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京都大学 山極壽一氏/アスクル株式会社 岩田彰一郎氏/株式会社日立製作所 矢野和男
人工知能(AI)への注目度、期待感が世界的に高まる中で、その活用は、金融、流通、製造、公共、そしてエネルギーなど広範な領域に広がっています。しかしながら、AIが私たち人類や社会にどのようなインパクトを与えるのか、全貌はいまだ誰にも見えていません。本ビジネスセッションでは、京都大学の総長であり、人類学者として長年にわたるゴリラの研究から「ヒトとは何か」を考え続けてきた山極壽一氏と、ECビジネスを時代に先駆けて展開してきたアスクル株式会社代表取締役社長の岩田彰一郎氏、そして日立でAI研究に従事する矢野和男が、人類学、経営、技術の視点から、AIがもたらす価値について議論しました。

第一部 ビジネスと人類学から、AIに向けた問題提起

プロローグ

矢野
今回、「人類学と経営とAI」というテーマでセッションを企画したのは、AIというのは、私たちが思っている以上に大きな広がりを持つ技術だと考えるからです。近年、AIがいずれ人間の脳を超えるとされる「シンギュラリティ仮説」が唱えられるなど、AIを巡ってはさまざまな期待とともに、不安や妄想も語られています。そうした現状を踏まえて、本日はスペシャルゲストとともに、はたしてAIが人類や社会に何をもたらすのか、その本質について議論をしていきたいと思います。

最初に、3人それぞれが自己紹介を兼ねてプレゼンテーションを行います。私からは、日立の人工知能の取り組みについてご紹介させていただきます。

社会の幸せのためのAI:矢野和男プレゼンテーション

1)商用の汎用AI、Hitachi AI Technology/Hとは

矢野
現在、私は人間の「幸せ」にこだわって研究をしています。本日は「社会の幸せのためのAI」をテーマにお話ししたいと思います。

今、時代が大きく変化していますが、我々の頭の中はいまだに20世紀的な考え、つまり、「標準化し、効率をよくすれば富が生まれる」という信念に支配されています。しかし、今や社会の仕組みにせよ、産業のあり方にせよ、仕事の仕方にせよ、すべてが劇的に変わりつつある中、従来の信念だけでは立ち行かなくなっています。需要も複雑に多様化して、短期間で移り変わるため、いちいち人手で対応していたのでは利益を生み出すことはできません。そこに、AIの一つの役割があるのではないかと私は考えています。

コンピュータは従来、オートメーション化に大いに役立ってきましたが、現在では、データを読み解き、学習しながら自らを柔軟に変えていくという、AIとしての技術基盤を整えつつあります。そして、ここ10年ほどで実にさまざまなAI技術がそろってきました。ところが、AIが囲碁のチャンピオンに勝つなど、華々しい成果を挙げているにもかかわらず、いまだに、「AIで儲かった」という話はあまり聞きません。そこに何かが足りないのか、我々は考えました。

囲碁でチャンピオンを打ち負かしたとして有名になったGoogleのAI「アルファ碁」は、「深層学習」と呼ばれる機械学習の技術を採用しています。深層学習では、同じルールでデータを何度も繰り返し学習して答えを見つけ出します。しかし、現実のビジネスの現場では、今日と同じ日は1日としてありません。商材も人の好みも毎日変わります。そこに臨機応変に対応しながら、売り上げを伸ばしたり、顧客の満足度を上げたりといった、「アウトカム」(上位目的)の達成に資するAIが求められているのです。

画像: 矢野和男

矢野和男

こうして我々が開発したのが、「Hitachi AI Technology/H」です。私は親しみを込めて、このAIをH君と呼んでいますが、H君の特徴をわかりやすくお伝えするために、ブランコを漕ぐロボットにH君を接続してみました。H君に与えられた目標は、「ブランコの揺れ幅を最大にすること」で、事前情報は一切、与えられていません。ロボットは、最初、ただやみくもに漕ぎますが、たまたまいいタイミングで膝を曲げたり、伸ばしたりすると揺れ幅が大きくなることを学習して、わずか2〜3分でブランコをうまく漕ぐコツをつかみました。さらに1分ほどすると、今度は、前と後ろの両方でそれぞれ膝の曲げ伸ばしをするという、人間よりも高度な技を身につけました。つまり、1回の振幅で2回膝を曲げてブランコを漕ぎ始めたのです。人間は怖くて前で漕ぐ動作はできませんが、H君は力学的にもっとも合理的な方法で、ロボットにブランコを漕がせることに成功したのです。

その様子をじっと見ていると、H君の飽くなき挑戦を続ける姿が、健気に見えてきてしまうから不思議です。これこそが、「AIの擬人化」という罠であり、AIに対する誤解の大きな元凶になっていると思います。この点はのちほど議論させていただければと思います。

さて、H君のブランコに話を戻しましょう。ブランコの振れ幅を最大にすることに成功したH君ですが、中には、疑り深い人がいます。つまり、ロボットはブランコ用のアルゴリズムを搭載したソフトウェアで動いているのではないか、と言うのです。そこで、今度は鉄棒にぶら下がるロボットに、H君をつなぐことにしました。ここでも、H君がめざす目標は「揺れ幅を大きくすること」です。最初は、やはりやみくもに動いていましたが、1〜2分もするとコツをつかみ始め、最終的にはあと一歩で大車輪ができるところまで振れ幅を最大にすることができました。

このH君に搭載されているのは、自ら100万を超える仮説を立てて、アウトカムに関係する要因を抽出し、その中からどういう条件ならアウトカムが最大になるかを試行錯誤しながら絞り込み、賢くなっていくアルゴリズムです。我々が「跳躍学習」と呼ぶ、日立のAIの特許技術が用いられています。

2)分野を問わず、さまざまな現場で役立つH

すでにH君の活用が始まっています。例えば、物流分野では、倉庫における製品の検品・梱包、ピッキング、出荷という一連の作業において、既存システム(WMS=Warehouse Management System)にH君をつなぐことで、その効率化に役立っています。この際のアウトカムは、「1日の総作業時間を最短にする」というもので、日々、作業の優先順序をH君が提案することにより、生産性を8%向上させました。

