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IoTやビッグデータ解析技術の高度化を背景に、流通・小売業では一人ひとりの「個客」ニーズや嗜好を把握して、より確度の高い商品企画や販売戦略につなげようというデジタルマーケティングの取り組みが加速している。だが「技術や手法ありきではなく、自社の課題や個客に向き合った解決法の選定こそが重要」と説くのは、企業のマーケティングにおける第一人者、青山学院大学の小野譲司教授だ。デジタルシフトが進む中、企業はどのようなアプローチで課題解決を図るべきなのか、小野教授に話を聞いた。

デジタルシフトで進化する「個客」ベースのアプローチ

――流通・小売業のマーケティングが大きく変容し始めています。企業側の視点による「モノ」を中心としたマーケティングから、一人ひとりの「個客」像を分析して購買意欲をきめ細かく喚起する「コト」中心のマーケティングへの転換が進んでいます。このような変化をどう捉えていらっしゃいますか。

小野
売上と顧客に関する分析は、流通・小売業ではかなり早くから行われていました。POS(Point of Sales)データと顧客の会員カード情報などをひも付けた形で、誰が・いつ・何を買ったかという購入履歴を追跡することは既に可能だったわけです。ただデジタルシフトの進展で、より詳細な顧客行動が手に取るように理解できるようになったのは大きな変化です。以前ならリアル店舗で「このお客様が、この商品を買った」という情報までだったのが、同じお客様のオンライン店舗での購買行動をトレースすれば、購入にいたるまでの情報検索の仕方やWebサイトでの回遊、Webサイトを見た後どれだけその商品に接触したかなどが明らかになる。実際に企業側のデータ活用がそこまで進んでいるかどうかは別として、分析対象となるデータの種類が劇的に増えたため、従来ブラックボックスだった顧客行動を深く理解できるようになったのです。

画像: デジタルシフトで進化する「個客」ベースのアプローチ

――まさにデジタルシフトの大きな成果といえますね。

小野
今まで顧客として漠然と見ていたものが、今は一人ひとりを個客として複合的に見られるようになりました。このため従来以上に様々な展開、アクションが取りやすくなったのが大きな進化といえます。同じ社内で別々に管理されていた業務系のデータと販売系のデータを統合する動きが進んでいることも、そうしたデータ活用を後押ししています。オムニチャネルでの展開も含めて、社内の幅広い情報を統合して共有すれば、一人の個客に対してより良いサービスを提供することができるだろうという考え方ですね。それは、ここ10年ほどでネットワークインフラやデジタル技術が急速に進化してきたことが大きいと思います。

技術や手法ありきではない

――WebやSNS、モバイルからの情報も含め、かつてないほどのデータを収集・分析できる時代になりました。マーケティングの精度も向上しているのでしょうか。

小野
そうしたデータ分析に先進的な企業と、まだまだデータを活用し切れていない企業があると思います。売上分析はやっているものの顧客分析までは手つかずというケースが少なくありません。例えば売上アップにつなげるための「クロスセル」という手法があります。Aという商品を買ってくれたお客様に、Bという関連商品を併せてお勧めすれば、客単価も上がるし、顧客満足度も高めることができるというロジックです。

でも本当にクロスセルの効果があったのか検証するためには、数値として根拠を出さなければならない。ところが現状はAとBそれぞれの売上結果を単品で見て、売れ筋かそうでないかを判断しているケースも少なくない。本来ならCさん、Dさんという個客ごとに「Cさんは、Aは買ったがBは買わなかった」「Dさんは両方買った」という分析結果を出さなければ個客ベースのアプローチは実現できません。そこまでいくにはExcelレベルの集計では追いつかない。ある程度のシステム導入や人的労力が必要です。そこが中小規模の企業では大きなネックになっているわけです。

