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"ドンコ"をはじめとする地元特産のうまい魚を、新たに釜石ブランドとして流通させようと、優れた鮮度保持技術を追い求める佐藤正一氏。地域を再生させたいという強い決意に共鳴したさまざまな人たちとのつながりの中で、ついに、画期的な冷蔵保存技術"スラリーアイス"に出会う。最終回では、釜石ブランドの確立に向けた戦略と展望、そして、衰退にあえぐ国内各地の漁業地域への思いを聞いた。佐藤氏の挑戦は、まだまだ止まらない。

「釜石ブランド マイナスからの挑戦」 第1回 >

地元特産のうまい味を、都会にも

2012年、11月。佐藤氏のもとに一本の電話がかかってきた。

「優れた鮮度保持技術が、四国の大学にある!」

電話の相手は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)復興促進センター盛岡事務所の貫洞(かんどう)義一氏。腐りやすいため地元中心にしか消費されなかった釜石特産のうまい魚"ドンコ"を、首都圏をはじめとする遠方の消費地にも流通させたいという佐藤氏の思いをかなえようと、貫洞氏は2カ月もの間、高度な鮮度保持技術を探し求めて全国の研究者を訪ねまわっていた。電話を受けた佐藤氏は、すぐさま四国へ飛んだ。

「"スラリーアイス"を改良して新しい保存技術を開発された、高知工科大学の松本泰典准教授に会いに行きました」

これまで一般的には、海水に砕いた氷を加えた海水氷が、魚介類の保存に使われてきた。その後、実用化されたのが"スラリーアイス"だ。スラリー(slurry)とは、粒子が液体に混ざった状態を意味する。スラリーアイスは、海水や塩水から作る直径0.2mm程度の氷の微粒子と水分が混ざったシャーベット状の柔らかい氷で、海水氷よりも急速に魚介類を冷やすことができる。

すでに、魚市場や大手の水産加工会社では、魚介の保存にスラリーアイスが使用されているが、新たに導入するには大規模な設備投資が必要となる。また、従来のスラリーアイスは海水から作られるために塩分濃度が3%以上と高く、魚が凍結する-2℃以下まで冷却してしまうという課題があった。魚は凍ってしまうと細胞が壊れやすく、解凍した際にうま味成分を含む液体が流出し、味が落ちてしまう。それでは、輸送に1日や2日を要する遠隔地にうまいドンコを流通させることは、到底できない。

松本先生のスラリーアイスに出会う

画像: 松本准教授が開発したスラリーアイスと、ドンコ

松本准教授が開発したスラリーアイスと、ドンコ

佐藤氏が高知で出会った新しい保存技術は、そういった従来のスラリーアイスの課題を解決するものだった。

「松本先生の開発されたスラリーアイスが優れている点は、従来のように海水や塩水だけでなく、真水からも作ることもできるうえに、塩分濃度の調整が可能なため、魚介類が凍る直前の状態まで急速に冷やせることです。これを使えば、味を落とさずに鮮度を保てます。さらに、装置がコンパクトで導入費を抑えられることも、小さな我が社にとっては大きなメリットでした。これならなんとかなるぞ、と思いましたね」

もともとは物理学を専門とし、高知工科大学で製氷の研究を始めた松本准教授は、地元企業と共同で新たなスラリーアイスの装置を開発。2011年には、産学官連携による優れた取り組みを表彰する、第6回モノづくり連携大賞(日刊工業新聞社主催)で、最も評価の高い"大賞"を受賞した。また、2014年には文部科学大臣表彰の科学技術賞を受賞するなど、世間からの注目度は年々高まっている。松本准教授が新たな装置を開発した目的も、"地元中心にしか消費されなかった特産の魚を、都会にも流通させたい"という、佐藤氏の思いと同じものだった。

待ち望んできた技術との出会いは、佐藤氏を大いに勇気づけた。幸い、JSTから資金の支援を受けられることになり、釜石ヒカリフーズでも、松本准教授が開発したスラリーアイス製造装置を導入。地魚であるドンコを商品化するために、2015年3月まで、この新たなスラリーアイスを使って鮮度維持の実験を続けている。

「塩分濃度を1%に調整すると、魚肉が凍結する直前の-0.8℃に保てることがわかっており、この温度がドンコの鮮度維持にも有効であることを確認しています。現在、アイスボックスにこのスラリーアイスとドンコを入れて実際に沖縄などの遠隔地へ持っていき、時間の経過とともにどのくらい鮮度を維持できるのか実験中です。ドンコだけでなく、サバやタコ、タラなど、魚介の種類に応じて塩分濃度を変えて、高い鮮度を維持できるか試しているところです」