また、流通分野では、事前に店舗や業界の知識を与えることなく、過去10日間のお客さまの流れや陳列商品などの計測データから、顧客単価を上げる提案をH君にしてもらいました。H君の出した答えは、「店員をある場所に立たせる」というナゾの提案です。このとき、人間が提案したのはPOPの設置や棚配置の変更でしたが、実際にやってみると、H君の提案は顧客単価を15%向上させたのに対し、人間の提案は売り上げに影響を与えませんでした。H君が店員に立つように提案したのは入口から伸びる通路の奥で、店に入ってくるお客さまから見える位置になります。なぜ、その場所に店員が立っていると売り上げが上がるのかはわかりませんが、このようにH君は売り上げに影響を与えるかもしれない膨大な要因の組み合わせの中から、最適なものを見つけ出すことに貢献しているのです。

さらに、鉄道に関しては、電力効率の高い運転パターンを見出して、年間約14%の省エネが可能であることを明らかにしました。また、証券会社の株券等貸借取引における貸出レートの自動生成や、銀行のカードローンや住宅ローンの与信にH君を活用する取り組みも始まっています。

本日、お越しいただいたアスクルの岩田さんのところでも、配送とマーケティングにH君をご活用いただいています。H君の最大の特徴は、問題ごとにカスタマイズしたり、チューニングしたりすることなく、分野や問題を問わず、同一プログラムのまま活用できる点にあります。そのような高い汎用性を備えることから、すでにH君は14分野57案件で活躍しているのです。

3)幸せを計測し、組織の生産性を高める

H君の事例で見てきたように、AIの活用において本質的な問題は「目的を与える」ことにある、と私は考えます。では、人間にとって一番重要な目的とはなにか、それは「幸せになる」ことでしょう。では、幸せを生み出すにはどうすればいいのか、AIで幸せをいかに実現するのか、というのが現在の私の最大のテーマとなっています。

私は、2006年3月から10年以上にわたり、24時間365日、自らを実験台にして、左腕に腕時計型の加速度センサをつけて生活し、身体の動きの記録を取り続けてきました。その記録を見てみると、海外出張で歩き回っていたり、家を新築して1日中、段ボール箱と格闘していたりしたことが手に取るようにわかります。同様に、実験に協力いただいた方々の動きを記録したところ、毎朝5時にきっかり起床している人もいれば、日々、柔軟に活動している人もいたりと、人によって生活パターンがかなり違うことがわかってきました。こうした大量のデータを取り続けてきた結果、我々は身体の動きと「幸せ」(ハピネス)に相関があることを導き出したのです。

時間の関係上詳細はお話ししませんが、例えば、無意識の身体の微妙なパターンの中に、その人が幸せかどうかのシグナルを読み取ることができます。しかも、幸せな人ほど生産性が高く、働く現場でさまざまに活躍していることもわかってきました。これをH君につなげることで、どういう時間の使い方やコミュニケーションをすればハピネスが増すのかを明らかにし、生産性に寄与するシステムを開発しました。例えば、あるコールセンターでは、スーパーバイザーの方に、今日はこの人に優先的に声がけしてくださいとH君が提案します。そのような提案を日々続けることで、従業員全体のハピネスを向上させ、年間の受注率を27%も向上させることに貢献したのです。

このように、すでに日立のAIはビジネスの最適化に役立っています。現状の機械学習によるAIがレベル1の「専用AI」であるとするなら、日立のH君はレベル2の「汎用AI」と言えます。ここでいう汎用AIとは、「強いAI」を意味する「AGI」(Artificial General Intelligence)とは別の概念です。今後はさらに、AIは最適な判断をするだけでなく、よりクリエイティブなことができる存在となり、やがては新しい事業や業務、顧客の創出にまで適用できるようになると考えています。

こうした成果を踏まえて、日立はさらに未来を見据えています。京都大学に「日立京大ラボ」を設立し、クリエイティブなAIを創出するために、生命の営みに学ぶという挑戦的な取り組みを始めているところです。AIへの期待がますます高まる中、日立は「人間の力を増幅するAI」の開発をさらに進めていきたいと考えています。

テクノロジーの進化を、人々の幸せのために:岩田彰一郎氏プレゼンテーション

1)人々の幸せを追求する企業として

岩田
私は経営者の立場から、人工知能といかに向き合うべきか、お話ししたいと思います。

アスクルは1993年の創業以来、「Happy Office Network」をコンセプトに掲げ、オフィス商品の販売から事業をスタートさせました。4年前には個人向けのeコマース「LOHACO」を始めましたが、これは「LOts of HAppy COmmunities」の頭文字をとったもので、家庭や地域、地球の新しい幸せの形を提供しようと生まれたサービスです。具体的には、「欲しいと思ったときに、欲しいと思うモノがそこに届く」というサービスで、ビッグデータとAIにより、幸せの形を変え、ECの次の未来を切り拓いていきたいと考えています。

画像: 岩田彰一郎氏

岩田彰一郎氏

このように、テクノロジーの進化により、人々の幸せに寄与したいというのが我々の願いであり、この会場にいらっしゃる皆さんも同じではないでしょうか。とくに経営者というのはミーハーで、好奇心旺盛で、新しい技術にはすぐに飛びつく人種です。当然、AIもその一つですが、はたしてAIは人類に何をもたらし、どのように進化していくのでしょうか。そして、AIを幸せに結びつけるにはどうすればいいか、というのが最大のテーマと言えます。本日はその点について、ぜひ、議論させていただければと思います。

2)自由でオープン、ともに創るECをめざして

さて、現在は、情報による産業革命のまっ只中と言われています。農業時代は「土地」が、工業時代は「鉄」が生産の基となってきましたが、現在の情報化時代の生産の基は「データ」です。今後、ビッグデータと人工知能が社会を変えていくことは間違いありません。

