CSV経営を推し進める世界的な育児用品メーカー、ピジョン株式会社。5代目社長の山下茂氏は、営業マンや現地法人の経営者としてその海外展開を長年支えてきた一人である。後編では、海外業務における自身の経験を振り返っていただくことで、ピジョンがいかにして海外市場を開拓してきたかを探る。さらに、現在注力しているベビーカー開発に込められた思いと、山下氏が描くこれからの会社像に迫った。

「前編:トップブランドを生むCSV」はこちら >

画像: 山下茂(やましたしげる) 1958年、東京都生まれ。立教大学社会学部卒業。1981年、ピジョン株式会社に入社。1997年、タイの子会社PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) CO.,LTD.代表取締役社長に就任し、現地工場の立ち上げに従事。2004年、アメリカの子会社LANSINOH LABORATORIES,INC.代表取締役社長に就任。その後、海外事業本部責任者として執行役員、取締役などを歴任し、2013年4月、ピジョンの5代目社長に就任。株式会社東京証券取引所より2015年度「企業価値向上表彰」大賞を、一橋大学より2016年度「ポーター賞」を受賞。

山下茂(やましたしげる)
1958年、東京都生まれ。立教大学社会学部卒業。1981年、ピジョン株式会社に入社。1997年、タイの子会社PIGEON INDUSTRIES(THAILAND) CO.,LTD.代表取締役社長に就任し、現地工場の立ち上げに従事。2004年、アメリカの子会社LANSINOH LABORATORIES,INC.代表取締役社長に就任。その後、海外事業本部責任者として執行役員、取締役などを歴任し、2013年4月、ピジョンの5代目社長に就任。株式会社東京証券取引所より2015年度「企業価値向上表彰」大賞を、一橋大学より2016年度「ポーター賞」を受賞。

顧客とのやりとりを一字一句添削

――山下さんは1981年新卒入社ですが、なぜピジョンを就職先に選ばれたのですか。

山下
わたしはとにかく海外の仕事をしたかったので最初は外資系の商社に入ろうとしていたのですが、同じ頃、大学の英会話サークルの同期がたまたまピジョンから内定をもらいまして。ちょうど海外部採用の辞退者が出たそうで、「採用枠が1人空いたから、受けてみないか?」と彼に誘われたのです。

正直なところ「ピジョンって何の会社?」という認識だったのですが、外資系の商社に入ったとしてもほぼ国内営業の仕事しかできないだろうと考えて、ピジョンの採用試験を受けました。面接を受けてみて、「若い人間でも、やりたいことをやらせてくれる会社だな。いい会社だな」と感じました。実際に入社してからもそれは感じましたし、今でも変わっていない部分だと思います。

そうは言っても、入社してからしばらくは上司に叱られてばかりでした。当時は海外のお客さまとエアメールでやりとりをしていて、英語で返信を書いたら必ず上司に見せて、一字一句直してもらっていました。上司からは「英語が下手だ」「交渉の順序が間違っている」とダメ出しの連続。挙句の果てに「おまえはいつまで経っても英語が上手くならないから、国内営業に異動だな」と…。

画像: 顧客とのやりとりを一字一句添削

――それで、どうなったのですか。

山下
頼み込みました。「あと半年だけ、それが駄目なら3カ月だけ待ってください」と。すると「まあ、やってみるか」ということで、引き続き面倒を見てくれることになりました。大学で英会話サークルに入っていたので、自分としては英語が得意なつもりだったのですが、商取引のロジックを身につけるのにかなり時間がかかりました。今日こそ大丈夫だと思って自分で書いた文面を見せに行っても「今日のはまあまあ上手かったけど、こういう言い方もあるぞ」という調子で…。3年目になってやっと「もう出さなくてもいいよ」と言われて、そこから海外に行かせてもらうようになりました。最初の出張先は中南米でした。哺乳びんや乳首を持ってチリの奥地まで足を伸ばし、40日間飛び回りました。

海外市場参入の勘どころ

――前編では、病院や産院を通じて国内でのブランド認知を行ったとのお話でした。海外の場合は、まずどこに営業をかけるのですか。

山下
小売店ですね。中南米や中近東ですと薬局、中国ですと育児用品専門店が中心になります。そして、現地の代理店を通じてそういった小売店に商品を流通させていくというのが基本モデルです。