地魚にさらなる付加価値をつける「蓄養」

スラリーアイスの次に、佐藤氏が取り組んでいることがある。サバの"蓄養"だ。魚介類を卵や稚魚から育てる養殖に対し、蓄養とは、海で獲れた成魚をイケスに移してから締めて、鮮度の高い状態で出荷することにより、地元産の魚にさらなる付加価値をつける手法だ。

しかし、魚を海から生きたまま運んでくるのは、容易なことではない。運搬用のイケスを必要とするためコストがかかり、第一、魚にストレスを与えてしまうというリスクも伴う。それでも佐藤氏は、「釜石で獲れたサバをブランド化するには、この蓄養がどうしても必要」と力を込める。先行する有名ブランドとの間には、すでに圧倒的な格差があるからだ。

「例えば、大分の関サバは、蓄養したサバを活け締めし、鮮度の高い状態で売り出すことで、ブランド化しています」

西日本の漁業地域では、この"活け締め"が広く行われてきた。"活け締め"は、生きている魚の延髄を切断、もしくは首を折り、即死させることで魚肉の死後硬直を遅らせ、鮮度を長く保つことを可能にする処理方法だ。水揚げしてすぐに活け締めを施さないと、魚が暴れてうま味成分の分解が進んでしまうが、活け締めならそれを防ぎ、味を落とさずに出荷できる。さらに、時間を置かずに血抜きすることで、細菌の繁殖や腐敗の進行を抑えられる。ただし、少しでも処理にもたつくと鮮度も味も落とすことになるので、速さと正確さの両方が求められる高度な技術だ。

「三陸には、活け締めの技術が普及していませんでした。また、生きた魚を蓄養できる設備も場所もなかったため、これまで蓄養は行われてこなかった。釜石で獲れたサバは、鮮度維持の処理がなされずに出荷されているのが現状です。そうなると、用途が味噌煮や缶詰など加工品の原料に限られてしまうので、安い価格で売らざるを得ません。それに対して関サバは、釜石で獲れるサバの10倍以上もの値段で流通しているんです」

地元水産業への強い危機感を持つ佐藤氏は、だからこそ、釜石での蓄養の実現とブランド化にこだわる。

「水産業がもうからないままでは、若い担い手は出てきません。でも、ブランド化が成功すれば、釜石のサバも高値で売れて、漁業者の収入が増えるじゃないですか。そうなれば、水産業の担い手も増えていくと思うんです。こういった動きが、ゆくゆくは全国の漁業地域を元気にしていくとわたしは信じています」

画像: 岩手大学釜石サテライトで実験的に蓄養されるサバ

岩手大学釜石サテライトで実験的に蓄養されるサバ

佐藤氏の構想は、復興庁と農林水産省による実証研究事業に参加することで、実現に大きく前進する。蓄養を三陸に普及させようという、水産大学校や東京海洋大学、岩手大学との共同研究が、"食料生産地域再生のための先端技術展開事業"というプロジェクトの一環で始まったのだ。

「震災の後、釜石市内に岩手大学の"釜石サテライト"という施設ができ、そこに蓄養プールが設置されました。この共同研究では、水揚げされたサバを生きたまま海水ごとそのプールに移したあと、活け締めし、加工、流通させるのが我が社の担当です」

プロジェクトは、2014年4月から現在も続いている。

「その間に、共同研究に関わっている研究機関から、活け締めの技術や蓄養のノウハウを習得していきます。これまで釜石には蓄養の前例がなかったので、まずは成功事例を作りたいですね」

自家消費されていた早採りワカメを商品化

画像: 自家消費されることが多かった早採りワカメ(調理前)

自家消費されることが多かった早採りワカメ(調理前)

現状ではBtoBに特化して水産物の加工を続けている釜石ヒカリフーズだが、これからは一般消費者向けの商品開発も手がける予定だ。そのきっかけになったのは、地元ではそれまで売り物として見られてこなかった"早採りワカメ"の存在だ。

「早採りワカメとは、ワカメを育てる時に間引かれる、若いワカメのことです。今までは、売り物になるわけがないと考えられてきたために、漁業者は自家消費することが多かったんです。しかし、これを商品にできれば、漁業者の新たな収入源になります。そこで考えたのが、唐丹町の早採りワカメを使ったドレッシングの商品化です」