では、その生産の基であるビッグデータは誰のものなのか。それはお客さま個人のものであり、ゆえに社会に還元されるべきものだと我々は考えます。アスクルが個人向けのeコマース「LOHACO」を始めたのもそうした思いからです。LOHACOは、日用品を、好きな日時にどこへでもお届けするというサービスですが、その基盤を構築するのが当社内にあるECマーケティングラボです。このラボは、いわば図書館のような存在でもあり、現在、LOHACOに参加されている102社のメーカーさんが、自由にビッグデータを活用できる場として機能しています。また、研究所の330名の研究員とともに新しいネット・マーケティングを考える勉強会も開催しています。

なぜこのような取り組みをするかと言うと、私たちがめざすECの精神とは、「自由」、「オープン」、「共創」により生み出されると考えるからです。今後はさらにAIの活用を進めていく予定で、GoogleやFacebook、Yahoo! JAPAN、日立など、AIの先端企業とパートナーシップを結ぶとともに、矢野さんにはエグゼクティブフェローとしてH君とともにラボに参加していただいています。いよいよこれから、皆さんとともにAIを使ったマーケティングを本格化させるところです。

では、AIによるリアルな価値とはどのようなものなのでしょうか。当社は現在、LOHACOで注文した商品のお届けを、1時間単位で指定できるほか、前日に30分単位で到着予定時間をお知らせし、さらに到着10分前にメールでご連絡をするという、「Happy On Time」というサービスを、都心部5区と大阪3区で開始しています。その背景には、荷物を待つだけで休日を半日潰してしまったり、受け取るまではお風呂にも入れなかったりという、お客さまの悩みを解消したいという思いがあります。これにより、これまで一般的な宅配便の不在率23.5%に対して、10分の1以下の2%にまで減らすことができました。このサービスを陰で支えるのが、日立のH君です。配送計画、配車計画をH君が立てることで、到着時間の正確さと生産性の向上に役立っています。今後はさらに、AIの活用により、ドライバー不足やCO2削減などの環境問題の解決にも寄与できるのではないかと考えています。

3)「三面鏡経営」のエンジンを担うAI

最後に、経営者の思想の変化についてお話ししましょう。2012年、経済同友会のメンバーである経営者約70名が一堂に会し、これまでの経営への反省を踏まえて、社会的責任経営員会において次のような提言を発表しました。それは、「〈三面鏡経営〉を徹底した、〈社会益共創企業〉への進化を」というものです。三面鏡経営とは、お客さまをベースに、「資本市場(株主)」だけでなく、「従業員(雇用)」、「社会」という三つの価値(鏡)に自らの行動をつねに照らし、中長期の視点から社会責任を全うする取り組みのこと。そして、社会益共創企業として、ステークホルダーとともに働くことで、イノベーションを起こし、新しい価値を創造して、社会課題を解決していく。それがひいては市場の成長エンジンになる、という考えです。このように、企業はつねに起業家精神を持ち、新しい時代を切り拓いていかなければならないと、経営者同士で確認し合いました。

今後、そのイノベーションのエンジンを、まさにAIが担うことになるでしょう。AIを中心としたテクノロジーと経営を掛け合わせることで、ハピネスが生み出されるように、今後もいっそうの努力をしていきたいと考えています。

人工知能とサル化する人間社会:山極壽一氏プレゼンテーション

1)コミュニケーションが脳容量を大きくした

山極
今日は、京大総長ではなく、ゴリラの研究者としてお話しします。私は長年、人間の由来を知りたいという思いから、ゴリラの研究に取り組んできましたが、今まさに、人間とは何か、社会とは何かということを改めて考えなければならない時代にきていると感じています。AIをはじめとする急激な技術の進歩の中で人類が生きていくには、生物としての人間の由来に遡って、我々自身を問い直さなければ、本当に豊かな社会は築くことはできないのではないでしょうか。そのためにはまず、産業革命以前まで尺度を広げて、人類史を見直す必要があると思います。そうしたことから本日は、人類の起源についてお話ししたいと思います。

人間に一番近い生物は、チンパンジーで、人間がチンパンジーの共通祖先と分かれてから700万年が経ちました。人間とチンパンジーを分けた大きな違いとして、最初に人間に現れた特徴は直立二足歩行です。その後、200万年前から脳容量が大きくなり始めます。そこからさまざまな人間らしい性質が現れるようになり、人間的な文化や文明が出現し始めます。その中で、一番私が重要だと思うのは、人間の社会性の基盤となる家族の形成です。それはまさに、人間の脳が少し大きくなり始めた頃と重なるのです。

現在、私たちの脳容量は1,400〜1,600ccほどですが、現在の脳容量が完成されたのは、実は60万前とかなり古い時代になります。人間が言葉を話し始めたのはわずか7万年前ですから、脳容量の完成のほうがはるかに以前になります。つまり、人間が言葉を話すようになったから脳が大きくなったわけではないということ。あるいは、心というのは、言葉を使う以前にほぼ完成されていた、と言うこともできます。

2)言語を扱う以前の最適な集団サイズ

では、何が人間の脳を大きくしたのか。人間以外の霊長類の平均的な集団のサイズと、脳容量に匹敵する新皮質が脳に占める割合、すなわち新皮質比を比較してみると、集団が大きくなるにつれ、脳が大きくなってきたことがわかります。つまり、付き合う仲間の数が増えるに従って、我々は脳をより使うようになり、脳容量を増やしてきたということです。人間の脳は、「社会脳」なのです。

この知見をもとに、古い化石の人類の頭骨から脳の大きさを復元し、かつて人間がどれくらいの集団サイズで暮らしていたかを逆算してみました。その結果、脳が大きくなり始めた350〜200万年前は10人程度だった集団サイズが、現代に近づくにつれ、50人、70 人、100人と増えていったと推定されます。そして、現代の人間の脳サイズに適した集団のサイズは、160人程度であることを導き出したのです。これは非常に面白い結果です。150人程度というのは、食糧生産をしない現代の狩猟採集民族の平均的な集団サイズなんですね。つまり、我々が言葉を使い始める前は、ちょうど150人程度の集団サイズの社会で暮らしていたということです。