――海外市場に参入する際に、重視されていることは何ですか。

山下
まず、その市場に合った商品を用意することです。なぜなら、消費者の購買力は国によって違うからです。それから、小売店までの配送網の整備。中国の場合ですと、まず一次代理店との商談をまとめた上で、その先にあるたくさんの二次代理店を押さえなければ全土をカバーできません。そして一番大切なのがブランド認知で、時にはメディアを使うこともあります。

――海外でも、お母さんの子育てに関するニーズは国内と変わらないのですか。

山下
我々の研究では生後18カ月までの赤ちゃんの成長過程は世界共通ですから、どの国のお母さんでも子育てのニーズは変わらないと考えており、商品の設計仕様は世界で統一しています。ただ、色や匂いは国によって変えています。中近東では、黄色はブタを連想させるので嫌われます。それからトイレ用品やシャンプー、石鹸といったジャンルはどうしても国によって好まれる匂いの強さや種類がかなり違うので、それぞれに調整しています。

18カ月を超えた赤ちゃんは自我が芽生え、言葉をしゃべり出すので、その土地の文化や習慣の影響を強く受けるようになります。そうなると国によるニーズの違いが大きくなり、世界共通の商品ではとても応えられなくなります。こうしたこともあり、我々はあくまでも生後18カ月以内の赤ちゃんを顧客対象としています。18カ月以内の赤ちゃんを持つお母さんには、まだまだ潜在的に抱えているお困りごとがあるはずです。それを我々が見つけ出し、これまで蓄積してきた開発力で解決のお手伝いをしたいのです。

画像: ピジョンの看板商品の一つで、赤ちゃんが自分で持って飲むために開発された「マグマグ」。色合いは国によって変更を加えている。

ピジョンの看板商品の一つで、赤ちゃんが自分で持って飲むために開発された「マグマグ」。色合いは国によって変更を加えている。

一営業社員から現地法人社長へ

山下
そうやって入社から15年間、営業で色々な国を廻ったのですが、ある日、当時の社長だった仲田洋一から「タイに工場を造るから、社長として経営の勉強をしてきなさい」と突然言われて、現地法人の社長としてエンジニアの社員と一緒にタイに赴任することになりました。それまで営業一筋で、経理や工場経営、品質管理の知識はほとんどありませんでした。それで初めは断ったのですが、社長の熱意に圧倒されて、思わず「やらせていただきます」と言ってしまったのです。1997年、まだピジョンの海外売上高が全体の5%くらいの時代でした。

主力商品である哺乳びん・乳首の工場はすでにタイ国内の別の場所にあったため、わたしたちが立ち上げたのはタイの第二工場という位置づけで、赤ちゃんのおしり拭きや母乳パッドといった消耗品の生産設備を整えました。哺乳びん・乳首の工場よりかなり大規模な設備だったので、会社としては大きな投資でした。

工場の稼働はなんとかスタートできたのですが、肝心の顧客をまだ確保できていなかった。加えて、工場が稼働して2週間経った頃、アジア通貨危機が起きてしまったのです。借入金が外貨だったので倍くらいに膨らんでしまい、初年度は大赤字となり日本の経済新聞にも取り上げられるほどでした。

タイで作った商品を日本国内に売れば初年度から黒字だったはずなのですが、そうすると日本の協力メーカーに迷惑をかけてしまう。仲田からは「大きな投資をして造った工場なんだ。何とかしてグローバルマーケットをこじ開けなさい」と発破をかけられました。

契約取得率0.3%

――いきなり大変な状況に立たされたのですね。顧客は開拓できたのですか。

山下
タイに行ってしばらくしてから、黒字化するためにはOEM(相手先ブランド製造)の契約を取ってきて生産しなければならない、という海外市場の構図が見えてきました。そこで、OEMを受注するためにおそらく人生で一番奔走したのですが、なかなか取れなかった。OEMは、1,000件当たってやっと3つ取れるくらいの確率なのです。

――そんなに低い確率なのですね。

山下
そんなものです。1年間粘って交渉したけれど水の泡だった、なんてことが何度もありました。それでもようやく1件、2件と契約が取れるようになってきました。赴任して3年目に、ウォルマート向けに育児用品を卸しているアメリカの「LANSINOH(ランシノ)」というブランドの母乳パッドのOEMが決まって、そこから一挙に工場が24時間フル稼働になり、なんとか黒字に転じることができました。

今思っても、奇跡のような感じでしたね。その契約が取れていなかったら工場自体もう無くなっていたと思います。一部取締役からは「工場を畳んで、そろそろ帰って来なさい」と言われ始めていましたから。