画像: 技術や手法ありきではない

――データを詳細に分析できる技術や手法を導入すれば、デジタルマーケティングに向けた大きな一歩を踏み出せるということでしょうか。

小野
そう単純な話でもありません。顧客分析ができたとしても、本当にそれが販売戦略や顧客視点の商品やサービス提供につなげることができるかどうかにも関わってきます。たくさんある商品を重要度別に管理していく「ABC分析」という手法があります。マーチャンダイジングでは売れ筋をA、中程度をB、死に筋をCとして、新商品が入ってきたらCを外すのが鉄則です。しかし人ベースで商品を見ていくと、購買ランクが上位にあるお客様ほどCを買っているといったことがあります。つまりCを棚から外したら、一般顧客には影響がないとしても優良顧客が去っていく。では、この店舗ではどの層の顧客を重視した戦略を立てるのか。ここでもきちんとした分析結果を見なければ、経営層やマネージャーは判断できません。同時に、判断するための前提として経営者はもちろん、現場の実行部隊となる担当者もデータ分析の結果を客観的に理解できるリテラシーを備えている、あるいは養っていくことが必要です。この手の話になると、「データサイエンス」といわれるような高度な統計解析の専門知識が必要になるようなイメージもあります。しかしながら、高度であればあるほど、難しくて理解できない、訳がわからないものは信用できない、と思う人もいるのがもう1つのハードルかもしれません。

個客の想いをうまくくみ取った企業に勝機が

――流通・小売に限らず、今幅広い業界で異業種参入が増加しています。デジタル技術を活用した先進的なサービスで顧客を奪われないか、既存企業は戦々恐々です。小野先生は顧客の満足度を業種横断的に比較分析できる「JCSI(日本版顧客満足度指数)」をリードする立場にいますが、近年の業界地図の変化を、どうご覧になっていますか。

小野
JCSIの活動を通して分かるのは、大きな傾向として、いわゆるフルサービスを提供する「総合型」といわれる企業が売上規模の大きさの割に、顧客満足度で伸び悩んでいることです。GMS(総合スーパー)、百貨店、ファミリーレストラン、ホテル、フィットネスクラブなどの業界にも共通しています。利用客の評価が高いのは、単品による専門分野で勝負している企業。外食ならスシロー、すき家、丸亀製麺など。ホテルならリッチモンド、ダイワロイネット、スーパーホテルなど、リーズナブルな値段で宿泊に特化、異業種からの参入で、あるいはオンライン予約をメインにしたところが目立ちます。証券会社も新興のオンライン系への評価が高く、その意味では消費者の志向やニーズがかなり変化してきたことがわかります。


――いわゆる安さ、便利さ、速さが受けているのでしょうか。

小野
そうとは言い切れません。オンライン証券を使っている人でも、既存の証券会社のアカウントを併用していますし、普段100円ショップやファストファッションを利用する人でも、時にはリッチな買い物をいとわない。今消費者は、自分の生活を限られた予算の中でどう楽しく豊かに過ごせるかをよく知っていて、お金をかけるべきところはきちんとかけています。デフレ時代の始まりごろは、確かに安いモノに注目が集まりました。しかし消費者もしだいに選択眼が養われてきて、必要に応じて安いもの、いいものを上手に使いこなせるようになってきたのです。つまり、企業側が決めた隙のないフルサービスより、使い手側が自由に選んだり使いこなしたりできる"余白"のある製品、サービスが求められているのだと思います。

画像: 個客の想いをうまくくみ取った企業に勝機が

――そうした購買意欲をうまくすくい上げる仕組みが必要となりますね。

小野
個客の想いをうまくくみ取って業績を伸ばしている企業は決して少なくありません。例えば、オムニチャネルの議論にあるような、リアルとオンライン、モバイルといったチャネルをすべて使いこなしている消費者はまだ限定的だと思います。ただ、私たちが行なっている研究では、そうした各チャネルのデータを総合的に分析した結果、リアルとオンラインを併用している顧客にモバイルアプリを提供すると、非常に大きな効果が出ることが分かりました。いわれてみれば当たり前なのですが、モバイルに配信された情報リンクからオンラインショップをのぞきにいき、そこで配布されたクーポンを持ってリアル店舗のバーゲンに足を運ぶのは、ごく自然に起こる行動です。そうした流れに沿って買い物を楽しむ顧客を獲得できるのは、デジタルシフトした企業ならではの恩恵といえるかもしれません。その一方で、オンラインやデジタルの世界になればなるほど、囲い込みは難しくなる。サイトの回遊や価格比較の容易さなどから、顧客がブランドスイッチしやすくなる点には注意が必要です。

