世界をリードするファスナー、そしてスナップ・ボタンのYKK株式会社と、窓やドア、ビルのファサード(外観)を中心とするYKK AP株式会社のAP(建材)事業。この2つのビジネスを柱として、これからのYKKグループは世の中にどんな価値を提供していくのか。そして、“技術の総本山”と位置付ける富山県黒部市におけるまちづくりの取り組み“パッシブタウン”の真意とは。前編に続き、代表取締役会長CEOの吉田忠裕氏に話を聞いた。

吉田忠裕(よしだただひろ)
1947年、富山県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、米国ノースウエスタン大学ビジネススクール(ケロッグ)にてMBAを取得。1972年、父の故・吉田忠雄氏が創業した吉田工業株式会社(現・YKK株式会社)に入社。1985年取締役副社長に就任し、1990年にYKKアーキテクチュラルプロダクツ(現・YKK AP)の社長を兼任。1993年吉田工業社長に就任後、翌1994年社名を現在のYKKに変更。1997年に特定非営利活動法人黒部まちづくり協議会を立ち上げ、初代会長を務めた。2011年、YKK株式会社 代表取締役会長CEOとYKK AP株式会社 代表取締役会長CEOに就任。

年間売上目標「ファスナー100億本」のねらい

――YKKは2016年度の売上目標として、「ファスナー100億本」を掲げています。なぜ、100億なのでしょうか。

吉田
我々は4年間ごとに中期経営計画を設けているんですが、2012年までの4年間は世界での売上本数が年間約75億本とほぼ横ばいでした。しかしその間、アジアを中心に世界人口は増え続けていますから、マーケットは拡大しているはずなんです。ということは、本数ベースで見た時に、ファスナー業界における我々のマーケットシェアは減り続けているわけです。「善の巡環」の観点からすると、これは見過ごせない事態です。

画像: 年間売上目標「ファスナー100億本」のねらい

我々はこれまで、アパレルのトップブランドを中心としたハイファッション、宇宙服に代表されるようなハイファンクションといった付加価値の高いファスナーづくりを進めてきました。生産するには非常に難易度が高いのですが、その代わり高い単価で売れました。その結果、当社の推定値によると金額ベースでは世界のマーケットの約4割を占めてはいるものの、本数ベースでみると実は2割程度にとどまっています。地球の人口が70億人以上まで膨れ上がったにもかかわらず、その大部分を占める人々の日常生活にYKKのファスナーが貢献できていないという現状に、わたしは納得できない。耐久性に優れたYKKのファスナーを、より多くの方に使っていただき、喜んでいただくことが、我々がファスニング事業において最終的に世の中に提供できる価値ですから。それを現社長らに話したところ、次の中期(2013年~2016年)の目標として出てきた数字が、年間100億本なんです。

YKKが強みとしてきた付加価値の高いファスナーをさらに追求し続ける一方で、これまで注力してこなかった、業界全体のメインである安い価格帯の商品、いわゆるボリュームゾーンにも挑戦する。それが今のファスニング事業の方針です。

――技術者の方は、その方針転換に納得されたのでしょうか。

吉田
日本の技術者ってどうしても、より高品質なものづくりをめざそうとするんですよね。もちろんそれは素晴らしいんですが、世界のエンドユーザーが求めている商品はそれだけではないんです。廉価な商品を作る技術があってもいいんじゃないか、と。むしろ、そこに挑戦していかないのは技術者としておかしいんじゃないかと、彼らには話しました。

ボリュームゾーンへの挑戦は、他でもない、先代社長の吉田忠雄がめざしていたことでもあるんです。創業当初は、ファスナー1本あたりをより安く作って、より多く提供することで世の中に貢献してきました。そこから徐々に世界で我々のファスナーが認められるようになり、より難易度の高いものづくりをクライアントから期待されるようになった。技術者もそれに応えようとしたことで、ハイエンドな商品がYKKの主力になっていったという歴史があるんです。