――そのOEM契約が取れた要因は何だったのですか。

山下
世界的に見ても圧倒的に品質の優れた商品だということが認められたのだと思います。ただ、価格は高めでした。当時アメリカで売られていた母乳パッドの3倍の値段でした。業界では「絶対にうまくいくはずがない」と言われていましたから。

それでも、お母さん方に一度使っていただければ、その違いがわかる商品でした。我々がOEMを始めて一気にLANSINOHのシェアが伸び、今やアメリカでダントツの1位です*。約65%のシェアを占めています。

* その後、LANSINOH社が事業の多角化に着手し経営不振に陥ったため、2004年にピジョンが同社を買収した。アメリカ市場では現在も、「LANSINOH」ブランドとしてピジョンの商品を展開している。

画像: タイ駐在時代の山下氏(中央)

タイ駐在時代の山下氏(中央)

――ピジョンが初めて海外に進出したのはいつ頃ですか。

山下
1966年です。比較的早かったのですが、会社全体の売上の中で初めて10%を超えたのが2000年ですから、それまで時間がかかりました。そこから急速に伸びて、今では売上の約半分が海外です。

――2000年以降、海外の売上が伸びた要因は何だったのでしょう。

山下
それまで海外展開がうまく進まなかった理由は、ずっと円高だったからです。日本で作った商品を海外に輸出するというスタイルだったので、なかなか売上を伸ばせませんでした。転機になったのは、1990年代に入って東南アジアで哺乳びん・乳首の現地生産を始めたことでした。商品のデザインや価格を現地の市場に合わせて生産できるようになったのです。それから、2002年に始めた中国市場への展開のタイミングがちょうどよくて、100%独立資本で作った子会社が2年目で黒字に転換できたことも大きかったです。

5代目社長の役割は「新幹線」化

――今まで経験されてきたお仕事の中で、ピジョンという会社を経営する上で特に活きていることは何ですか。

山下
やっぱり、タイで過ごした7年半ですね。現地法人の社長になった時39歳だったのですが、色々なことが初めてでしたから。経営のテクニカルな面についても勉強しました。経営計画を立てる際に、NPV(Net Present Value:正味現在価値)や、DCF(Discounted Cash Flow)といった企業価値の評価手法を他社に先駆けて採り入れました。

精神的な部分でも鍛えられました。営業時代は自分のために働くという思いが強かったですが、現地法人の社長になったことで社員を守るということを考えるようになりました。それが今にもつながっていると思います。

――山下さんは、ピジョンの5代目社長の役割をどうとらえていますか。

山下
4代目で海外事業がうまく展開できて、収益も伸び始めていたので、非常に良い状況でわたしがバトンを受け取ることができました。おかげで、会社全体の事業をどう拡大していくかを自分なりに考える余裕がありました。4代目の社長は、海外事業の太い線路をディーゼル機関車で勢いよく進んでいったイメージですね。それを新幹線に替えて、より速く前に行くのがわたしの役割だと考えています。

育児用品の老舗がベビーカーに革命を起こす

――現在特に注力している商品は何ですか。

山下
我々のコア商品となるとやはり哺乳器なのですが、ここ最近力を入れ始めたのはベビーカーです。

――ベビーカーというとピジョンは後発になると思うのですが、競合他社の商品との違いは何ですか。

山下
日本の道路は、歩道と車道の間に2センチくらいの段差が多くあるんです。通常の消費者調査ですと「お母さんたちは軽いベビーカーを好む」という結果が得られるのですが、軽量化のためにはタイヤを小さくする必要が生じます。そこで、他社から出ているベビーカーの多くは、車体を安定させるために1脚に2輪ずつタイヤが付いています。ところが、タイヤが小さいと2センチの段差を乗り越えられず、ぶつかってしまう場合があります。そうすると、自動車の急ブレーキの5倍くらいの衝撃が赤ちゃんの頭に伝わってしまい、非常に危険なのです。

そこで我々は、従来2輪ずつだったタイヤをシングルにして、なおかつ直径と幅の大きなものにしました。タイヤが大きいほうが、小さいタイヤの場合よりも少ない力で簡単に段差を乗り越えられますし、操作もしやすい。そこがピジョンのベビーカーの売りです。