デジタルシフトで新たな活路をきりひらく

――デジタルシフトで成功した事例として、どのようなものがありますか。

小野
極めて労働集約的で、アナログなサービスの1つとして、理髪・理容サービスがあります。中小事業者が多い業界の中で、サービスを標準化し、チェーンオペレーションでナショナル・ブランドを確立し、海外へも進出しているところもあります。その中でも、カット10分1,000円で知られるヘアカット専門店QBハウスは、スマートフォンアプリを使ったデータ活用で顧客満足度を高めています。好きなヘアスタイルを登録してカットカルテを作ったり、個人設定で次回のカット時期を知らせてくれる機能があります。ほかにも入店してチケットのバーコードをスマートフォンで読み取り、カット後に答えたアンケート結果から満足度の高い店舗も分かるといったように、顧客と企業双方に価値ある情報を獲得できているようです。1人当たりのカット所用時間や混雑状況を分析し、店舗をまたいだスタイリストの最適配置を行うなど、今あるデータをうまく活用して、課題の把握と解決に成功している企業だと思います。

――既存のデータでも、活用しだいで新たな価値を見いだせるということですね。

小野
そうですね。一方、先進的な技術を使って個客と価値を生み出した例としては「NIKE+(プラス)」が有名です。10年ほどの歴史があり、既にサービスとして定着しつつありますが、ランニングシューズとセンサー、iPhoneやApple WatchとWebサイトを連携することで、かつてないランニングの楽しみ方やカルチャーを提示し、ユーザー参加型の製品開発にもつなげた成果は非常に大きいと思います。今話題のIoTとビッグデータ活用によるサービス、マーケティングの先駆けといえるでしょう。
実はこうしたセンシング技術を活用したサービスが面白いのは、やってみて初めて分かることがたくさんあることなんですね。NIKE+でも先進的なランナーの走り方から、製品開発のアイデアが生まれ、イノベーションが起こる可能性があります。また、IoTを使った産業機械の遠隔監視サービスなどでも、保守・メンテナンスの効率化や予防保全、稼働データの分析による顧客に向けた業務効率化の提案など、様々な付加価値を生み出しています。さらに、企業側では対応できなかったファン層の拡大を、SNSにおけるインフルエンサーのクチコミによるプロモーションにつなげる仕掛けも誕生しています。デジタルシフトというのは、そうした新しい活路を切りひらく可能性を秘めているわけです。ただし、注意すべきポイントもいくつかあります。

課題を明確にし、まずはスモールスタートで

――どのような点に気をつければよいのでしょうか。

小野
いくらデジタルシフトでデータ活用が進んでも、組織や人の考え方が硬直化したままではメリットを生かせないケースがある、ということです。例えばオンラインとオフライン双方のチャネルを展開している企業では、顧客が訪れたリアル店舗に在庫がなかった商品をオンライン店舗から取り寄せる手配を行なっています。ただ、その売上が誰の業績になるのか、評価制度の仕組みが明確でないと、各担当者のモチベーションが下がる可能性があります。また、高度な接客や商品知識が求められるところでは、個々の暗黙知となっていたスキルやノウハウを社内で共有化しようという場合も、一人ひとりの社員の意識が向上していないと、出し惜しみなどで中途半端な形になりかねません。

――デジタルシフトを加速するには、組織的な制度改革に加え、意識改革も必要になるということですね。

小野
そうです。またそれはシステム導入に際しても心がけておく必要があります。企業の皆さんに聞くと、新しいツールやソリューションは「トップが導入しろといったから」「導入すれば何かが変わるんじゃないか」といった技術ありき、手段ありきといった曖昧な判断で入れるケースが少なくない。しかしそういった意識レベルでは、劇的に何かが変わるはずもありません。まずは解決すべき課題があり、それに合ったツールやソリューションは何だろうかという議論が出てくるはずです。現状の課題や今あるデータと地道に向き合い、自社と顧客との関係性をどう再構築していくか、そこから取り組まなければならないのです。まずは自社の課題に合った技術や手段を見つけ、スモールスタートで始めて成功体験やノウハウを蓄積していく。それがデジタルシフトを成功へ導くための1つのアプローチだと思います。

画像: 課題を明確にし、まずはスモールスタートで
画像: 青山学院大学 経営学部 教授 経営学 博士 小野 譲司氏

青山学院大学
経営学部 教授
経営学 博士
小野 譲司氏

※本記事は、日本経済新聞 電子版で2017年2月27日~3月26日まで掲載した広告特集「いざ、ビジネス革命へ~デジタル新時代に求められる企業経営とは~」の転載です。

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