画像: 山極壽一氏

山極壽一氏

一方、現代でも、我々はさまざまな集団サイズの社会で暮らしています。スポーツのチームはだいたい10〜15人程度ですね。集団があたかも一つの生き物のように動くためには、言葉ではなく、合図やかけ声で意思疎通できる集団サイズが適しています。また、30〜50人というのは学校の1クラスとか、会社でいえば一つの部に匹敵すると思いますが、皆、顔も性格も熟知した集団のサイズと言えます。これくらいの集団が、一致して動ける最適な規模ということでしょう。

では、100〜150人というのは、どういう集団サイズなのか。これは互いに顔を見知っていて、何かを一緒にやった経験によって形成された集団サイズです。例えば、年賀状を書く際に、自動的に顔を思い浮かべることができるのが、だいたい150人程度ではないでしょうか。あるいは、何か困ったことがあれば、疑いもせずに相談できる信頼できる仲間がいる集団。つまり、社会資本です。これが、言葉以前のコミュニケーションによって達成された、最適な集団サイズと考えられます。

3)身体、アート、シンボル、言語へと進化したコミュニケーション

次に、コミュニケーションとは何かについて、考えてみたいと思います。ゴリラは顔と顔を非常に近づけて、挨拶や遊び、交尾の誘いをします。いわゆる対面コミュニケーションをするわけですが、実は人間も対面交渉を頻繁にやっています。ゴリラほどに顔を近づけることはありませんが、1〜2mくらい離れて対面します。単にコミュニケーションするだけなら後ろ向きでもいいわけですが、なぜ対面する必要があるのでしょうか。その理由はおそらく目にあります。

サルと類人猿、そしてヒトの目を見比べると、人間の目にだけ白目があることに気づきます。実はこの白目の動きを見ながら、相手の気持ちを察知するというのは、人間に生まれつき備わった能力なのです。誰も、相手の目を見て気持ちを読み取る術を習ったことはありませんよね。言葉は習う必要がありますが、目を見て相手の気持ちを察知するのは、人間が対面交渉の中で築き、進化の中で獲得した能力だと考えられます。

言語を獲得する以前、人間は集団サイズを大きくする中で、さまざまなコミュニケーションを試し、その中で対面交渉による人間独自のコミュニケーションの仕方を築き上げたのだと思います。それが、人々が協力しあう強力な武器になったからこそ、人間はおそらく脳を大きくして能力を高めることができたのだと考えられます。

集団の基本単位である家族も、対面コミュニケーションで成り立っています。先ほど述べた10〜15人程度の集団ですね。その外側に、祭や音楽、踊りなど、身体的に同調して一つの文化を共有する集団があり、さらにその外側に言語を要する集団が形成されたと言えます。

こうした集団サイズに合わせて、人間は「着脱可能」なアート的なコミュニケーション手段をさまざまに身につけてきたと考えられます。動物は基本的に、自分の身体を使ってコミュニケーションすることしかできません。例えば、ゴリラが胸を叩くドラミングと、人間が演じる歌舞伎の見栄は似ていますが、人間は衣装や化粧、姿勢など、着脱可能な表現をするのに対して、ゴリラは身体を使うことでしか表現できません。

実は、二足で立って歩くこと自体が、歌舞伎の見栄の姿勢のように人間のアート的な表現に大いに役立っているのではないかと、私は思っています。例えば、二足歩行ロボットとファッションモデルがランウェイを歩く姿を見比べてみると、人間からは自己主張を感じますが、ロボットからはなかなか自己主張を感じることはありませんね。二足歩行により、人間は他者と同調できるような身体的表現ができるようなった、というわけです。

さらにその後、立って踊るようになり、他者と身体を同化させることが可能になった。身体の同調から始まり、やがて脳を他者と同調させるようになって、人間はより複雑なコミュニケーションを獲得していったのだと思います。

現代人は20万年前にアフリカで誕生し、世界へ広がっていきましたが、アフリカの洞窟で人類初の芸術の萌芽とされる赤色顔料オーカー(酸化鉄を主成分とする石)が見つかり、やがてそのオーカー上に描かれた模様がシンボル化していきました。そして、4万年前には笛が出現し、壁画が描かれるようになっていく。このように、人間は、身体からアート、シンボル、言語へと、集団に合わせてコミュニケーションを変化させていったと考えられます。

4)AIに“アート”なコミュニケーションは可能か

さて、そのアートをAIは表現できるのかということを、今日は考えたいと思います。アートの原点はコミュニケーションであり、高い共感力が不可欠です。芸術とは、テンポラリー(同時代)な他者と、さらには時代を超えた他者とコミュニケーションをとるために出現したもの、と言うこともできます。そこには、憑依する能力や、まだ世界が見ていないものを見つけ出す能力、何もないものから見えるものを導き出す能力など、「ヘンテコ」な能力が不可欠です。

アートとはいったい何なのか。去年1年間、京都大学では「京大おもろトーク:アートな京大を目指して」と題したシリーズで議論を深めてきました。例えば、狂言師の茂山千三郎さんや現代美術家の森村泰昌さん、蔡國強さんなど、アーティストを始めとするさまざまな方に来ていただきました。その方たちとの議論の中で感じたのは、アートとは「常識の間の隙間を飛び超えるもの」だということ。ないものを発見し、常識を裏返すことがアートの大きな力であり、人間が持つ能力だということです。

実は、「あきらめない」というのも、人間が持つ非常に大きな能力の一つでしょう。これに対して、つねにデータをベースにして答えを出すAIには、とんでもない発想は生まれ得ないかもしれません。つまり、私がAIの進展で危惧しているのは、ビッグデータを解析してルールを見つけ、それに則って生活するようになってしまうと、ルールに乗らないようなまったく新しいことを考える能力自体が失われてしまうのではないか、という点です。

今や世界人口は急速に伸びていて、いわゆるSociety5.0と呼ばれる情報社会に突入しています。しかし、我々の身体が持っている人間性を超えて科学技術が進展していくことは、身体に大きな負荷がかかることでもあります。そして、ルールさえ守っていれば、共感を用いて他者のことを考える必要がなくなるのだとしたら、それは人間からサルの社会、すなわち優劣社会へと逆戻りすることを意味しています。あまりに急激に変化する時代の中で、効率だけが重視され、信頼できる他者を見つける暇(いとま)がなくなり、ルールを守ることでしか生活が成り立たなくなる。まさに利益共同体になり、閉鎖的な社会へ移行していくのではないかと懸念しています。