画像: ピジョンが開発したベビーカー。1脚につきタイヤ1輪という画期的な仕様になっている。

ピジョンが開発したベビーカー。1脚につきタイヤ1輪という画期的な仕様になっている。

やはり、我々がベビーカーを作る以上、新しい価値を世の中に提供しなくてはいけません。しかし、お母さん方にニーズを聞いても正しい解は得られません。なぜなら、お母さん自身が気づいていないことが多いからです。それを、我々が行動観察を重ねることで、お母さん方の隠れていた「お困りごと」に気づけるのです。

――国内のベビーカー市場ではどのくらいの位置にいるのですか。

山下
今やっと3位です。これからまだまだ厳しい競争があると思いますが、この3年間で売上35億円をめざしています。去年の時点で10億円くらいでしたから、それを3倍にしていこうと考えています。

――いずれは海外展開も考えていますか。

山下
じっくり日本で実績を作ってからですね。国内でうまくいかない商品を、海外に持っていっても駄目ですから。うまくいけば、中国をはじめとしたアジアに展開できると思います。

「グローバルNo.1の育児用品メーカー」へ

――今後、ピジョンがめざすものは何ですか。

山下
ピジョンがこれから100年、さらにその先も生き延びていくためには、前編でもお話したように、「社会の中でなくてはならない会社」であることが前提条件です。それに加えて、我々は「グローバルNo.1の育児用品メーカー」になることをめざしています。それに向かって一歩ずつ進んでいくということです。

――「グローバルNo.1の育児用品メーカー」の定義を教えてください。

山下
まずは、ピジョンという名前を聞いた消費者が「信頼に足る育児用品メーカー」だと想起してくださること。

次に、哺乳器と搾乳器という我々にとっての2大カテゴリーにおいて、世界の主要市場でシェアNo.1となること。特に哺乳器については、主要市場でシェア50%以上をめざします。そのほか、最新の中期経営計画の中で育児用品の「新旧3種の神器」という6つのカテゴリーを重点商品に設定しています。

画像: 「グローバルNo.1の育児用品メーカー」へ

――「新旧3種の神器」の内訳は何ですか。

山下
まず「旧3種の神器」が①哺乳器、②カップ類、③おしゃぶり・歯がため。「新3種の神器」が①母乳関連商品、②スキンケア・トイレタリー・洗剤、③電気消毒器や哺乳器ウォーマーなどの電気製品。事業が始まったばかりの電気製品を除く5つのカテゴリーにおいて、それぞれ主要市場でシェア3位以上をめざします。やはりそれらのカテゴリーは、グローバルで押さえていかなくてはいけないと考えています。

そして、常に業界を驚かすような新しい商品、お使いになる方が感動してくださるような商品を出していく。これらを実践することで、「グローバルNo.1の育児用品メーカー」となり、世界中の赤ちゃんにピジョン品質の商品を届けたい。そう考えています。

J-CSV提唱者の視点

名和 高司 氏(一橋大学大学院国際企業戦略研究科 特任教授)

日本にもCSVを経営の主軸に据えている企業が数社ある。ピジョンはその代表格だ。

企業理念から現場の一人ひとりの行動までが、赤ちゃんとお母さんへの愛で貫かれている。少子化が進むなかでも、いやだからこそ、赤ちゃんは将来を築く貴重な財産だ。その赤ちゃんと家族に感動をもたらすことで、大きな社会価値を生み出している。品質や信頼に裏打ちされた「安心感」(peace of mind)と「快適性」(quality of life)を提供するという日本的な価値観は、中国でも高く評価され、支持されている。

その一方で、経済価値の側面でも優等生だ。ROE20%台という数字は、欧米の超優良企業にもひけをとらない。昨年のポーター賞受賞の際にも、独自のバリューチェーンを構築して産院や家庭に価値を届ける経営手法は、ポーター教授から高く評価された。

創業から60年を迎えた今、同社は次世代の成長をめざしている。国内では主力の哺乳びんに加え、乳児への負担の少ないベビーカーの開発や託児所の運営など、赤ちゃん周りの社会課題の解決に乗り出している。

さらに大きな成長が見込まれるのが海外だ。アジアでは、中国での成功を踏まえ、東南アジアやインドなどでの事業拡大を図っている。今後とも高い出生率が見込まれるアフリカなどの南半球は、未開拓市場として将来が楽しみだ。

J-CSVの旗手として、世界中の赤ちゃんとその家庭への「愛の布教活動」を加速していくことを大いに期待したい。

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