「経営の健全性を考えれば、収益の7割は海外が理想」と話す、「Psychic VR Lab」(サイキックVRラボ)の山口氏。現在、日本国内に留まらず、海外クリエイターのサービス利用を促進するなど世界に向けたビジネス展開を図っている。
VR技術のような先端技術を追求するエンジニアでありながら、ビジネス全体を俯瞰し最適化する経営者としての顔も持つパーソナリティは、どう培われたのか。変化を恐れず「新しいこと」に貪欲に挑み続けてきた、その半生を振り返ってもらった。

「前編:世界中で10億人が『現実と仮想現実が重なり合う世界を生きる』時代がやってくる」はこちら >

画像: 山口征浩 -Masahiro Yamaguchi- 1977年生まれ。2000年、同志社大学工学部中退。同年、情報セキュリティ対策製品などを開発するイーディーコントライブ株式会社にアルバイトとして入社。2003年、上場にともない社長に就任。退任後、31歳のときにMIT(マサチューセッツ工科大学)へ留学。 帰国後の2014年、VR技術の研究開発を行うため「Psychic VR Lab」を立ち上げ、 2016年に法人化する。これまでファッションVRショッピングサービス「STYLY」、ファッションVRプラットフォーム「STYLY Suite」などを発表し、VR領域のフロントランナーとして注目されている。

山口征浩 -Masahiro Yamaguchi-
1977年生まれ。2000年、同志社大学工学部中退。同年、情報セキュリティ対策製品などを開発するイーディーコントライブ株式会社にアルバイトとして入社。2003年、上場にともない社長に就任。退任後、31歳のときにMIT(マサチューセッツ工科大学)へ留学。
帰国後の2014年、VR技術の研究開発を行うため「Psychic VR Lab」を立ち上げ、 2016年に法人化する。これまでファッションVRショッピングサービス「STYLY」、ファッションVRプラットフォーム「STYLY Suite」などを発表し、VR領域のフロントランナーとして注目されている。

独学のプログラミングで絵を描くソフトも自作した

「コンピュータとの出会いは、中学校の入学祝いとして両親からプレゼントされたことです。それが今につながるすべての始まりになったんでしょうね」

1990年頃、ワープロは少しずつ普及していたが、コンピュータはまだ一般的ではない時代。教えてくれる人も周りにはいなかったが、「だったら、自分でゼロから考えればいい」と、まったくの我流でプログラミングを学んだという。

「コンピュータは、純粋に道具としておもしろいと感じました。いろいろ考えながらいじっているうち、少しずつ中身を理解していき、やがて簡単なゲームが作れるようになります。物理的にできることが増えるのはもちろんですが、道具を手にしたことで、昨日まで発想もできなかったことを思い付けるようになる。あの感覚が、ものづくりの原体験となっています」

絵を描くプログラム、今でいうドローソフトらしきものもつくったというから、好きなことに傾ける情熱や集中力が並大抵ではないことがうかがえる。その流れで、大学は理工学部の知識工学科を選び、コンピュータサイエンスを学ぶ。現在のAI(人工知能)のはしりともいえる領域だ。しかし、当時のことになると、とたんに言葉は歯切れ悪くなる。

「興味のある分野でしたが、大学そのものに興味が湧かなかったというか……。ほとんど講義には出席せず、好き勝手なことばかりやっていました。まあ、今でいう"意識高い系"、それも、悪い意味での意識高い系の学生です。あまり褒められたものではなかったですね」

画像: Psychic VR Lab 山口征浩氏

Psychic VR Lab 山口征浩氏

折しも時代はベンチャーブーム。講義そっちのけで起業家に会いに行く中で、「君は見どころがある」といわれてその気になった山口氏は、徐々に起業を考えるようになる。ただ、本格的なものづくりの経験があるわけではなく、人脈も営業力もない。自分は何をやりたいのかを改めて突き詰めたとき、浮かんだのはやはりコンピュータだった。

「そこからは一気にギアチェンジ。確実なスキルを身につけるため、半年間で専門書を50万円分以上購入し、わずかな睡眠時間以外は一日中勉強して、7つのプログラミング言語を習得しました。その後、コンピュータ・セキュリティの会社にアルバイトとして飛び込み、エンジニアの仕事に没頭していきます。ただ悪いことに、いつしか学業との優先順位が逆転。その結果、大学は3年で中退することになってしまいました」

良くも悪くも、のめり込んだらとことんやる。その性分は今でも変わっていないという。

一介のアルバイトから、100人を率いる上場企業の社長へ

自業自得とはいえ、大学を中退した時点で「退路を断った」という意識があり、仕事には本気で向き合った。取引先の経営者と話す機会も増え、経営に対する興味が高まっていったのもこの頃だ。また当時、山口氏が所属していた会社は、やる気があれば年齢に関係なく、誰でも役員に立候補できる制度があった。"生意気な若造"だったという山口氏は、立候補してみたという。

