30年間で出荷額が4分の1まで縮小した日本の工芸。元気を失いつつあった業界で初めてSPA(製造小売)を展開したのが、奈良の300年企業、株式会社中川政七商店だ。「日本の工芸を元気にする!」を旗印に十三代当主の中川政七氏が着手したのは、工芸メーカーに対する経営コンサルティング。その取り組みは、国内に約300あるとされる工芸の産地をどう変えていくのか。
画像: 十三代 中川政七 (なかがわ まさしち)氏 1974年奈良県生まれ。2000年京都大学法学部卒業。大手ITベンダーを経て、2002年、父が経営する株式会社中川政七商店に入社。常務取締役として布製品ブランド「遊 中川」の直営店出店を推し進め、日本の工芸をベースとしたSPA(製造小売)業態を他社に先駆けて確立した。2008年、中川政七商店十三代代表取締役社長に就任。翌2009年、工芸メーカーに特化した経営コンサルティング事業を開始。2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業に贈られる「ポーター賞」を受賞。著書に『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』『ブランドのはじめかた』『経営とデザインの幸せな関係』(いずれも日経BP社)、『小さな会社の生きる道』(CCCメディアハウス)など。

十三代 中川政七 (なかがわ まさしち)氏
1974年奈良県生まれ。2000年京都大学法学部卒業。大手ITベンダーを経て、2002年、父が経営する株式会社中川政七商店に入社。常務取締役として布製品ブランド「遊 中川」の直営店出店を推し進め、日本の工芸をベースとしたSPA(製造小売)業態を他社に先駆けて確立した。2008年、中川政七商店十三代代表取締役社長に就任。翌2009年、工芸メーカーに特化した経営コンサルティング事業を開始。2015年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業に贈られる「ポーター賞」を受賞。著書に『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』『ブランドのはじめかた』『経営とデザインの幸せな関係』(いずれも日経BP社)、『小さな会社の生きる道』(CCCメディアハウス)など。

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「コンサルティングをやる!」宣言

――御社はSPA事業の傍ら、2009年から工芸メーカーを対象にした経営コンサルティング事業も行っています。その狙いを教えてください。

中川
その前に、当社のビジョンを定めた頃の話をしましょう。中川政七商店にはずっと社是も家訓も無かったので、父を継いで社長になる2008年までの数年間、会社のビジョンをどうするか悩み続けました。ある時、大企業の経営ビジョンを集めた本を読んでいたら、ピンと来るものとそうでないものがあることに気付きました。その違いは何かというと、会社がやっていることとビジョンの内容とがつながっているかどうか。ピンと来ないものは「張りぼてのビジョン」であって、何の意味も無い。掲げた以上、そこに向かって会社として取り組まなければいけないのがビジョンですし、それを達成することに全社員が熱くなれるものでなくてはいけない。そういう考えに至りました。

中川政七商店にとってそれが何なのかを考え続けて、最終的に落ちてきた言葉が「日本の工芸を元気にする!」なんです。工芸メーカーが経済的に自立し、かつ、ものづくりの誇りを取り戻すために当社がやれることは何か。まずは、工芸メーカーの商品を仕入れることです。でもそれだけでは、全国に何千とある工芸メーカー全体が潤うはずがありません。

そしてたどり着いたのが、当社が直接メーカーの経営に関与して、再生事業のコンサルティングを行うことでした。ただ、コンサルをやるにも相手がいなければ始まらない。ならば「コンサルをやる!」宣言をするために本を出そうと考えました。当時知り合いだった『日経デザイン』の副編集長に相談したところ、まずは誌上でコラムを連載して、それが読者に好評だったら書籍化できると言われました。そうして2008年に日経BP社から出版したのが『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』です。

画像: 「コンサルティングをやる!」宣言

赤字の原因は、経営なき経営

――コンサル先は中川さんが見つけるのではなく、先方からのオファーですか?