IT社会には利点も欠点もあります。それを賢く使っていかなければなりません。光明があるとすれば、ネットワーク社会には中心がない点だと私は考えます。参加したり、離脱したりすることがいとも簡単な社会とも言えるので、それをうまく使っていけば、社会をよりより方向に変えていけるのではないか。もっとも、それはリーダーの不在を意味し、まとめるベクトルがない、という問題もはらんでいます。

そうした中で私は、次世代のコミュニティにおいても、我々が進化してきた規模の集団に合ったコミュニケーションを適用する必要があるだろうと考えています。つまり、古い技術を捨て去って新しい技術だけを導入するのではなく、古くから我々が培ってきた身体や五感を使った技術と共存させながら社会をつくっていかなければなりません。そのカギを握るのが、まさに今日のテーマである「ハピネス」です。安心と幸福は技術だけで支えられるものではありません。そこには、アートや宗教など、人間の手では捉えきれないもの、技術には還元されないものが潜んでいます。それらを賢く使っていくことが、ハピネスの担保につながるのではないでしょうか。そうした視点から、AIはサイエンスとアートをつなげることができるのか、この後、皆さんと議論していきたいと思います。

第二部 〈鼎談〉人類と社会に、人工知能は何をもたらすか

恋愛を理解するAI、AIを擬人化する人間

岩田
この顔ぶれで、はたして議論が噛み合うのだろうかと心配していましたが、非常に面白そうですね。今日は、会場の皆さんに代わって、私がミーハーな質問をする役目を担いたいと思います。

山極
お二人が夢のあるAIの未来を語ったのに対して、私はネガティブなことを強調しすぎてしまったかもしれません。ただ、私が疑問に思うのは、AIの実現には膨大なデータが不可欠ですが、実は人間というのはデータがなくてもきちんと対処できますよね。そこをどう乗り越えるのか、というのがAIの大きな課題なのではないかと感じました。

矢野
まさにそこは我々にとって非常に重要な課題です。人間は、たった一回しか経験していなくても学習ができる。もちろん間違った学習もありますが、一度きりの経験でも、次に正解の確率を高めていくための何らかの方針を持っている。しかし、現在のAIは大量のデータから統計的に答えを導き出しているわけで、人間とはまったく違うやり方で動いています。

画像: 恋愛を理解するAI、AIを擬人化する人間

岩田
さっそくミーハーな観点から質問をさせていただきたいのですが、今、お二方がおっしゃったことは、AIが人間の脳を超えるとされる「シンギュラリティ」にかかわる問題ですね。果たしてAIは創造性を身につけて、人間の脳を超えていくのでしょうか。そしてどのような未来をもたらすのでしょう。山極先生はどうお考えですか?

山極
AIと人間は違うという意味で、やはり限界はあるように思います。例えば、アスクルで取り組まれているように、従来、モノや人の移動にかかっていた時間やコストを低減し、便利にするということにAIは貢献できると思います。一方で、恋愛というのは、いくら技術が進歩してもあまり変わらないですよね。人間はくだらない恋愛にものすごく時間をかけたりしてしまうわけでしょう(会場:笑い)。でもそれがないと人間はハッピーにはなれません。だから、いわゆる効率化や科学技術では支えられない側面がないと、人間は幸せにはなれない気がします。だからこそ、AIを賢く使っていく必要があるのではないでしょうか。もっとも、AIもいずれ恋愛ができるようになるのかもしれませんが……。

矢野
私は、AIは少なくとも恋愛を理解できると思います。なぜなら、我々が恋愛によってハッピーになれるとすれば、AIによるハピネスの計測が可能だからです。恋愛が人間のハピネスの要因の一つであるなら、それを定量的かつシステマティックに理解することはできるだろうと。もちろん、人工知能の理解というのは、人間と同じではありません。ただ、人間は個人の経験から偏見を持ってしまうことがある一方で、AIはより客観的に恋愛を捉えることができるのではないかと思います。

恋愛の話ではありませんが、我々の実績に、コールセンターの生産性向上の事例があります。生産性に寄与する要因を人工知能で解析した結果、実は就業時間の2%にも満たない休み時間内に皆が雑談し、話が弾んだ日は生産性が高まるということがわかったのです。こういう答えは、逆に人間にはなかなか出せません。人間はロジカルに考えようとして、休み時間と業務時間を区別しがちだからです。AIが客観的なデータから人間を超える理解を導き出すことができれば、我々の大きな助けになると思います。

山極
因果関係を見つけるために、ビッグデータやAIを活用するというのは正しい方向性でしょうね。目に見えない法則を見つけて、その効率化や流通の自動化を図ることができれば、ますますコストを下げることができます。そうした面では、人間社会はどんどん豊かになると思います。

一方で、曖昧にしておいたほういいことも、やはりあるわけです。「なぜ、私はこの人を好きになったのか」などという因果関係は、わざわざ知る必要はありませんよね(会場:笑い)。偶然性や人知を超えた神仏のような存在が他人同士を結びつけると、人間は考えることもあるわけですから。私が危惧しているのは、便利な世の中になればなるほど、結局、人は孤独になっていくのではないか、ということです。辛抱強く、曖昧なまま可能性を持って生きていくことのほうが、幸せにつながるかもしれない。

先ほど言ったように、人間というのは「あきらめない」動物です。バカみたいなことを考えて、他人からやめておけと言われても、それをやり続けてしまうのが人間であって、その人間性をカバーするような技術でなければ、真の幸せや豊かさを失わせていくような気がするのです。

岩田
逆に、AIが恋愛のように、効率化とは違う部分を埋める存在になる可能性はあるかもしれませんよね。ソニーの犬型ロボットAIBOのように、人間はロボットやAIに愛着を抱くことがあります。しかも、ロボットが 痒いところに手が届くようなことを言ってくれたりすると、それこそ人間はイチコロで恋に落ちてしまうかもしれません。高齢化社会においては、ロボットこそが最高の理解者だと感じる人も出てくるでしょう。果たして、それは人間にとって幸せなのか恐ろしいことなのかわかりませんが、AIが何かをしてくれそうな予感はあります。