樹脂窓が日本を変える

――グループ会社のYKK APは「日本の窓の30%を樹脂窓に」という目標を掲げています。このねらいは何でしょうか。

吉田
樹脂窓とは、フレームが樹脂製の窓のことです。欧米の住宅ではかなり高い比率で樹脂窓が使用されていますが、日本ではアルミサッシの文化が浸透してしまっているため、樹脂窓の普及は現在15%程度でまだまだこれからの段階です。そこで、まずは30%をめざしていこうというわけです。

――樹脂窓の普及によって、社会にどんな価値を提供しようとお考えですか。

樹脂窓の良い点は、樹脂を使っているので断熱性に優れていることです。エネルギー問題の解決につながるだけでなく、近年問題になっているヒートショック対策にもなると考えられています。冬場は家の中で生じる急激な温度差のために心臓発作や脳血管障害を起こす危険があります。冬の住まいでは熱の52%が窓やドアなどの開口部から逃げていきます。樹脂窓を家屋に使用すれば、室内の温度を逃がさないようにし、外から入る冷気を遮断して温度差を少なくすることが可能です。こうして住宅を断熱化することで、ヒートショックのリスクを低減できることがわかってきました。

画像: 樹脂窓が日本を変える

これは、わたしが2007年から始めた「窓学」という研究活動からわかってきたことです。建築家や研究者をはじめ、写真家やファッションデザイナーといったアーティストなど30名以上の方々にお声掛けして、これまでなかった「窓学」という学問領域を一緒に作り上げようという取り組みです。

2013年にはYKK AP内に窓研究所が設立され、以来、窓に関する研究成果発表会を毎年開いています。これからの世の中に窓をどう役立てることができるか、どんな窓が求められるのかを追求していきたい。そこから得られる知見は、我々YKK APにとってももちろん有益ですけれども、研究活動によって日本の窓の性能を引き上げることで、社会に貢献していきたいと考えています。

――YKK APは、1990年、当時YKKの副社長だった吉田会長が自ら設立されました。そもそもなぜ、窓の製造を始められたのでしょうか。

吉田
もともと先代の吉田忠雄の時代には、あくまで建材の部材としてアルミサッシを製造し、全国の流通店に供給していました。窓そのものを作るようになったのは、わたしがYKK APを立ち上げてからです。それまで日本の住宅建築では、流通店がアルミサッシを購入してフレームを切り出し、ガラスメーカーから購入したガラスをはめ込んで、必要に応じて窓を作っていました。一方で欧米の国々では、統一された規格の窓が登場し、やがてアルミより格段に断熱性に優れた木製や樹脂製の窓が出てくるようになりました。

ところが日本は相変わらずアルミサッシの窓一辺倒でしたから、わたしは危機感を覚えました。このままでは、日本の窓の性能は世界から置いてきぼりにされてしまう。何より、建材を扱う企業としてその状況を看過することは、「善の巡環」にも反することになります。そこで、窓そのものを作って供給しようと考え、窓事業を立ち上げたんです。部品となるサッシやガラスを組み合わせて、クライアントが求める性能に応じた窓を作り上げ、供給する。こうした窓事業が国内に定着するようになって、ようやく10年くらいになります。

――YKK APとして、今後どんなグローバル展開を考えていますか。

吉田
日本の国内でも寒い地域や暑い地域がありますから、それぞれの気候に応じた窓を現在開発しているところです。いずれは、アジアの熱帯地域に展開していきたいですね。暑い時季の自然環境を窓でコントロールして、過ごしやすい住環境を実現できたらと考えています。窓の製造技術はヨーロッパを中心に発達したものなので、寒い土地への対応は優れていますが、暑い気候への配慮がなされていないんです。そうした部分は、我々がアジアに窓事業を展開していく際の強みにできると思います。

黒部発、パッシブタウン

――YKKは以前から富山県黒部市を技術・製造の中心拠点としてきましたが、近年本社機能の一部を東京から移転しました。また、「パッシブタウン」と称した賃貸集合住宅街の整備も進めています。そのねらいを教えてください。