中川
そうです。本を読まれた方や、テレビや雑誌での紹介を目にした方からオファーが来ます。当社はコンサル会社ではないので、営業はしません。今はコンサルの受付窓口は閉じているのですが、それでも年間20件くらいオファーをいただきます。その中で、コンサルすべきと判断した案件について対応させていただいています。常時3~5件です。

――オファーを受けるかどうかは、どう判断しているのですか。

中川
一つは、工芸の会社であること。もう一つは、経営者が本当に変わる覚悟を持っていること。高度な製造技術を持っているとか、財務がどんな状況かというのは気にしません。黒字よりは赤字のメーカーのほうが危機感は強いと思いますけど、経営者が本気かどうかを見抜くのは難しいですよ。コンサルが始まると、経営者と月1回のやり取りを1〜2年続けるのですが、まったく変わる様子が無くて途中で降りさせていただいた案件もありました。当社としては、ただコンサル費をもらっていればOKではないので。

――危機に瀕している工芸メーカーに共通して足りないものは何なのでしょうか。

中川
経営が無いことです。例えば具体的に言うと、予算表のある会社が無い。なぜかというと、もともとは産地問屋がある意味では経営をしていて、各工芸メーカーはその製造部門のような位置づけだったからです。産地問屋から「いつまでにこの商品をいくつ作ってくれ」という注文が来たら、メーカーはそのとおり作っていればよかった。それが産地問屋からどこに納品されるもまったく知らずに。だから経営をする必要がなかったんです。ところが、この30年間で産地出荷額が約4分の1に減って産地問屋が機能しなくなり、あるいは製造元を中国などに切り替えられてしまったことで、メーカー自身が経営をしないと立ち行かない状況になりました。

よく、行政が外部のデザイナーやプロデューサーを呼んで地元の工芸を復活させようとしているところがありますけど、その動きは間違っていると思います。問題の本質がわからずに「デザインをしましょう」とか「日本のものづくりは素晴らしい」みたいなことを言っても、何も解決されない。それはメディアの責任でもあると思う。予算表が無い会社ということは、要は経営に意図がないわけですよね。問題はそこなのです。

――コンサルは具体的にどのように進められるのですか。

中川
まず「決算書を見せてください」というところから始まります。本当にどの会社も予算表が無いので。そうして経営を改善してから、ブランディングを行ってものづくりに落とし込み、お客さまとのコミュニケーションをどうするか考えていくという流れが多いです。

九州で起きた「工芸界のジャイアント・キリング」

――中川さんはコンサル事業を通じて「産地の一番星」を各地に創ることで、日本の工芸を元気にしたいと宣言しています。

中川
産地の一番星を創るというのはあくまで手法論で、大切なのは、産地をいかにして生き残らせていくかです。よく、行政から「産地全体に対して何かやってくれ」というオファーをいただきます。しかし、例えば、産地の陶磁器組合に入っているメーカー20社に対してコンサルをしても、うまくはいかないというのがわたしの持論で、「みんなで何かしましょう」と言ってもなかなか物事が決まらないし、進まない。それよりも、産地の中でどこか1社を徹底的に磨いて、それが圧倒的な成功事例になれば、2番手や3番手は見よう見まねでついてくるはず。だから、一つの産地で1社だけにコンサルすることにこだわっています。

――実際に、一つのメーカーの経営が改善されて、産地全体が変わっていった例があれば教えてください。

中川
わかりやすい例では、1件目にコンサルティングさせていただいた長崎県波佐見町の陶磁器メーカー、有限会社マルヒロさんですね。もともと波佐見は、佐賀県の有田焼の下請け産地でした。波佐見で陶器のベースを作って、有田で絵付けして完成品になるという流れが伝統的に続いていました。近年は波佐見焼として認知されるために、ブランド化に取り組んでいたのですが、なかなかうまくいかなかった。そこでマルヒロさんから当社にコンサルのオファーが来ました。

主にやりとりさせていただいたのが、社長の息子さんで当時20代前半だった馬場匡平さん。正直に言うと、当時、彼は焼き物のことも経営のことも分かってない状態でした。それでも2年近くお手伝いして経営が上向きになり、彼自身も経営者として、そしてものを作る人としてかなりレベルアップしました。コンサル中に立ち上げた「HASAMI」というブランドの商品を当社主催の展示会に出したところ、大手アパレルショップに採用されて、そこから一気にマルヒロさんはブレークしました。