ワカメに限らず、形や大きさが整っていないものや傷がついた海産物は2級品また3級品とされ、流通には乗せられず、自家消費され続けてきた。しかし、味は、市場に出回る1級品となんら遜色ない。「これまでの2級品や3級品を、新たに一般消費者向けに商品化していくことが、この地域に利益をもたらす」と佐藤氏は意気込む。

早採りワカメのほかに、アワビの肝を使った商品の開発も検討中だ。これまで釜石で獲れたアワビの肝は、身と切り分けられると、そのまま冷凍され、業務用として出荷されるだけだった。佐藤氏はそれをドレッシングに加工し、付加価値をつけて売り出そうと考えている。

さらに、水産業以外の地元の一次産業と連携した商品開発も視野に入れている。佐藤氏が目をつけたのは、釜石特産の甲子(かっし)柿だ。市内の農家とタイアップして、地元産の柿の葉をサバやサケ、ヒラメなどと組み合わせた"柿の葉寿司"を出すアイデアも温めている。

釜石ブランド確立まで、まだ3合目

画像: 釜石ブランド確立まで、まだ3合目

唐丹町のように小さな漁業地域は全国の至る所にあり、その多くが、水産業の衰退と人口の流出に悩んでいる。そんな漁村の将来のために、今こそ、こういったブランド化への取り組みが求められていると佐藤氏は言う。

「漁業地域が抱える一番の課題は、収入だと思います。収入が安定してこそ、定住ができます。そのためには、地元で獲れる水産物に付加価値をつけて、海外から入ってくる安価な水産物とは差別化を図っていかなければなりません。また、仮に今後、海外からの輸入量が減少した時に、魚を獲る人がいなくなってしまったら、日本全体が困るじゃないですか。そのためにも、若い人に、もっと水産業をやってほしいと思います」

釜石ブランドの確立に向かって着々と邁進する佐藤氏だが、その挑戦はまだまだ途中段階に過ぎないと言う。

「ブランド化まで、今でようやく3合目くらいだと思っています。ドンコなどの鮮度維持にスラリーアイスを使える目途が立ち、サバの蓄養が実用化して、商品を流通に乗せることができて、初めて6合目程度じゃないでしょうか。さらに、その取り組みを地域にオープンにして、他の水産業者さんにも広げていく。それらが成功したら、やっと8合目から9合目くらいでしょう」

たとえ自社だけが成功したとしても、それではブランドを確立できたことにはならないと佐藤氏は言いきる。

「"釜石の魚はおいしいんだよ"ということを、もっと広く世の中に認知させていきたい。大事なのは、釜石の人たちが、地元について尊厳や自信を持てるようになることです。だから、我が社だけが技術やノウハウを持ったとしても、まったく意味は無いと思っています。今後、釜石の魚をブランド化していくためには、地元の他の水産業者とは単なる競合関係ではなく、販路なども共有していく必要があるだろうと考えています」

2015年3月11日で、東日本大震災から4年が経つ。資金も土地も無いなか、佐藤氏が釜石ヒカリフーズを立ち上げてから、約3年半。一度は何も無くなった漁師町に佐藤氏が掲げた希望の光は、さまざまな人々の共感と支援を呼び、ようやくかたちになりつつある。

「不可能だと思われていること、これまで前例の無いことであっても、迷わずに、まずやってみる。それがわたしの性格です。とにかく地域を元気にするために、これからもチャレンジしていきます。それが、ずっとお世話になってきた、唐丹町をはじめとする釜石の人たちへの恩返しになると思っています」

佐藤氏の志は、寸分もぶれることはない。

画像: プロフィール 佐藤正一(さとうしょういち) 1960年、岩手県盛岡市生まれ。千葉商科大学を卒業後、株式会社東北銀行(本社:岩手県盛岡市)に入行し、県内各地の支店業務を担当する。1997年、釜石市内に工場を持つ水産加工会社に入社。2011年3月の東日本大震災により工場が撤退すると、5か月後の2011年8月、釜石市唐丹町に震災後県内第1号の新規企業となる水産加工法人、釜石ヒカリフーズ株式会社を設立。現在、同社代表取締役。

プロフィール
佐藤正一(さとうしょういち)
1960年、岩手県盛岡市生まれ。千葉商科大学を卒業後、株式会社東北銀行(本社:岩手県盛岡市)に入行し、県内各地の支店業務を担当する。1997年、釜石市内に工場を持つ水産加工会社に入社。2011年3月の東日本大震災により工場が撤退すると、5か月後の2011年8月、釜石市唐丹町に震災後県内第1号の新規企業となる水産加工法人、釜石ヒカリフーズ株式会社を設立。現在、同社代表取締役。

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