「そうしたところ、そのまま役員に抜擢され、紆余曲折あってマザーズに上場。すると今度は、カリスマだった創業社長から『お前に社長を任せる』と――。いきなり100人の社員を率いることになって、最初は本当にしんどかったです。でも、自分で言うのも変な話ですが、責任と場を与えられることで人は成長するものですね。上場企業の社長という得がたい経験を通じ、経営のなんたるかを学ばせてもらいました」

また、その会社はアントレプレナーシップ・ディベロップメント(起業家精神の育成)を社是としていた。事業に携わる過程では「社会の中で、ベンチャー企業は何を担うべきか」について真剣に考えるようになったという。たどり着いた答えは、「とがった技術と大企業にない発想で、新しい価値を生み出すこと」。これは同時に、ずっと技術を追求してきた1人のエンジニアである山口氏自身が、社会と向き合う上での指針にもなった。

単身飛び込んだMITで世界の秀才に刺激を受ける

やがて、改めて技術の道を追求したいと思うようになった山口氏は、社長職を退くことを決断。ここでも持ち前のとことんやる精神が発揮され、どうせ学ぶなら世界一の場所がいいと、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)の門を叩くことにした。とはいえ、大学は中退している上に肝心の英語もからきし話せない。留学支援のエージェントをまわっても門前払いの日々が続いたという。

「最終的には、なんとか交渉の末MITにもぐり込むことに成功しました。そこで与えられた期間は半年でしたが、当然そんな短期間でどうにかなるわけもありません。期限が近づく度に大学に交渉しながら、約2年半、半ば強引にMITに在籍し続けました」

だが、その3年間は驚きと発見の連続だった。MITでは次世代の地球の文明を担うような最先端の研究が行われていた。学生たちはいずれも「超」が付くほどの秀才揃い。買えばゼロがいくつも付くような高額な計測機器の代用品を、わずか数ドルのパーツを組み合わせて作ってしまうことも珍しくなかった。「まさに自分は文明が進化する現場に立ち会っている」。山口氏は日々そう感じていたという。

画像: MITでの経験は、山口氏の大きな糧となった。クリーンルーム入室前の更衣室にて

MITでの経験は、山口氏の大きな糧となった。クリーンルーム入室前の更衣室にて

そんな最高の環境の中で、スキルアップと同時に「自分探し」もしていた山口氏。この先、自分は何をやって社会と向き合っていくべきか。AIやブレーンマシーンインターフェース、遺伝子、次世代エネルギー、東洋医学……。山ほどの知識やアイデアを収穫として留学を終える頃、出会ったのがVRだった。

「初めて触れたときの印象は、『なんだかおもしろそうだな』程度のものでした。でも調べるうち、既存の技術で代替できない、まったく新しいものだということがわかってきました。前編で紹介したとおり、現実に新しいレイヤーを重ねることで、膨大な可能性を生み出すVRは、私たちの暮らしや、人類の未来さえも変える可能性を秘めた技術だと確信するようになったんです。そして帰国後、自らのビジョンを実現するために立ち上げたのが、Psychic VR Labというわけです」

大事なのは機能ではなく、生活に寄り添うこと

VR時代の寵児となったPsychic VR Labが、常にめざしていることは2つある。

「1つは『どこにも負けない技術力を確立すること』。これはSTYLY、STYLY Suiteというソリューションがかたちになり、世の中からも大きな反響があったことで、まずは手応えを感じています。もう1つは、『技術の本質を見つめること』です。エンジニアは、技術が人々の暮らしとどう関わり、どう変えるのかという本質的な部分を見落としてはいけません。そのためには、一般の消費者やクリエイターなどの声を聞きながら、技術以外の視点を積極的に取り込むことが要求されます」

山口氏は、これが非常に重要なことだと念を押す。

画像: 大事なのは機能ではなく、生活に寄り添うこと

「例えば10年前のエンジニアも、テクノロジーの延長線上に今の高機能なスマートフォンが登場することは予測できたでしょう。でも使い方を見てみると、ビデオ通話(テレビ電話)が現実の代替手段になったのではなく、『テキスト』や『スタンプ』が若者たちのリアルな気持ちを伝えることができるコミュニケーション手段になったわけです。これは、技術的な発想だけでものごとを考えていては、絶対に想像できなかった状況。私は、VRの未来にも同じことが起こりうると考えています」

つまりこういうことだ。仮想現実技術は現実社会を置き換えるものではなく、テクノロジーの上でしか生まれない新たな文化をつくっていくものである。もしVRを体感するためのヘッドマウントディスプレイのサイズが普及の障壁になるなら、デバイスの小型化を待つだけでなく、その大きさが似合う「ファッション」を考えればいい。もし映し出される画素数が低いことが問題なら、ドットの粗さが不可欠な「コンテンツ」をつくればいい。こうしたことに気付くためには、やはり畑の違う人々と一緒に、「カオス」を生み出しながらものづくりに取り組むことが重要になる。

「そもそもVRは、これまでの常識にない世界をつくる技術。だったら、それを生業にする私たち自身も、常識を超えた発想を追求していかなければいけません。新しいものは、いつもそうした姿勢から生まれると、私は信じています」

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