矢野
いい面もあると思うのですが、それはやはり怖いですよね。なぜなら、その背後には、何らかの意図や目的をもってAIやロボットを設計している人がいるわけですから。その設計者には責任があるし、それを生活に持ち込む人にも責任がある。人間側に責任があることを念頭に置く必要があると思います。

一方で、AIの倫理について問題視されることがありますが、それはなにもAIに限った話ではなく、倫理というのはテクノロジーすべてに関する話です。もっとも、AIの特殊な側面はまさに擬人化にあります。背後には人がいて、「AIは種のある手品である」ということを皆がわかったうえで使っていく必要があるでしょう。手品を楽しんでいるうちはいいのですが、それを本物だと勘違いしてしまうのは問題です。そこはやはりリテラシーを養う教育が必要ですね。

多様化に向かうAIが未来を切り拓く

山極
産業革命以前は、世界のさまざまな現象を操っているのは神様だと、多くの人が思っていました。つまり、かつては人知では超えられないものが存在していたんですね。しかし、先ほど矢野さんがおっしゃったように、AIを操るのが人間であるなら、AIが人間を超える知性を持ちつつあるとしても、それはやはり人知で超えられる存在にほかならないと思うのです。

21世紀以降、我々は地球という生態系の限界を目の当たりにし、それが人間の操作によって変えられることを知りました。それまで地球上で起こるさまざまなことは未知な存在が動かしていると思っていたけれど、今は幸か不幸か、そのほとんどが人間のやり方次第で大きく変えられます。一方で、人間の力には限界がある。だから我々は今、閉塞感の中に生きているのだと思います。その閉塞感をAIが打ち破ってくれるのかどうか、新しい可能性をつくり出してくれるのか、私はそれが知りたいんですね。

矢野
そのカギを握るのは多様性だと私は考えています。我々は最適化に役立つAIから、さらに進化させてクリエイティブなAIを開発しようと、日立京大ラボの中で生物に倣う人工知能の開発を進めています。それはまさに、生物の多様性に次のAIのヒントがあると考えているからです。コンピュータというのは、同じソフトウェアを入れたら同じように、一律にしか動きませんが、AIは同じソフトウェアでも、データや制約が変われば、まったく違う答えを導き出してくれます。そこに面白さがあるし、閉塞感を打ち破ってくれる可能性があると思うのです。

実は先日、ある企業の取締役会で講演をしたところ、「矢野さんの技術は素晴らしいけれど、皆がこの技術を使ったら、結局、同じ答えが出て、うちは儲からないんじゃないの?」と言われたんですね。それは誤解です。条件やデータが違えば、AIは違う答えを導き出してくれるのです。いうなれば、地球上で生物が進化し、多様化していった歴史を、AIもたどるのではないかと。そしてこれからAIの多様化が爆発的に起こっていくだろうと、私は確信しています。

山極
AIが切り拓いていく未来があるとすれば、人間には見えないものを別の視点からさまざまに探り出してくれる点にある、ということだろうと思います。人間は進化の過程の中で、熱帯雨林からサバンナ、そして極地まで、生存圏をどんどん広げていきましたが、まだ深海や宇宙が残されていますね。そうしたところにまで生存圏を広げていく際に、人間が暮らせる条件をAIが探り出してくれるかもしれない。そこには私は大いに期待しているのです。

岩田
AIが、地球環境問題の解決に寄与してくれることにも期待したい。それこそ、人間が思いもよらないような発想でCO2の削減に貢献してくれたらいいですね。

画像: 多様化に向かうAIが未来を切り拓く

ダークサイドを超えて進化する人間

岩田
一方で、経営者というのは欲深い生き物で、他社よりも賢いAIを使って儲かるようにしたい、という気持ちが少なからずあります。絶えず競争を勝ち抜いていきたいという欲望があるわけですが、そうした人間のダークサイドにAIが悪用される可能性についてはいかがお考えでしょうか?

矢野
AIに限らず、人間のダークサイドには、どんな技術も用いられる可能性があります。火もハサミも自動車も非常に便利ですが、人を殺すこともできますよね。だから、使い方次第ではないかと。その点、ぜひ、山極先生にお伺いしたいのですが、人類史を俯瞰して見たとき、人類はこれまでいかにしてダークサイドを克服してきたのでしょうか。

山極
今や地球の全人口が70億人に達しようとしているのは、ある意味、人間がダークサイドを克服してきた結果でしょう。一方で、暴力も戦争も止むことはありません。暴力というのは、人間が高めた共感意識の暴発だと私は考えています。その源泉は、人間が「恨み」という感情を持ったことにあります。一方で、動物は恨みを持つことはほとんどありません。その場限りで済ませて、過去のことを根に持つということはあまりないのです。しかし、人間は自らが被った被害でなくても、祖先がされたことにまで恨みを持つ。だからこそ、「民族の恨み」が争いの種になってしまうのです。これはまさに、人間のダークサイドであり、いまだ途絶えることはありません。ただ、人間はそのダークサイドを克服する方向に変わってきたとは思うのです。だからこそ生き延びることができたし、現代の人工的な環境にも適応できるようになったのだと思います。

蜘蛛は蜘蛛の巣がないと生きていけませんね。巣にいろんな虫がかかるから、それを食べて生きていくことができる。人間も原理としては同じです。人間は人工的に自分たちが住む環境をつくって、それをフィルターにして自然界と接しながら暮らしてきました。その環境が複雑になっても、それなしでは生きられないために、人間自身も適応できるように急速に変わりつつあるのです。そう考えると、人間はAIにも適応するように変わっていくのだろうと思います。

