「世の中を良くすること」を目的としながら利益も生み出す日本発の経営戦略、J-CSV*。その実践例第4弾は、通称「吉田カバン」で知られる株式会社吉田。日本を代表するカバンメーカーであり、看板ブランド「PORTER(ポーター)」は社会人男性をはじめとした多くの人々に愛用されている。従業員数200名に満たない同社だが、現在約4,000アイテムを展開し、年間約200万本の商品を生産。その売上高は約173億円、経常利益は28億円にのぼる(2015年)。創業から80年、世界情勢が変わる中でも国内生産を貫き、不況下においても同社の商品が売れ続けているのはなぜなのか。創業者の次男で現在代表取締役社長を務める吉田輝幸氏に、東京・東神田にある本社ショールームで話を聞いた。
* CSV(Creating Shared Value:共有価値の創造)とは、2011年にハーバード大学のマイケル・ポーター氏らが提唱した経営戦略。その日本版として、一橋大学特任教授の名和高司氏が「J-CSV」を2015年から提唱している。
画像: 吉田輝幸(よしだてるゆき) 1946年、株式会社吉田(通称:吉田カバン)の創業者・吉田吉蔵氏の次男として東京都に生まれる。1969年、慶應義塾大学商学部を卒業し、株式会社吉田に入社。商品管理部に配属され同社物流倉庫(当時)にて革製品の商品管理を約6年間経験したのち、商品部の革製品仕入れ担当、専務、総務・財務担当役員、副社長を歴任した。2002年、3代目代表取締役社長に就任。著書に『吉田基準』(日本実業出版社,2015年)

吉田輝幸(よしだてるゆき)
1946年、株式会社吉田(通称:吉田カバン)の創業者・吉田吉蔵氏の次男として東京都に生まれる。1969年、慶應義塾大学商学部を卒業し、株式会社吉田に入社。商品管理部に配属され同社物流倉庫(当時)にて革製品の商品管理を約6年間経験したのち、商品部の革製品仕入れ担当、専務、総務・財務担当役員、副社長を歴任した。2002年、3代目代表取締役社長に就任。著書に『吉田基準』(日本実業出版社,2015年)

看板商品のブレイクまで、十数年

――御社は1935年に、お父さまの吉田吉蔵さんが創業されました。吉田カバンと言えば「PORTER」ブランドが有名で、中でも「TANKER(タンカー)」シリーズのリュックサックやビジネスバッグはとても多くの方に愛用されています。このTANKERシリーズが最初に発売されたのはいつですか。

吉田
1983年です。ただ、ブレイクには10年以上かかりました。

――その間、社内で生産終了という声は無かったのですか。

吉田
そういう意見もありましたが、生産をやめることはしませんでした。カバンづくりというのは、非常に息の長い仕事です。新しく出した商品が売れなかったからといってすぐにやめるのではなく、「売りながら育てていく」というのが当社の考えです。ブレイクするまでは生産量を調整して…それも、何百本というオーダーではなくもっと少ない本数で、売れ行きを見ながら可能な限り細々と生産を続けます。

――TANKERがブレイクしたきっかけは何だったのですか。

吉田
1997年に、人気俳優の方が主演のテレビドラマでTANKERのカバンを使用されていたのです。通常はスタイリストさんが俳優の衣装から持ち物まで用意するのですが、その俳優の方はTANKERを普段から愛用されていて、そのドラマではご自身のカバンを使わせてほしいということだったそうです。それをご覧になった視聴者の方から、本社やお得意先さまに問い合わせが殺到しました。

それから、同じ90年代中頃に、感度の高いクリエーターの方々により原宿を中心にした大きなファッションムーブメントが起こり、そこでもTANKERが取り上げられました。クリエーターの方々にはブレイクする前からTANKERを愛用していただいていた方も多く、このムーブメントでファッションに興味のある若い世代の方々から支持をいただくことができました。

画像: ドラマの中で使用された、TANKERの3WAYブリーフケース(実際にドラマで使用されていたものはブラック)。手持ち・肩掛け・背負いの3つの使い方ができる。ブランド名の「PORTER」は、ホテルなどで宿泊客のカバンを預かるポーターという職業が、常にカバンに触れ、カバンの良さを知る者であることに由来している。

ドラマの中で使用された、TANKERの3WAYブリーフケース(実際にドラマで使用されていたものはブラック)。手持ち・肩掛け・背負いの3つの使い方ができる。ブランド名の「PORTER」は、ホテルなどで宿泊客のカバンを預かるポーターという職業が、常にカバンに触れ、カバンの良さを知る者であることに由来している。