吉田
パッシブタウンとは、自然をありのままに受け入れ、風の流れや太陽、地熱といったエネルギーを効率よく利用することで電力やガス、石油などの過剰な利用を抑え、なおかつ快適な生活の実現をめざしたまちづくりです。そこにはもちろん、我々が開発した樹脂窓も使われています。2025年までに250戸の整備をめざし、入居希望者を募っていきます。

黒部市には、初代市長の時代にYKKの前身である吉田工業を誘致してくださったという恩があります。そしてわたし自身、昔からまちづくりにすごく関心があったんですよ。1970年前後にアメリカに留学していたんですが、どのまちを訪れてもきれいに整備されていて、当時のわたしにはとても眩しく映りました。その頃から、美しく整備されたまちへの憧れがありましたね。

その後YKKに入って、フランスやイタリア、イギリスなどにファスナー工場を建設した際に各地のオープニングイベントに呼ばれて行ったんですが、そこには地元の市長も出席していて、我々日本人に自分たちのまちがいかに美しいか自慢するんですよ。わたしはそれを聞いて、黒部にも外国の方々を招いて市長にまちの自慢をさせてあげたいと考えていたんですが、いかんせん黒部の工場周辺には緑が無く殺風景でした。

それから約20年経って黒部商工会議所の会頭を9年間務めたのですが、商工会議所ではまちづくりを十分にできないとわかり、1997年に黒部まちづくり協議会という組織を作りました。今でこそ全国各地にまちづくりの組織ができていますが、当時はまだ珍しかったと思います。まちづくりに関心のある老若男女を集めて、それぞれの関心テーマごとに14のワークショップを作って活動しました。もちろん皆さんボランティアです。その当時のメンバーが、今の市長や商工会議所会頭、市の観光局長を務めているんですから不思議なものですよね。おかげで行政と企業の敷居が低く、強い仲間意識を持ってずっと活動を続けています。そうしてみんなで知恵を出し合ってたどり着いたまちづくりの一つの形が、パッシブタウンなんです。

画像: 黒部発、パッシブタウン

――黒部におけるパッシブタウンの取り組みが、これからの日本にどんな影響を与えていくとお考えですか。

吉田
もともとは地元の人が自慢できるような美しいまちにしたいという思いからスタートしましたが、加えて、こういった低炭素型のまちづくりが、黒部だけでなくみんなのものになっていってほしいです。パッシブタウンの実現にあたっては、現段階で少なくとも3名の建築家の方に設計をお願いしています。三者三様のやり方で、それぞれが「こうすればエネルギーをできる限り使わない暮らしを実現できる」という手応えをつかみつつあります。建築家の先生方には、黒部で得た手法を他の地域でもどんどん使ってくださいと言っています。つまるところは、そうやって幸せな社会を作り上げることができたらいいですね。

J-CSV提唱者の視点

名和 高司 氏(一橋大学大学院国際企業戦略研究科 特任教授)

CSV経営を説くマイケル・ポーター教授は、社会価値と経済価値を二元論としてとらえている。欧米流の要素還元主義的*な考え方だ。一方、YKKの「善の巡環」は東洋流の全体包括主義的な思想に基づいている。すなわち、社会価値と経済価値は不可分なものだという考え方である。この2つの価値を「トレードオフ(二律背反)」ではなく、「トレードオン(相乗効果)」ととらえるところにこそ、J-CSVが欧米型のCSVを超える可能性が秘められている。

「善の巡環」思想は、現場にまで徹底している。これがJ-CSVのもう一つの特徴だ。例えば、YKKの社員は、海外に派遣されるとそこで「土地っ子」になることが求められる。その結果、20年も戻ってこないケースもまれではないという。

その一方で、同社の本拠地である黒部に対するコミットメントも、並々ならぬものがある。「黒部発パッシブタウン」構想は、持続可能なコミュニティのモデルケースとして、世界からも注目されるだろう。

YKKは、これまでこだわってきた最高品質のみならず、「最適(good enough)品質」への取り組みを加速している。新興国の顧客にも安心で安価な製品を提供することができれば、YKKの「善の巡環」は地球規模で進化し続けるはずである。

* 要素還元主義:多様で複雑な事象を、単一の基本的要素から説明すべきとする考え方。

 

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