画像: 波佐見焼の陶磁器メーカー マルヒロが開発・製造した、重ねられるマグカップ

波佐見焼の陶磁器メーカー マルヒロが開発・製造した、重ねられるマグカップ

その後、マルヒロさんが波佐見の他のメーカーの手伝いもするようになって産地自体もだんだん活気づき、波佐見焼が世の中に認知されるようになってきました。今年、Googleの伝統工芸キーワードランキングで有田と波佐見が並んだんですよ。それまで有田の下請けだった歴史を考えると、ありえないことです。わたしはこれを「工芸業界のジャイアント・キリング」と呼んでいます。西九州自動車道の波佐見有田I.C.を降りて左に曲がったら有田、右に曲がったら波佐見なのですが、毎年やっている有田と波佐見の合同陶器市の時期は、30年前だったら自動車10台中9台は左に曲がっていた。でも今は完全に逆転しました。

今年、当社は大日本市博覧会(だいにっぽんいちはくらんかい) 長崎博覧会というイベントを波佐見町でも開催しました。大日本市博覧会とは、来場者にその土地の魅力を再発見してもらうことを目的に、地元の工芸品を売り出したり、各界・各地で活躍するゲストのトークベントやワークショップを行うというものです。匡平さんはその機会をうまく活用して、波佐見町だけでなく有田町や武雄市、嬉野市という近隣の焼き物の産地を周遊バスでつなぐ「ぐるぐるひぜん」というイベントに拡大させました。まさに一番星が起点となって積極的に動いて、産地全体に良い影響を及ぼしています。

画像: 2016年9月に行われた大日本市博覧会 長崎博覧会の様子

2016年9月に行われた大日本市博覧会 長崎博覧会の様子

目標は「100年後、300産地」

――「日本の工芸を元気にする!」というビジョンの実現に向けて、今は何合目くらいの所まで来ていると感じていますか。

中川
1合目は越えたかなと思います。日本には約300の産地があります。それを全部生き残らせることが、わたしが考える「日本の工芸を元気にする!」なんです。だから、「100年後、300産地が生き残っていること」が大きな目標ですね。金額に置き換えて考えると、産地と呼べるには合計10億円くらいの出荷額がないといけない。つまり、日本全体で3,000億円。ピークだったバブル景気の頃の約半分、現在の約2倍ですから、妥当な数字だと考えています。その状態をキープできるようになったら、300産地が生き残っていけるというのがわたしの見立てなのです。

――コンサルをやることで、御社にはどんなメリットがあるのでしょうか。

中川
コンサル事業自体は、正直なところペイできていません。基本的には年商1億円以下の赤字メーカーばかりが相手ですから、高額なコンサル費はいただいていません。ただ、その方たちが生き残って活躍してくれないと、中川政七商店の30年後のものづくりは無い。だから、製造力を確保するためにコンサルによる事業再生は必要です。そして、彼らのブランドの流通は当社の直営店でサポートすることになるので、それで長い出世払いにはなるわけです。最終的にはそれでペイできるかなという感じです。

コンサルをやるのは世の中のためだけではなくて、当社の生きる道でもあるんですよ。工芸の再生はもちろん社会的に意味のあることですけど、ゆくゆくは当社の利益にもつながっていく。それが短期的なものではないだけの話です。中川政七商店が利益を出すことと「日本の工芸を元気にする!」は、ほぼイコールです。こういうビジョンを掲げることができたのは本当に幸せなことだと思いますし、これを見つけることができたからこそ、今の当社がある。達成するのは100年仕事なので、しばらくは方向を見失わずにやっていけますからね。短期的な利益に多少のデコボコはあっても、会社としてやるべきことを誠実にやっていれば、結果はついてくると信じています。

SPAやコンサル以外に、先ほど話した大日本市博覧会のようなイベントもやっているので、「いろんなことをやってる会社だね」とよく言われます。でも大日本市博覧会は単なるイベントではなく、産地の一番星の力を産地全体に拡大させるための起爆剤なんです。つまり、どれもビジョンを達成するための手段。だから経営判断はラクですよ。そういったことを真面目にやっていれば、結果、儲かる。商品を通じて、お店を通じて、それは絶対お客さまに伝わるし、お客さまに共感されて支持されることがブランドとしてのあるべき姿なので。SNSが普及して大変な時代かもしれませんけど、逆にそれは「正直者が馬鹿を見ない、いい時代」だとわたしは考えています。