――不況が続く中でも、PORTERブランドは根強く支持されているという印象があります。それはなぜでしょうか。

吉田
世の中の景気が悪くても、やはりカバンというのは、モノを運ぶ道具であり、必需品の一つですからね。特にPORTERは幅広い年齢層の方から支持をいただいていまして、ファッションに興味を持っている方も多い。そういった方が全国にたくさんおられて、長く愛用してくださっていることが大きいと思います。そしてもう一つありがたかったのは、テレビや雑誌関係の方がわたしどもの商品を多く取り上げてくださっていることです。

――それは、マスコミで働く方の中に、PORTERの愛用者が多くいるということですか。

吉田
そうです。当社のデザイナーにファッションやマスコミ業界の友人が多いことも影響していると思います。そういう方々と情報交換する中で、当社の商品を紹介していただいたことや、コラボレーションにつながったこともあります。

工場を持たないカバンメーカー

――御社におけるデザイナーの役割と、商品ができあがるまでのプロセスを教えてください。

吉田
まず、デザイナーが新商品を企画し、デザイン画を描き起こすところから始まります。革(かわ)を使う商品の場合ですと、デザイナーが革問屋さんに「こういう素材を手配していただけますか」とお願いし、その希望に合わせてタンナー(革職人)さんが"なめして"くださった革を、革問屋さん経由で仕入れる。動物の皮はそのまま使うと腐敗してしまったり、乾燥して硬くなってしまったりするので、タンニンというミモザの木の樹液や薬品によって柔らかくする必要があるのです。その工程を"なめす"と言います。

次に、部材の金具や裏地、ファスナーなどをそれぞれ専門の材料屋さんから仕入れ、外部の職人さんに革の裁断と縫製をお願いします。こういった流れで、まずはファーストサンプルを作り、さらに細かな修正を重ねて商品をブラッシュアップしていきます。各工程における職人さんや材料屋さんとの打ち合わせは、基本的にすべて一人のデザイナーが行います。

――製造はすべて外部の職人さんに委託しているのですか。

吉田
そうです。当社には工場がありません。縫製をお願いしている工房は全部で48カ所、すべて国内です。都内は足立区や葛飾区など、関西は大阪府や兵庫県の豊岡市に多いですね。ほとんどの職人さんは、当社の商品に特化して製造なさっています。

画像: 吉田カバンでは通常、製造元の職人さんに商品修理を依頼するが、廃業してしまった場合や特殊な内容は自社で修理を行う。写真は、TANKERシリーズのオーバーナイターを分解し、縫いまとめ直している様子。ポリエステル綿をナイロン素材で挟んだ3層構造で非常に柔らかい生地のため、縫製には熟練した技術を伴う。TANKERは現在、数カ所の工房で年間約27万本生産されている。

吉田カバンでは通常、製造元の職人さんに商品修理を依頼するが、廃業してしまった場合や特殊な内容は自社で修理を行う。写真は、TANKERシリーズのオーバーナイターを分解し、縫いまとめ直している様子。ポリエステル綿をナイロン素材で挟んだ3層構造で非常に柔らかい生地のため、縫製には熟練した技術を伴う。TANKERは現在、数カ所の工房で年間約27万本生産されている。

――その中には、創業者の時代からのお付き合いだけではなく、新規にお願いするようになった職人さんもいらっしゃるのですか。

吉田
おりますよ。職人さんは仲間意識が強いので、横のつながりがあります。「あそこなら腕は確かだから」といって新しい工房を紹介してくれることもあります。

過去には、とある工房から「何か手助けさせてもらえないだろうか」とお話をいただいたことがありました。そこで、素材を渡して当社の商品と同じ物を作っていただくというテストをしました。最初に上がってきたものはステッチ(縫い目)が少し曲がっていたり、ひと針ひと針の間隔が少し広かったりと当社の品質基準に達していなかったのですが、その後10回以上テストを繰り返し、最終的にクリアしていただけました。それ以来、当社との取引が続いています。

画像: 定番品だけでも毎年20~30シリーズもの新商品を生み出している吉田カバン。それらを企画するのは、わずか十数名の社内デザイナーたちだ。

定番品だけでも毎年20~30シリーズもの新商品を生み出している吉田カバン。それらを企画するのは、わずか十数名の社内デザイナーたちだ。

――カバンに限らずですが、日本国内では職人さんが減っているという印象があります。

吉田
確かに減っていますが、この20年間でだいぶ様変わりしてきました。

20年以上前までは、カバンづくりと言えばまさに家内制手工業のイメージでした。自宅兼工房の作業場で、お父さんがミシンを動かし、その横でお母さんが生地の糊付けをしている…そんな光景が一般的でした。また、わたしどもの商品も今ほどは売れていませんでした。それを見て育ったお子さんが家業を継ぐことはほとんどなく、むしろ大企業への就職をめざすというケースが多かったのです。