矢野
こうした議論は、冒頭で述べたシンギュラリティにも通じますね。シンギュラリティというのは、レイ・カーツワイルが、『The Singularity Is Near』という本の中で語ったものですが、その本の副題は『When Humans Transcend Biology』、すなわち「人間が生物学的なヒトを超えるとき」というものなのです。これまでも人間は、言葉や道具を使って生物学的なヒトを超えてきたわけですが、より知能的な活動においても、人間が自らを超えるかどうかをカーツワイルは語っています。つまり、世間で言われているような、AIが人間を超えるという議論とは違うんですね。

私自身は、技術が社会にどのようなインパクトをもたらすかというのは、やはりその使い方次第だと考えています。生まれたときからスマートフォン(スマホ)を使いこなしているようなスマホネイティブと、僕らとでは全然使い方のレベルが違いますよね。AIネイティブな人たちが社会の中核になるのがちょうど2045年頃で、その頃には、我々が想像もつかないような使い方がなされて、クリエイティビティを発揮しているかもしれない。それはいい意味でのシンギュラリティと言えます。もちろん、いかなる技術もダークサイドをはらむ以上は、社会的にコントロールする仕組みは不可欠だと思います。

AIの有用な使い道とは

山極
先ほどのプレゼンで、人間は7万年前に言葉を持ったと言いましたが、言葉を獲得したことで、さまざまなモノに名前を付けはじめ、そのモノを覚える必要がなくなりました。つまり、それまで身体化していた記憶を、頭の中でイメージにまとめて、言葉にしてポータブルにすることで、人間は非常に効率よくさまざまな事柄を覚えることができるようになったのです。その際、先ほども言ったように、脳は大きくなっていない。つまり、脳の使い方を変えることで効率化を可能にしてきたわけです。その役割を、今度はAIが担うということですよね。そうなると、人間はもっとアホになってしまうんじゃないのかと、心配になるのです。

矢野
でも、すでに活用は始まっていますよね。

山極
そう。歩かなければ足腰が弱るように、頭も使わなければ萎んでいきます。もっとも、現代社会では頭を使うことばかりで、ストレスを感じる場面も多く、なかには引きこもりになったり、精神を病んだりする人も増えています。そう考えると、AIの出現で、本当に有用なことにだけ頭を使えるようになれば、人間の幸福感は高まるかもしれない。ただ、人間は結構、ひねくれているので、うまくやれるかどうか。

矢野
ここ十数年で、ポジティブサイコロジーなど、幸福を科学的に解き明かす研究が進んでいますね。なぜ、人が宗教を信じるのか、といったことも科学的に解明されつつあります。そういう知見を活用して、科学が幸せに寄与できるのはいいことだと私は思っています。

一方で、人間というのは、決められたルールやガイドラインに、皆が同じように従うのでは面白くない。だからこそ、多様性を担保したAIが必要だと思うのです。

岩田
確かに、コンビニがあちこちにできて便利にはなったけれど、それで幸せになったかというと考えさせられる側面はありますね。同様に、AIで与えられたハピネスで満足する人間というのは、何か不気味な気がします。そうなったときに、人間は求めるものや価値観を変えていくのかもしれません。

山極
もっと人間のポジティブな部分を支える仕組みが必要でしょう。今はある意味、フラット化しているのだと思います。個性的な商品や方法がたくさんあるのに、自分をアクティブに、ポジティブに表現することには役立っていないように思う。それはいわば、コミュニケーション能力の減退を意味しています。コミュニケーションの方法が多様化しているがゆえに、何をやっても目立たないし、孤独になってしまう。だからこそ、コミュニティの規模に合わせて、自分がその中でどのような役割を期待され、どのように活躍していくのかを自ら確認していく必要があるのです。

矢野
確かに、ここ15年くらいで出てきたITの革新的なサービスというのは、先ほど山極さんがプレゼンされた150人規模の集団に対する仕組みであって、もっと少数の10人とか30人程度の集団に訴求するような技術が必要なのかもしれませんね。AIなりITなりで、言葉を介さなくても一致団結して動ける10人前後の集団のコミュニケーションの質を高めることができれば、もっと人類のハピネスに貢献できるように思います。

山極
人間にとって、対面コミュニケーションというのは、実は経験値が必要で難しいのです。そういうところにAIやロボットが入ってくると、人との付き合いをもっとスムーズにできるかもしれませんね。対面コミュニケーションで重要なのは、環境設定にあります。職場でも、机を向かい合せるのがいいのかとか、オープンにして共有スペースをつくった方がいいのかとか、仕事の内容によってもさまざまに環境を変える取り組みがされていますよね。同様に、人間同士の対面コミュニケーションがうまくいくように、AIやロボットが環境設定に寄与できるということはあるのかもしれませんね。

矢野
環境は大事ですね。先ほどのコールセンターの事例でも、休み時間の環境設定で、雑談の弾み具合や生産性がまったく変わってくるのです。以前、ある実験結果として、カフェテリアの席は4人掛けよりも、8人掛けにしたほうが会社のコミュニケーションが増え、クリエイティビティが上がると聞いたことがあります。4人掛けは仲間うちで座ってしまうのに対して、8人掛けだと新しい人との出会いが高まるという。そうしたちょっとした気づきにも、AIが貢献できるでしょうし、我々もそうした知見を得ることで、学習したり成長したりできるのではないかと思います。

岩田
AIが、人間らしさを疎外するのではなく、より自由に人間らしい存在であることに寄与できるといいですね。

画像: AIの有用な使い道とは

AIは人の幸福に貢献できるのか

山極
今後、モノと人の関係という点においては、AIでより効率化されていくのでしょう。ただ、人と人との関係はそう簡単にはいきません。人間というのは、評価されるのは嫌なんですね。一方で、評価されたがってもいる。人間は自分で自分を定義できない存在なので、他者から定義されないと自分がわからない。だから他者の評価は必要だけれども、自己評価と他者の評価は違うため、そこには常に葛藤が存在するのです。

また、人間の幸福というのは、多くの人から期待され、自分のやったことが人々の喜びにつながるということにあると思うんですね。それをAIに指示された場合、幸福につながるのかどうか。幸福というのは、思いがけないというのが重要で、計算され尽くした成果では、大きな喜びは得られません。