画像: 目標は「100年後、300産地」

父の言葉に見えた300年企業の真髄

――これまで語っていただいたブランディングに対する考え方やビジョンの意図などを、御社では一人ひとりの社員にどうやって浸透させているのですか。

中川
ブランドを体現するのはやっぱり人なので、インナーブランディングはすごく大切だと考えています。例えば、日々何百人というお客さまと接している販売員の一つひとつの振る舞いが、お客さまにとっての中川政七商店のイメージを創っているわけですから。そこで当社はどうやって社員に浸透させているかというと、月に1度わたしが全社員にちょっと説教めいたメールを送っています。

――例えばどんな内容ですか。

中川
ある時期「あんまり仕事が楽しくない」と言っている若手社員が多いと耳にしたので、なんでなんだろうなと考えました。そこそこ経験を積んでいる社員は楽しそうに働いているのに、若手はそうじゃない。そこでわかったのは、彼らの仕事が下手だからなんです。それでどんなメールを書いたかとかいうと、サッカーに例えました。「中学生のサッカー部の子がいきなりJリーグに行っても楽しいわけがない。まったくスピードについていけないし、ボールに触れることもできない。つまり、下手だから楽しくないんだ」と。「中学生レベルなのに“サッカー観の違いだ”なんて言ってないで、死ぬほど練習してうまくなれ」と。そんな月1回のメールを10年以上続けています。だからもう100通以上。こういうことの積み上げでしか、ビジョンを社員に伝えることはできないと思います。短期間でできることではないですよね。

画像: 中川政七商店が創業から扱い続けてきた麻織物の生地

中川政七商店が創業から扱い続けてきた麻織物の生地

――もともと社是も家訓も無かった御社が、こうして300年も続いてきた理由は何なのでしょうか。

中川
一つ思うのは…社長の代替わりの時に、珍しく父に誘われて一対一でご飯を食べに行ったのですが、その時に「とらわれるな」と言われたんです。「おまえは麻にとらわれている」と。「うちはたまたま300年、麻を扱い続けているけど、麻以外のものを扱った時代もあった。だから、麻にとらわれるな」と。そう聞いて、なるほどと思いました。明文化されていませんが、ある意味これが中川家の家訓なんだと。業態も、卸から始まって製造卸になり、最近は小売までやっている。どんどん変わり続けて、何事にもとらわれずにやってきたから300年続いてきたのだと思うんですよね。だから、父のその言葉は重く受け止めています。

J-CSV提唱者の視点

名和 高司 氏(一橋大学大学院国際企業戦略研究科 特任教授)

日本には、中川政七商店のような創業300年企業が600社以上存在する。これらの企業は、マイケル・ポーター教授がCSVの条件として掲げる2つのSのうち、Sustainability(持続可能性)においては申し分ない。しかし、もう一つの条件であるScalability(規模拡張性)は満たせていない。その中で、中川政七商店は十三代 中川政七氏が社長に就任した2008年から今年までに、10倍以上の成長を実現している。

特に、「日本の工芸を元気にする!」という社会価値を提供しつつ、自社の商材を増やして経済価値の向上につなげている点は、見事なCSVの実践といえよう。同社が昨年ポーター賞に輝いたのも、この点が高く評価されたからだ。

さらに、同社のモデルはJ-CSVが向かうべき方向を示唆している。第一に、日本の生活雑貨への着目。生活の知恵に根差した日本の質感の豊かさは、世界に通じるパワーを秘めている。第二に、伝統を革新させるという視点。「とらわれるな」という先代の言葉に込められた「ずらす力」こそ、日本復活の切り札となる。第三に、中小企業の成長をプロデュースする役割。前回のスノーピーク 同様、このような「編集力」が地方創生のカギを握る。

中川政七商店が仕掛けているように、日本企業がモノづくりの誇りを取り戻せば、J-CSVは大きく始動するはずだ。

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