1997年のTANKERのブレイクをきっかけに当社の商品の認知度が上がってから、そうした工房に対してそれまでよりも多く発注を出せるようになりました。各工房では従業員さんを増やし、作業場を明るくて広い空間に改築し、ミシンだけでなく裁断機といった機械も導入するようになりました。そんな風に状況やイメージが少しずつ変わり、今ではお子さんが親御さんの跡を継いでいる工房が随分と増えましたよ。

海外生産に頼らない、信念と必然性

――近年は東南アジアでの縫製技術が上がり、海外での製造を進めているアパレルメーカーが多くなりました。それでも御社が海外生産に頼らないのはなぜですか。

吉田
一番の理由は、「日本の職人さんを絶やさないでくれ」というのが、創業者である父・吉蔵(きちぞう)の遺言の一つだからです。父自身、カバン職人でした。12歳で神奈川県から東京に出てきてカバン屋さんに丁稚奉公(でっちぼうこう)し、厳しい徒弟制度の中で針と糸で手縫いをするという技術を身につけてきた。日本の職人さんの仲間たちとずっと一緒にカバンを作ってきましたから、他国に製造拠点を持っていかないでくれという思いが強かったのです。そういったモノづくりを続けていくために、日本の職人さんを絶やさないよう、後継者育成のお手伝いをするのもわたしどもの使命だと考えています。

やはり、アジアの中でも日本の技術の高さは歴然です。世界的ブランドと比べても、日本の職人さんの縫製技術の高さは引けを取りません。

画像: 創業者の吉田吉蔵氏が生前に手縫いで作ったバッグ。

創業者の吉田吉蔵氏が生前に手縫いで作ったバッグ。

海外で生産したらどうかというお誘いは、たくさんありました。それでも国内生産を貫くもう一つの理由は、カバンには、それを企画したデザイナーの魂が入ってなければいけないと考えるからです。そのための必須条件は、デザイナーが職人さんと直接話ができる環境であること。だから、国内でないと駄目なのです。

わたしどもは、お客さまに本当のカバンというのをご理解いただきたい。モノづくりの技術の高さを感じていただきたいのです。それが創業者の遺志であり、当社はそれをずっと引き継いでいます。

――デザイナーと職人さんとの間では、どんなやり取りがあるのですか。

吉田
例えば…通常、カバンを作る際には生地を二重にして縫い合わせていくのですが、あるデザイナーがそれを「補強のために四重にして縫ってください」と職人さんにお願いしたことがありました。しかも「角の部分はさらにもう1枚重ねて縫い合わせてください」と。職人さんから「そんなことできるわけないよ」と言われても、デザイナーは「わかるけど、やってほしい」と。そんな押し問答のあと、職人さんにも意地がありますから、工房に戻るとさっそくやってみるわけです。すると、できちゃうんですよ。もちろん試行錯誤はあるのでしょうけれども。そうすると、夜遅くでも当社に飛んで来られる。「出来た!」と言って。

そういった職人さんとのやり取りの積み重ねが、商品に表れるわけです。それを作り上げるのがわたしどもカバン屋の仕事だと思うのです。

すべてをデザイナーに託す

――現在、御社からはカバンを中心に約4,000アイテムが展開されています。同じPORTERブランドでも、TANKERシリーズのように柔らかい生地のものもあれば、硬めの素材を使ったシリーズも出しています。社長が考える「PORTERらしさ」とは何ですか。

吉田
商品をPORTERというブランドから発表するかどうか、これは企画部で決めています。企画から材料選び、職人さんとのやり取りまで、すべてデザイナーに任せています。その途中でわたしが口を挟むことは一切ありません。

――では、仕上がった商品を社長がご覧になるのはどのタイミングなのですか。

吉田
年2回の新商品展示会の2カ月ほど前に、社員を集めて社内発表の場があります。そこで初めて、商品を見ることになります。社内発表では、まず、企画・製作を担当したデザイナーから商品の用途や使用した素材、ポケットの付け方などの製法の特徴について説明があり、それを受けて他部署との質疑応答が行われます。デザイナーは製品化までに、出来上がったサンプルを社員に実際に使わせ、強度や持ちやすさなどを入念にテストします。想定する使用シーンに応じて、どの社員に持たせるかもデザイナー自身が判断しているのです。

