かれている日記は、その構成からして歴史を知り、追体験する方法としてとても優れています。

たとえば、戦時下の東京で生活をしていた人の日記。日本が戦争をしていたときの人々の気分の変化が、時間的な文脈の中でよくわかる。「戦争はいけません」、「こんなに悲惨です」と説明した本を読むよりも、よっぽど戦争のことがよく理解できる。これが日記という形式が持っている面白さです。日記なので、文章自体は全然面白くはないんですけど。

日記を読むもうひとつの理由は、書いた人の生活のルーティンがわかるということです。最近僕がまとめて読んだのが、作家の西村賢太さんの一連の日記シリーズ『一私小説書きの日乗』。さすが私小説作家だけあって、ずっと日記をつけていらっしゃるんですが、毎日同じリズムで同じ生活をしている。本当に独自のルーティンが固まっています。僕は西村さんのプロフェッショナリズムを見ます。池波正太郎さんの日記も素晴らしい。極上のルーティンの記述です。お二人とも、世の中に提供しているのは、クリエイティブなものです。人間の創造活動とルーティンは深く関係していると思います。

政治家では、佐藤栄作さんの長大な日記が死後に出版されています。政治家は日々が闘争なんで、仕事自体はものすごくダイナミックなものだと思うんですけれども、日常の生活はというと、ルーティンを淡々粛々とこなしている。それには必然性があります。仕事がダイナミックであればあるほど、変わらない繰り返しみたいなものが生活の中にないと、バランスが取れなくなり、仕事の持続力がなくなるんじゃないかなと思うんです。

野球のイチロー選手も打席に立つ時に、独特のルーティンがあります。プロ野球という勝負の世界では、相手がどう出るかわからない状況のなかで、自分はどう動くかという判断が求められます。失敗したとき、うまくいかなかったときは、その理由を、日々変わらないルーティンとのズレで認識できるのではないか。いろいろなケースがあるとは思いますが、ダイナミックでクリエイティブな仕事をしている人ほど、変わらないルーティンを大切にしているのではないでしょうか。

僕自身で言えば、勝負の世界というわけではないですけれども、考え事を形にして、それを言葉や文字で提供し、お客さまの役に立ててもらうという仕事をしています。ようするにふわふわした仕事です。それだけに、毎日の中で、変わらないルーティンを生活とか仕事で作っていくというのは、自分のコンディションとか好不調を知る上でも、すごく重要だと思うようになりました。

たとえば、僕はジムに通っているんですけれど、元々の目的は、体を動かすことが嫌いなので、習慣的にジムでも行かないと、体はもちろん精神的にも不健康になってしまうからです。週に3回ぐらい、短い時間のトレーニングですが、もう判で押したように同じことをやるタイプなんです。ジムに通う生活を始めて20年以上経っているのですが、基本的に、最初にこの筋トレを何セットやって、次にこのトレーニングをやって、最後にストレッチをして。ストレッチも全部順番が決まっています。それから、お風呂に入って、サウナに入って、水風呂に入って、シャワーを浴びて、歯を磨いて出てくる、という流れです。

こうやってルーティン化しておくと、自分のコンディションを知ることに大いに役立ちます。同じことを繰り返しているので、ちょっとした体調の違いにもすぐに気づく。いつもなら楽々できるトレーニングメニューでも息切れすることがある。そうすると、ああ、ちょっと疲れているな、少し仕事の量を緩めたほうがいいな、とわかる。

もちろん、何かの拍子でルーティンが変わるということがあります。ダンベルのウエイトが変わっていたりとか、トレーニングの順番がちょっと変わってたりとか、昔はトレッドミルを走ってたのが水泳になるとか。

そのときに、自分がわかる。結局ルーティンとして繰り返せるっていうことは、自分が好きだとか、意味があるっていうことなので、ルーティンで残っているものというのは、相当自分にとって本質的に重要な、しかも無理がない、自然な価値があるものです。極論すれば、生きるということは、自分のルーティンを錬成していくということであり、そのルーティンが自分にとってより良くなっていくということが、人間としての成熟であると思っているんです。

画像: ルーティンを見直す-その1
ルーティンを磨く、本質を磨く。

楠木 建
一橋ビジネススクール教授
1964年東京生まれ。幼少期を南アフリカで過ごす。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了(1992)。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部助教授、一橋大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授、2010年より現職。
著書に『「好き嫌い」と才能』(2016、東洋経済新報社)、『好きなようにしてください:たった一つの「仕事」の原則』(2016、ダイヤモンド社)、『「好き嫌い」と経営』(2014、東洋経済新報社)、『戦略読書日記』(2013、プレジデント社)、『経営センスの論理』(2013、新潮新書)、『ストーリーとしての競争戦略:優れた戦略の条件』(2010、東洋経済新報社)などがある。

「第2回:消費を閉じる消費。」はこちら>

シリーズ紹介

楠木建の「EFOビジネスレビュー」

一橋ビジネススクール一橋ビジネススクールPDS寄付講座特任教授の楠木建氏の思考の一端を、切れ味鋭い論理を、毎週月曜日に配信。

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山口周氏をナビゲーターに迎え、経営者・リーダーが、自身の価値基準を持つための「リベラルアーツ」について考える。

協創の森から

社会課題の解決に向けたビジョンの共有を図る研究開発拠点『協創の森』。ここから発信される対話に耳を傾けてください。

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