それは人とモノの間であれば、成り立つことでしょう。自分が気づかなかった因果関係をAIが見つけて、うまく生活改善に役立ててくれば嬉しい。つまり、これからは衣食住に関しては、AIの能力に依存する部分が増えていく。ただ、人と人との社会関係づくりに関しては、まだよくわからないですね。

矢野
データをより能動的に使うためには、やはりある種のリテラシーが必要だと思います。今、日立では、営業部員600人に加速度センサをつけてもらい、それをもとに分析して、毎日、よりハッピーになるためのアドバイスを各人のスマホに届ける実証実験をしています。例えば、「上司に会いに行くのは午後一番がいいですよ」とアドバイスする。過去のデータから、午前より午後のほうが幸せになる確率が高いということを割り出して、メッセージを送るわけです。ただ、それに従うかどうかはその人次第です。新しいことにチャレンジしてもいいし、過去の実績を踏襲して動くのもいい。そのバランスを取るのは人間です。AIをより効果的に使っていくためには、AIに指示されたことをそのまま鵜呑みにして行うのではなく、より能動的に捉えて、使っていける人を育てることも併せてやっていく必要があるのだと思います。

山極
私は新興住宅街で育ったのですが、新興住宅街というのは、どこか人間には住みづらいところなんですね。なぜなら、新興住宅地には人間の住処に必要な三条件が揃っていないからです。その条件とは、神社がある、つまり人知を超える存在があること。そして、神木と言われるような何百年も人々が護ってきた木があること。最後に、場末です。常識を超えた行動が許されるような、お酒を飲んで騒いだり、無礼講が許されたりするような場所が、人間には必要だということです。

科学技術は効率を求めて進歩してきたわけですが、やはり人間は人知を超えるものに憧れる存在なんですね。AIの背後に人間がいる限りは、やはり、人間は満足できないのではないでしょうか。人間の理解を超えたものがあることで、初めて人間は精神的な安らぎを得られるように思います。

岩田
AIの未来を語りながら、若干、暗い気持ちになってきました(会場:笑い)。やはり、ただ売れるとかウケるという理由だけで、突き進んでいってはいけないのだな、と改めて感じました。我々がつくる製品やサービスがどういう未来を生み出すのか、真剣に考えないといけない時代に来ていますね。ちょうど今日、「監視カメラで異常を追跡でき、より安全な街が実現できます」といった内容のコマーシャルを見かけてドキッとしました。安全かもしれないけれど、これが本当に幸せな社会なのだろうか、と。

山極
安全イコール安心ではないですからね。安心は、安全にプラスした何かがなければ成立しません。医学の分野でも、遺伝子の編集技術など、病気を予防したり、人間の寿命を延ばしたりする技術がどんどん出てきています。そこはやはり、なんらか規制をしていかざるを得ません。

岩田
遺伝子操作など、人間の技術は今、神の領域と言われるところまで手を伸ばしつつありますからね。それが本当に超えるべき進歩なのかどうか、やはり考えていく必要があります。

矢野
そうした問題を、こうした場でさまざまに議論していく必要がありますね。正しい/正しくない、ということはもちろんですが、本当の実態をきちんと理解して議論する場が必要でしょう。AIについても、実態からかけ離れた妄想の上で議論されていることが少なくありません。議論の場があれば、それを正すこともできます。

山極
AIが職業を奪うという話がありますが、逆に新たな職業をつくるということはないのですか?

矢野
それは大いにあると思います。奪われる職業よりも、新しい職業が生まれることのほうがはるかに多いと思うのです。実は、コンピュータの本格活用が始まった50年前にもまったく同じ議論がなされていたんですよ。でも実際には、コンピュータを使う人、つくる人、ソフトウェアをつくる人、システムを構築する人、活用する人、そういう人が大量に増えた。AIもまったく同じだと思います。

アルファ碁などもそうで、人工知能がチャンピオンに勝ったと話題になりましたが、アルファ碁というのは、たくさんの人間の叡智の結集なんですね。あのソフトウェアに関わった人間はおそらく数百人に上るのではないかと思います。かたやチャンピオンは人生を掛けて、孤独に身体と頭脳の限りを尽くして、経験と勘を頼りに試合に臨んだわけです。

そういう属人的だった能力を、これからはAIが集団につなげて、もっと大きな課題に挑んでいくことに未来がある。つまり、AIというのはモノではなくて、問題解決のためのシステマティックな方法論だということです。

山極
まさに、今は新しい文明の転換期なのだと思います。それは、脳が個人に属していた時代から、外へ開かれた時代になることを意味しています。これまでの脳は身体とともに死滅したけれど、これからは脳は死なないわけです。AIとして残るのだと思います。

岩田
そのためにも、人間が人間らしくAIをコントロールしていく必要があるのでしょうね。技術の進歩を人間自身が判断すべき時に来ているのだと思います。

山極
先のプレゼンで、人間は他者と共感することで、脳を大きくしていったと言いました。その他者とつなぐ役割を担ったのが音楽や絵画、芸術でした。それがこれからは、知性によってつながる。知的な遺産を、皆で共有できる時代になってくるというわけです。ワクワクする時代ではありますが、本当にいろいろと考えなければなりませんね。

画像: AIは人の幸福に貢献できるのか

矢野
私は楽観主義者なので、よりよい発展ができると信じています。先ほど、山極さんから蜘蛛の巣の話がありましたが、これからは、自分の周りに知識やデータという蜘蛛の巣を張り巡らせることで、さまざまなことにチャレンジできる世の中になっていくのだと思います。そのためにも、皆でよりよい蜘蛛の巣をつくっていかなければなりませんね。本日はとても刺激的な議論ができたと思います。ありがとうございました。

画像: 山極壽一氏 京都大学 総長

山極壽一氏
京都大学 総長

画像: 岩田彰一郎氏 アスクル株式会社 代表取締役社長 兼 CEO

岩田彰一郎氏
アスクル株式会社 代表取締役社長 兼 CEO

画像: 矢野和男 株式会社日立製作所 研究開発グループ 技師長 兼 人工知能ラボラトリ長

矢野和男
株式会社日立製作所 研究開発グループ 技師長 兼 人工知能ラボラトリ長

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