画像: 吉田カバンは、バッグだけでなく小物類も扱っている。

吉田カバンは、バッグだけでなく小物類も扱っている。

――なぜ、そこまで徹底してデザイナーに任せられるのですか。

吉田
わたしども経営陣が見ているのは、将来ではなく現在だからです。お得意先さまを見る時も、「今、売れているのは何なのか」という見方しかできない。でも当社のデザイナーには、「これから先どういった商品をお客さまに訴求していけばよいか」という構想があります。

例えば、当社の商品に使用しているファスナーは主にYKK株式会社製なのですが、当社のデザイナーが自らYKKさんの商品開発部に製品の仕様書を持って行って「こういうファスナーを作っていただけませんか」と直談判したこともあります。生地はどんなものがよいか。それは国内のどこに行けば手に入るのか。それをどう加工すればカバンに使えるのか。部材になる金具の色や形はどうすべきか。そういったことを含めてすべて、一人ひとりのデザイナーが自分で考えて動いてくれています。

入社を決意させた父の一言

――吉田さんは1969年に、当時お父さまが社長をされていた吉田カバンに入社されました。その時の経緯を教えてください。

吉田
わたしは大学時代、商学部で会計学のゼミに入っていて、卒業したらまずは銀行で5~6年働いてから、いずれは吉田に入ろうかな…と考えていました。4年生の時に銀行への就職がほぼ決まり、父に報告したら、たった一言。

「俺を手伝ってくれないのか」

それまで普段の会話の中で、そんなこと一度も言われなかったんですよ。さすがに、心にグサッと刺さりましたね。そこで翌日、ゼミの先生に相談に行ったらこう言われました。「吉田君、お父さんの言うことは間違ってないよ。銀行で5~6年だけ働いたところで、数字のことしか教えてもらえないだろう。それより、最初からお父さんの背中を見て働けよ」。それで、当社への就職を決めました。その後、家に帰って父に話したら「ああ、そうか」って、一言だけ(笑)もう少し、喜んでくれるかなと思ったんですけどね。

画像: 創業者の吉田吉蔵氏(故人)。カバンメーカーで初めて社内に企画部を設け、デザイナーが新商品のデザインを企画し、カバン職人に製作を依頼するという生産スタイルを確立した。それまでは、職人が自分でデザインも考案し、カバンを製作していた。

創業者の吉田吉蔵氏(故人)。カバンメーカーで初めて社内に企画部を設け、デザイナーが新商品のデザインを企画し、カバン職人に製作を依頼するという生産スタイルを確立した。それまでは、職人が自分でデザインも考案し、カバンを製作していた。

――入社したての頃は、どんなお仕事をされたのですか。

吉田
商品管理部という部署に配属されて、要は倉庫番を任されました。倉庫と言っても、今で言う物流センターのような大きなものではなくて、自社の隣のビルの3フロアが在庫品の保管場所でした。わたしの役目は、出来上がってきた商品を職人さんたちから受け取り、それらを整理して在庫棚に保管する。そして毎朝8時の始業時に、倉庫にやって来る営業担当者に商品を渡すことでした。

当時は直営店も無かったですし、営業担当者が車で都内のお得意先さまをまわって商品を納めていました。だから、倉庫番をしていると売れ筋の商品がすぐわかる。この型がなぜ売れているのか、その理由を自分なりに考えるようになりました。今になって振り返ると、わたしを倉庫番担当にさせた父の狙いはそこだったのだろうなと思います。それと、納品にやって来られる職人さんたちと話せるのが楽しかったですね。

画像: 入社を決意させた父の一言

――職人さんとは、どんなやり取りがあったのですか。

吉田
最初のうちは怖かったですよ、口も利いてくださらない方が多くて。「このカバン、どうやって作ったんですか」なんて聞いても、「それは言えない。秘密だ」。昔の職人さんは今よりも厳しい方ばかりでした。それでも懲りずに「わからないから、教えてください」って食い下がったら、「そんなこともわかんねえのか!」なんて言いながらも、だんだんと教えてくださるようになりました。

ある時「おまえ、コーヒー飲んだことあるか」なんて言われて、喫茶店に連れて行ってもらって。「真面目に働くだけじゃなくて、少しぐらい遊んだほうがいいよ」なんてアドバイスされたり、職人さんの若い頃の失敗談や「あの職人さんはいい人だよ」なんて情報を教えてくださったり。そういう会話を通して、いろいろな職人さんの気質や、モノの動きというのがわかってきました。とてもよい勉強になりましたよ。

後編:ぶれない経営と「一針入魂」の企業精神」に続く >

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